私の「独」学日記

ドイツ語と、その他、ドイツから学べることをいろいろと語りたいと思います。その他、ドイツと他国との関係から学べることも。

戦前ドイツのヒット曲「リリー・マルレーン」

2023-01-15 15:43:36 | 音楽

この曲はベルリンに住んでいた経験のある人が経営するバーでよく流れていた曲。

マルレーネ・ディートリヒが歌った曲だが、この歌がヒットしていた時代はドイツはナチス統制下にあった。

ディートリヒは、ナチスに絶望してドイツから逃げ出したという。

 

実はこの曲が出てくる小説の構想を練っている。舞台は東京の銀座になり、タイムスリップもの。蓄音機が奏でる「リリー・マルレーン」が小説の一場面に出てくる。

テーマは「新しい戦前」。

昨年は、ウクライナで戦争がはじまり、前首相が暗殺され、台湾有事に備えて防衛費増大とか不穏な時代になってきましたね。

「新しい戦前」にはなってほしくないです。


書評「ドイツ人はなぜ毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか」

2021-12-19 10:09:45 | ライフスタイル

熊谷徹という元NHK記者で在住30年以上になる ジャーナリストのパンデミックにおけるドイツのライフスタイルの変化について記録して日本との違いとその要因について著述した内容である。

日本との違いはドイツでは企業が社員に通勤を強要できないことや、昇給か労働時間の短縮かを個人が選べるということ。残業も強要されないし、残業をさせた上司個人が罰金を払わされるという。

そんなことがどうして可能なのかというと労働運動の成果であるといわれる。また個人主義な国民性も影響しているとされる。

テレワークが普及し労働時間が短いにも限らず、ドイツは日本より生産性が高い。経営者の考え方として長く働けば生産性が上がるとはならない、部下との信頼関係を長時間労働強要で壊してしまうことの方がマイナスになると合理的に考えるからだ。

そりゃま、合理主義の欧米らしいよね。是非とも見習いたいと思うのだが、この本の中で気になる文があったので指摘させて貰うと、国民性の違いを日本民族が農耕民族でドイツが狩猟民族だからと、いうのは明らかな間違いだと思う。

ドイツは日本に比べはるかに農業国で、そもそも小麦のような農産物は欧州から日本が採り入れたもの。パン食なんて西洋農業文化の賜物だ。単純に関連づけるのはいただけない。

文化や国民性の違いでこじつけるのではなく、素直にいいところは学ぶようにすればいいと思う。

 


映画「アウシュヴィッツ・レポート」とアマプラ・ドラマ「ナチ・ハンター」

2021-08-30 12:02:11 | ナチスとは

最近、公開の映画「アウシュヴィッツ・レポート」とインターネット配信ドラマ「ナチ・ハンターズ」について語りたい。

映画「アウシュヴィッツ・レポート」はアウシュヴィッツに収容されたユダヤ人の決死の脱走によるアウシュヴィッツの実態が暴かれたエピソードをドラマ化したものだ。

その実態は凄まじいが、当時は内部で何が起こっていたのか世界には知られておらず、告発を聞いた人も、その内容を聞かされても信じられなかったという結末。映画としてはドラマ性に欠けていたため、いまいち未完成な感じがしたが、そういう実態であったのかがつかめる。やや驚くことに、告発した人はきちんと数字を示す記録で集団虐殺の存在を知らせようとしたということである。

こういう告発には、いつの時代でもエビデンスが必要であるということだろう。

アマゾンプライムで配信されているドラマ・シリーズは1970年代のアメリカが舞台で、最初はフロリダで若いカップルが夫の上司の家のバーベキューパーティーに招待されやってくるところから始まる。妻はその上司がかつて残虐なナチスの一味であることに気付く。彼女はユダヤ人の難民として戦後アメリカに渡った人だったからだ。彼女が「捕まえて」と雄叫びを上げると、元ナチの一員でアメリカ人になりすました男は、即座にその場にいた自分の妻子とゲストたちを銃で殺す。実に驚強い場面から始まる。

