13年前より開始したこのブログですが、この度のgooブログ終了アナウンスを機に、このブログも終了することといたします。gooブログの消滅と同時に投稿記事は消滅します。他のサイトへの引っ越しもありません。
これまでドイツに関しての様々なトピックに関して記事を書き投稿してまいりましたが、多忙なため記事投稿もおそろかになり、つい最近、閉鎖のニュースを聞き、これを機に終わりにしたいと思います。最後に以下の記事を投稿させていただきます。
これはもしかしたら、私がドイツに対して強い興味を抱くようになった根本ともいえる内容だと思います。
つい最近、観に行った映画「ゲッべルス」とネット配信で観た「関心領域」についての論評です。
「ゲッべルス」はナチス政権においてプロパガンダを担当した大臣であった。内容的には淡々と事実を追うことばかりでストーリー展開というものがなく映画作品としては未完成な印象を持った。ただ意外なことが知れた。国民の士気が下がるたびにプロパガンダを製作したがゲッべルスの側からすると思った程の効果は得られなかったことや、ユダヤ人に対する迫害に対して同情する国民が当時から多かったことなどが映画から分かる。
さてもう一つの「関心領域」はナチスの絶滅収容所といわれたアウシュヴィッツの所長だった男の一家が収容所に隣接する場所に居住地を構え何不自由ない生活を送っていたことの驚愕さを表した作品。時折、収容所から聞こえる銃声や雄叫びなどに一家は聞こえても聞こえないふりをする。所長は仕事と家庭生活を見事に切り離したような生き様である。
収容所の過酷なシーンは全く映されないのがある種の映写効果といえる。これは現代において世界中の誰にでも共通することだともいえる。
この映画とその他のアウシュヴィッツをテーマにした映画でも表されているが、周囲に住んでいた住民はユダヤ人に同情的で、収容所にリンゴを置いておいたり、逃げ出した人々に食事を与えたりしたという。内心、間違っていることは分かっているのだけど、表立って行動できない状況がナチスのような悪魔を蔓延らせたということなのだろう。
ナチスについての関心がドイツへの関心につながったのがこのブログの投稿を開始した理由の一つである。
現在、ナチスの犠牲者となったユダヤ人の子孫は新たなホロコーストの加害者となっている。映画「ゲッべルス」の最後のシーンの収容所を生き延びた人の証言は、そのせいか以前ほどは響かなくなった。
ドイツも過去の克服を成し遂げたと思いきや極右政党の伸長が際立ち、恐ろしい過去を繰り返しそうな状況になりつつある。
それはドイツに限らずトランプ政権のアメリカや訳の分からない政党が人気を集めている日本においても同じだ。
歴史は繰り返すというものなのか? 間違った歴史は繰り返してはいけないのだけど。
そんなメッセージを最後に残して、このブログへの投稿を終わらせたいと思います。因みにドイツについては引き続き関心を持ち続けドイツをテーマにした投稿を続けたいと思いますが、それは別のブログにていたします。実をいうと私が長年投稿している別ブログにドイツをテーマとした記事欄があります。そちらをリンクします。この最後の記事をコピペしていますので、よろしければ別ブログにて引き続き関心をお寄せください。
さらば、「独」学日記。Auf wiedersehn! ご愛読者の皆様、Alles Gute!