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私の「独」学日記

ドイツ語と、その他、ドイツから学べることをいろいろと語りたいと思います。その他、ドイツと他国との関係から学べることも。

当ブログ、最後の記事、映画「ゲッべルス」と「関心領域」

2025-05-09 12:41:59 | 過去の克服

13年前より開始したこのブログですが、この度のgooブログ終了アナウンスを機に、このブログも終了することといたします。gooブログの消滅と同時に投稿記事は消滅します。他のサイトへの引っ越しもありません。

これまでドイツに関しての様々なトピックに関して記事を書き投稿してまいりましたが、多忙なため記事投稿もおそろかになり、つい最近、閉鎖のニュースを聞き、これを機に終わりにしたいと思います。最後に以下の記事を投稿させていただきます。

これはもしかしたら、私がドイツに対して強い興味を抱くようになった根本ともいえる内容だと思います。

つい最近、観に行った映画「ゲッべルス」とネット配信で観た「関心領域」についての論評です。


「ゲッべルス」はナチス政権においてプロパガンダを担当した大臣であった。内容的には淡々と事実を追うことばかりでストーリー展開というものがなく映画作品としては未完成な印象を持った。ただ意外なことが知れた。国民の士気が下がるたびにプロパガンダを製作したがゲッべルスの側からすると思った程の効果は得られなかったことや、ユダヤ人に対する迫害に対して同情する国民が当時から多かったことなどが映画から分かる。

さてもう一つの「関心領域」はナチスの絶滅収容所といわれたアウシュヴィッツの所長だった男の一家が収容所に隣接する場所に居住地を構え何不自由ない生活を送っていたことの驚愕さを表した作品。時折、収容所から聞こえる銃声や雄叫びなどに一家は聞こえても聞こえないふりをする。所長は仕事と家庭生活を見事に切り離したような生き様である。

収容所の過酷なシーンは全く映されないのがある種の映写効果といえる。これは現代において世界中の誰にでも共通することだともいえる。

この映画とその他のアウシュヴィッツをテーマにした映画でも表されているが、周囲に住んでいた住民はユダヤ人に同情的で、収容所にリンゴを置いておいたり、逃げ出した人々に食事を与えたりしたという。内心、間違っていることは分かっているのだけど、表立って行動できない状況がナチスのような悪魔を蔓延らせたということなのだろう。

ナチスについての関心がドイツへの関心につながったのがこのブログの投稿を開始した理由の一つである。

現在、ナチスの犠牲者となったユダヤ人の子孫は新たなホロコーストの加害者となっている。映画「ゲッべルス」の最後のシーンの収容所を生き延びた人の証言は、そのせいか以前ほどは響かなくなった。

ドイツも過去の克服を成し遂げたと思いきや極右政党の伸長が際立ち、恐ろしい過去を繰り返しそうな状況になりつつある。

それはドイツに限らずトランプ政権のアメリカや訳の分からない政党が人気を集めている日本においても同じだ。

歴史は繰り返すというものなのか? 間違った歴史は繰り返してはいけないのだけど。

そんなメッセージを最後に残して、このブログへの投稿を終わらせたいと思います。因みにドイツについては引き続き関心を持ち続けドイツをテーマにした投稿を続けたいと思いますが、それは別のブログにていたします。実をいうと私が長年投稿している別ブログにドイツをテーマとした記事欄があります。そちらをリンクします。この最後の記事をコピペしていますので、よろしければ別ブログにて引き続き関心をお寄せください。

さらば、「独」学日記。Auf wiedersehn! ご愛読者の皆様、Alles Gute! 


映画「顔のないヒットラー」と「帰ってきたヒットラー」 十字架を背負わされる

2016-12-29 21:04:57 | 過去の克服

「顔のないヒットラー」は、1950年代、誰もアウシュビッツなど知らないドイツにおいて、ユダヤ人の虐殺に関与した者達を、ワイマール共和国時代の法律により、起訴した若き検察官の葛藤を描いた者。

ナチス時代、まだ子供だったからこそ彼はそれができると上司からいわれ、当時のドイツ人全てが有罪であるということを思い知らされることがテーマ。また、当時の人々は、かつてのドイツを、そんなにひどいことをしたのだと思ってなく、戦友同士が軍歌を歌うシーンもあるほど、今ほどタブー視はされていなかったことが描写され、驚くばかりだが、これは日本も事情は同じ。終戦間もない頃は、傷跡に触ることのないように人々は振る舞っていたわけである。

「帰ってきたヒットラー」は風刺コメディで、終戦のベルリンの総統官邸地下壕にいたヒットラーが21世紀にタイムスリップ。テレビマンから、そっくりさんの演技者と勘違いされ、テレビ番組に出演すると、なんと大人気キャラクターに。

前半は、ドイツを旅するシーンで、実際の市民の人々とそっくりさん俳優が交流するシーンがあり、それは演技ではなくアドリブの生の台詞をドキュメンタリーのように混ぜている。そこに違和感を覚えたが、ドイツの人々が現代、過去をどのように捉え、現代とどう関連付かせようとしているかが理解できる。

コメディで、ヒットラーやホロコーストをこんなに茶化していいのかと思うが、最後には、しっかりと観衆を震え上がらせる落ちがある。つまり、笑いごとじゃあないということ、過去のことだから、深刻に捉えられなくなったけど、被害にあった人々からすると、それはつらいことであり、また、そんな過去のことを軽く扱うと、また現代に同じ現象が蘇るという警鐘を鳴らしている。昨今の欧州での極右政党の台頭、今年の11月に選ばれたトランプ米次期大統領なんかがいい例である。

ドイツの過去は非常に重い。もちろん、我が日本も同じように。なんたって同盟結んでいたのだから、日本は。でもって、日本はどんどん過去を忘れようとしている。現職防衛大臣が、本日、靖国神社参拝で隣国を刺激。総理が米大統領と真珠湾で追悼式典に出席した翌日に、そんなことするなんて、何という外交センスのなさ。安倍政権は救いようがない。

でもって、コメディ映画のエンディングシーンの音楽が実によくて、DVDで何度も再生して聞いている。映画の原題である"Er ist wieder da"「彼が帰ってきた」というタイトル。この歌の歌詞を覚えて理解できるようにドイツ語を勉強したいと思った。


映画「ジョン・ラーベ」 南京虐殺と日独関係

2015-08-22 19:18:47 | 過去の克服
ドイツ映画だが、映画ではドイツ語のシーンが少なく、ほとんどが英語である。

というのは、この作品は、1937年12月に日中戦争で南京に進軍した日本軍から、南京の市民を守るため尽力したドイツ人実業家ジョン・ラーベと、アメリカ人の医師と教育者たちの実話に基づいたものだからだ。ラーベ氏はアメリカ人と日本人とは英語で会話をした。

ラーベ氏は、南京の中の難民安全区域の管理をする在留欧米人による委員会の委員長となる。当時、日本とドイツは防共協定を結び同盟関係にあったので、彼が委員長になることが都合がよかった。

欧米人であれば、日本軍も容易に手出しはできないという事情を当て込んで、南京市民を守るべく彼らは立ち上がるものの、日本軍の市民への残忍な仕打ちは目に余るものだった。

大衆向け映画ということもあり、ドラマ的効果で創作された部分が見受けられるものの、残忍な行為は事実に基づいている。

映画は5年ほど前にドイツで公開されたが、日本では、当然のこと、一般上映はされていない。私はDVDで観た。

南京虐殺は、捏造説が日本では飛び交っている。映画の最後のところでも、日本では虐殺の規模の大きさを日本政府が認めていないという説明書きがされているほどだ。

ドイツだからこそ、ストレートに描けたのだろう。映画の中では、日本軍の空爆を逃れるためナチスの鍵十字の旗を拡げる場面があり、ヒットラー支配のドイツでありながら、こんな人物がいたという描写が強調されている。

ドイツが戦争中で悪者ばかりであったというイメージを払しょくさせるような内容にもとれた。だが、ラーベ氏は、当時ヒットラーを信奉するナチス党員であり、日本軍の残虐行為を食い止めるためヒットラーに手紙を書いたほどだ。その当時のドイツ人はヒットラーを英雄と思っていたのだ。すでに独裁体制は敷かれていても、まだポーランドを攻撃したりユダヤ人狩りを本格的にする前の段階であったので、ナチズムの恐ろしさを知らない状態だったのだ。

ラーベのようなドイツ人がいたものの、ドイツは、その後、欧州を占領、大量の人間を虐殺する。日本を追随したのだ。

アメリカは、戦後、ベトナム戦争、昨今のイラク戦争と、日本の中国侵略と同じようなことをしている。立場が変われば、人間なんて英雄にも悪魔にもなるということなのだろう。

人間の悲しきサガを想わざる得ない。

ずっとダーク・ツーリズムをしていた

2013-11-14 21:00:43 | 過去の克服
ダーク・ツーリズムという言葉をご存知だろうか。

ツーリズム、観光というとレジャーを意味することが多い。つまり、楽しい思い出をつくるために旅をするということだ。

だけど、それにダークがつくというのは、そこに暗い影をみるということ。つまりは、悲惨な事件や事故があった場所を訪ね、そのことに対し、犠牲者の方々を含め想いを馳せるということだ。最近、自分がそんなことをずっとしていたことに気付いた。

ドイツでいえば、ベルリンでホロコーストの歴史を伝えるという意味を込めて建てられた「石の波」が、その典型である。何百もの石の壁が墓石のようにずらりと並んでいる風景。その地下には、ホロコーストの歴史を展示した博物館施設がある。




そして、そのホロコーストが実際にあった場所であるポーランドのアウシュビッツ。


ナチスに関連していうと、ベルリンではナチスに抵抗したドイツの人々の記念施設もあり、そこを訪ねたこともダーク・ツーリズムの一環だったといえる。その一つが、「ワルキューレ」という名で知られたヒットラー暗殺作戦を企てた軍人が失敗の後、処刑された場所。


それら犠牲者を追悼する施設であるノイエ・バッハ。


なぜ、このようなところを訪ね歩きたがっているのだろうか。それは歳を重ねるにあたって、人生とは気分のいいことばかりでもないということ。世の中とはどうしようもなく醜いことが多いということを知るようになったからだと思う。

だからこそ、きちんと知っておこうと訪ね歩いているのだ。

今年は、その意味で国内で2か所ほど訪ねた。一つは青森県の八甲田山、日露戦争間近の時期に雪中行軍訓練の途中に吹雪に遭い多くの訓練兵が凍死した場所。墓標と記念館がある。


もう一つは沖縄の海軍の豪があったところ。第二次大戦末期、日本海軍の洞窟を掘った豪にもうけられた司令部施設の跡。追い詰められ、豪の中で将校が手りゅう弾で自殺を図った時に破片が飛び散った跡が生々しく残っている。


ダーク・ツーリズムで重要なのは、面白おかしく観るべきではないこと。そんな不謹慎なことはすべきではない。死者に対しては哀悼の意を表すことだ。だが、だからといって、重い気分にあえてなったりすべきではない。むしろ、実直に何がそこで起こったということをみて、ありのままを受け入れるという姿勢が大事だと思う。ある種の思想にとらわれるは禁物だ。それぞれが自律して考えるべきこと。

これからも続けていく。皆様もいかがであろうか。

ドイツ人だって自虐史観は嫌なのである

2013-08-25 22:28:40 | 過去の克服
「ロンメル」という映画をDVDで観た。ナチスドイツ軍の国民的英雄であったロンメル将軍はヒットラー暗殺に関与したという疑いで処刑される。

ドイツ人が制作したドラマだった。過去にドイツ人がつくったドイツ人からの視点のナチス時代の映画を何本か観た。ナチスへ反旗を翻すビラを配り処刑された女子学生ゾフィー・ショルの記録「白バラの祈り」などがそうだ。

ドイツ人も被害者だったのだという視点が色濃い。これは日本の終戦記念ドラマに共通する。

ホロコーストなどのナチスの非業を激しく描いた映画は、知っている限りドイツ以外の国で制作されたものが多いと思う。「シンドラーのリスト」は全編英語で、スピルバーグ監督によって作られている。

ドイツ人自身は、実をいうと、そういうのは自虐的だと思っているのはなんとなく分かる。数年前ドイツを訪ねたとき、ベルリン近郊の収容所のあったザクセン・ハウゼンに行くことをドイツ人に告げると「なぜあんなところに行くのか」と怪訝な顔をされたことを覚えている。

ドイツが過去の克服に熱心だというのは交戦国と陸続きであったという地理的な要因が大きい。ドイツ人がオランダを訪ねると、子供でも石を投げられるということがあったという。周辺国との信用回復は、切実な問題だったのだ。

どこの国だって、自己弁護をしたがるものだ。それでも、自己反省をアピールしなければ生きていけないという切実な状況にさいなまれない限り人はそういうことに積極的に動かない。

それが人間というものなのだろう。