そして、ニューヨークにいるユダヤ人青年が祖母が正体不明の人物に殺されるところを目撃する。犯人を追跡するなかで、ナチスの逃亡者を追跡し裁きを加えることをしている秘密組織と出会い、仲間に加わり多くのナチスの残党を追い詰める。

ドラマとしてはスリラーなのかコメディなのかがはっきりしないちぐはぐ感があり、それにエログロ的なセリフや場面で味付けした感じが観ていて不快でならず途中でじっくりと観るのをやめた。場面飛ばしをして要所要所を見てみると最後の結末は仲間にも元ナチがいたというヘンテコで無理があり過ぎる結末。

ドラマの中は70年代の風俗とユダヤ教の逸話や教えが散りばめられており、そういうのを楽しむ要素もあるのだけど、ちょっと消化不良感が否めない。

ドラマ全体から受けるメッセージはナチスは悪者ということより、アメリカもナチスを受け入れていたり、ナチス的な人種主義の蔓延る社会であるということを、それとなく示している。

いかがでしょうか。観てみます? 


バウハウスについて考える

2021-08-02 17:52:27 | 芸術

ドイツにある世界遺産にバウハウスというものがある。

ドイツの都市、デッサウにバウハウスと呼ばれた学校の校舎があり、その建物が世界遺産の指定を1996年に受けたという。

バウハウスとは何かというと今から100年ぐらい前にドイツのヴァイマールというところで発足した前衛芸術の学校である。

それまでの芸術学校と違うのは、工業製品などの実用性を伴ったデザインを学ぶ学校だったという点だ。

その他、建築、写真、家具などに実用性と機能性を掛け合わせたデザインを求め発展していった。

飾りにこったデザインではなくシンプルではあるが見た目のいい姿のものをつくりだすことが主眼になった。

当時、日本人でバウハウスに留学した人は、それが茶道の「わびさび」に似ていると評したという。

質素でありながらも美しいものを作り出すことが重要になった。派手であれば美しいというわけではないということだ。

デッサウではその象徴として当時では珍しいガラス張りの建物が校舎として建てられ、現地の人は水族館みたいだと評した。

バウハウスはワイマール共和国のドイツで発展を遂げたもののナチスの台頭によりデッサウの学校は閉鎖され、ベルリンに移った翌年には閉鎖されてしまう。

前衛芸術は当時進歩的過ぎて保守派の反感をかったからという理由以外に、バウハウスに関わった人々がユダヤ系であったということもナチスの標的にされた理由としてあげられる。

戦後、バウハウスに関わった建築家や家具職人らはアメリカに渡り失われたバウハウスのコンセプトを復活させた。現代では近代建築や家具の定番になっているデザインを世界に広めていったのだ。

このバウハウスには、ある種の歴史的な事象として惹かれるものがある。

世の移ろいというものの象徴といえる事例だからだ。そして、バウハウスに関わった人々のことを想うと心に染み入る情感が湧く。

いつかデッサウにある世界遺産のバウハウス校舎を訪ねてみたい。


映画「マルクス・エンゲルス」 実効性のある改革

2021-07-29 17:48:54 | ライフスタイル

映画自体は退屈なものだった。いまいち、期待外れ。

マルクスが共産主義に目覚めた若き日々を、イギリス人のエンゲルスと共に描いている。

マルクスの時代、ドイツに限らずフランスなどでも社会主義革命の運動は盛んであったが、理念ばかりが先行して現実的な解決策を唱えて戦略的に行動するような運動家は少なかった。

なので、マルクスとエンゲルスは理念を唱えることよりも、実現性の高い運動をしていくための行動をする。

結局、期待していたマルクスの「資本論」に関する話がほとんどなかったためがっくりであった。

ただ、驚いたのはマルクスを支える妻と盟友のエンゲルスはブルジョア階級出身であったということ。

実をいうと、こういう類の運動はブルジョアでないとできないものなのだ。それは「貧乏暇なし」という言葉にあるように実際に苦難を味わっているプロレタリアの人々は、共産主義革命なんかにエネルギーを注げるほどの時間がなければ、そんなことを理解したりする知識を持ち合わせていない。

これこそ、この世の不条理なのかもしれない。