水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
※お仕事連絡メールに一両日中の返事がない場合は再送願います

それこそが「高学歴ワーキングプア」 02

2019年04月30日 | 庵主のつぶやき
「高学歴ワーキングプア」とは、もともと「博士号」取得者レベルの人材が、そのハードワークにもかかわらず、適正な賃金を得られていないことを指すワードであった。

いまや、それは更に広く解釈されて、いわゆる高度な知識・技能を要する仕事に就くために、長い時間をかけて教育を受け能力を磨いてきた人たちが、にもかかわらず生活に困窮するような状態におかれながら、それでも求められる高度な仕事については責任を持って、半ばボランティアのような形でやり続けている状態を、自虐的に表現する言葉としても用いられるようになっている。(だって、そんなこと、笑い飛ばさないとやってられないわけで)

そんな高学歴ワーキングプアに当てはまるのが、
「末は博士か大臣か」の「博士」たちのほかに、コンビニより多くなったといわれる「歯科医院」。経営難のところが増えているそうだ。
それから、大増産される予定だったが途中で方針転換が行われ宙ぶらりんになっている「法科大学院」卒者も。
臨床心理士なんかもそうだし。
ついでと言っちゃなんだが、美大や音大は昔から酷いとは知られた話でありましょう。

逆に、看護系は「客が新たに呼べる」という発想を持った大学が多かったのか、この十五年くらいのあいだに乱立したが、教壇に立つことができそうな人材の供給が追いついていなかったこともあり、超売り手市場に陥った。
だから、まずは先に教壇に立つようになってから、大学教員免許の側面も有する「博士号」をそれからやっと得るという逆転現象すら珍しくないほど。

高学歴ワーキングプア問題は、やっぱり、市場における需給バランスの問題なんです。。
自己責任じゃないので、若手研究者は誇りを決して失わず仕事に従事してほしい。

平成とは、高学歴ワーキングプアが生まれ、増産され、消耗され、忘れさられていく時代であったように思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それこそが「高学歴ワーキングプア」 01

2019年04月19日 | 庵主のつぶやき
高学歴ワーキングプアがなぜこれほど多く生まれているかといえば、ひとえに需給バランスが崩れているから。

教育機関は、営利を目的としてないから税制上も優遇され助成金を得られているが、一方で、だからこそ必要な教育研究費や設備資金の捻出がなかなかに難しくなるという現実もある。なにせ、営利を考えないという前提があるから。
その状態で、十分な教育の質的保証も無論要求される。
質の高い教育を行うには、高度な人材が必要だが、必要数全部を雇うとなると当然だがコスト高となる。それは、営利を目的としない以上、資金繰りに難(多大なリスク)を伴う。

だがもし、市場にそうした高度な能力を持っていてさまざまな潰しがきく優れた人間が山ほど(国策で増やされて)居て、しかも、そのほぼ全員が高等教育の場に仕事を欲している状況であり、且つ、高度人材は必要だが金は無い大学がそれでもデキル教育・研究者を欲しているとしたら、どういうことが起こるか。

「金は出せませんけど、それでも来てもらえますか?」
「本当はちょっと困るんだけど、背に腹はかえられぬ」
こんな形で引き受けざるを得ないのではなかろうか。

それこそが「高学歴ワーキングプア」なのである。<続く>

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧困よりも誇りの消失が高学歴ワーキングプア問題の本質

2019年04月16日 | 庵主のつぶやき
みわよしこさんが、文系女性研究者の自死と社会保障制度を絡めた論考をなされている。みわさんは、いつも真摯な記事づくりをしていて尊敬申し上げているが、今回は少しばかり論点がずれているかもしれない。

というのも、現在の若手・中堅研究者をめぐる困窮は、貧困だけがその中心にあるのではないからだ。いや、正確には、貧困が彼ら彼女らを追い詰めているものの中心なのではない。
そうではなく、自分のすべてをかけて働いている現場において、ただその立場が正規雇用されたものでないということだけで、一切の誇りが瞬時に消し飛ぶような事態に直面し続ける環境こそが問題なのだ。

もとより、研究者になるような人種は、生活などは最低限が確保されていれば別に不満などない。つまり、食べること以外の時間の過ごし方がどれだけ充実しているかということのほうを問題としがちである。それは、研究であり教育である。そこでそれなりの成果を挙げているにもかかわらず、数年経てば任期切れや、場合によっては突如雇い止めといった事態に直面してしまう。その度に、誇りはズタズタになる。

公募にしても、いまや五十や百の落選は当たり前になっている。大学ごとに毎度書式は異なり、しかし盛り込むべき内容は同じという、いわば二度手間三度手間を要求されながら書類を仕上げても、まずお祈りメールの憂き目にあうばかり。それでも三十代まではまだ耐えられる。だが、四十代に入ると、いつ先が見えるのかという不安のほうが圧倒的に膨らんでいく。このあたりがひとつのデッドラインとなってくる。

この世界は、正規雇用されたことがない研究者に対しては救済システムが働かない。どこかで一度でも専任教職員として雇われていれば、「次の移り先」の斡旋にあずかることなどもあるのだが、そういうものと縁が一切ないのが彼ら若手・中堅の任期付研究者の置かれた実態である。いわば、究極の都合の良い使い捨て人材と位置付けられがちだ。だから、知らないあいだに心が疲弊していく。この心の穴を埋めるものは、誇りの回復しかないのだが、それが敵わない環境に置かれ続けることでついには折れてしまう。

このような苛烈な世界での生き残りをかけ、当事者はお互いをライバル視しがちだが、本当は連帯すべき仲間とみなした方が可能性が広がることだろう。当事者以外にとっては、まさに人ごと。そしてかつての非正規であっても、ひとたび正規に成り上がってしまえば、これまた人ごとに映りだすのか、自分はあなたたちとは違うとばかりに冷たくあたられだすことだって珍しくないわけで。当事者同士がもし支えあえないとすれば、この地獄を脱することなどほとんど不可能になってしまうだろう。いまのところ、有効な解決策が見当たらない中、これ以上の悲劇が起こらないことを願うばかりだ。相談できる場所などがあれば、とも思う。そういう場を一緒に作れれば、とも。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高学歴ニート・フリーター

2019年04月15日 | 庵主のつぶやき
林修先生の番組の影響で、「高学歴ニート」というワードでの盛り上がりがあったようだ。
関連してというわけでもないが、「高学歴ワーキングプア」というタイトルの本は、当初、「高学歴ニート・フリーター」として進行していたのだが、当時、「ワーキングプア」という言葉が世に広まり出していたこともあって、「ニート・フリーター」をこれに差し替えてみたところまさに、若手研究者の困窮する現状の表現にピッタリとハマったという経緯があって、最終的に「高学歴ワーキングプア」とのタイトルが決定したのである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高学歴ワーキングプア問題、深刻化

2019年04月12日 | 庵主のつぶやき
胸が痛むニュース。
哀悼の意を表します。

「文系の博士課程「破滅の道。人材がドブに捨てられる」 ある女性研究者の自死」、朝日新聞デジタル、2019年04月10日

昨年は九大でも。
この先、10年ほども似たようなことが続くのでは。想像したくないことだが。
大学院重点化政策で増えた院卒者は、そろそろ人生の後半へとさしかかってきた。
その下の世代は大学院進学を忌避しはじめたから、その後この問題は、自然消滅で忘れさられていくはず。

こんな無茶苦茶な制度設計(大学院重点化)を進め、安易にそれに乗っかった連中に、一言ぶつけたい気分。だが、その対象も既に隠居していたりする。月日は流れ、当事者らも老い、取り残されたノラ博士だけが彷徨い続ける。どうにもならないとはこのこと。

本庶佑先生や山中伸弥先生の存在が唯一の救い。でもそこは理系の話。文系は金を稼ぐこともできないため絶望的。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする