今回(10/29)、公民館のツァーで4年ぶりに、前回は一泊で今回は日帰りで日光方面に行ってきた,台風14号 の影響で天候に心配していたが
当日は、曇りで時々晴れ間があり、前日までは全国的に低温で、秋を通りこして冬に入ったような陽気だったが
比較的に平温で、程好い陽気であった。ちらほら紅葉が目に付き秋らしく、観光地なので混雑を覚悟していたが
平日(金曜日)と台風の影響かそれ程混雑なしであり日程がスムーズにこなし、予定より一時間早く帰宅出来た、
富弘美術館・星野富弘は
群馬県勢多郡東村(現・みどり市)に生まれる。群馬県立桐生高等学校、群馬大学教育学部を卒業し、1970年に高崎市立倉賀野中学校に体育教師として着任したが、2ヵ月後に公務災害(体操部の指導中、宙返りの模範演技で失敗)により頸髄損傷の重傷を負い、肩から下の機能が麻痺する
9年間におよぶ入院生活の間に、1974年12月22日、前橋キリスト教会の舟喜拓生牧師よりキリスト教の洗礼を受け、母親の献身的な看病や看護師、看護学生らの助言を受けながら、口にくわえた筆で水彩画、ペン画を描き始め、後に詩を添えるようになった。
文字と絵がひとつの画面に調和し、独特な詩画生み出して。
東村に村立富弘美術館が開館し、多くの人々に感動を与えるとともに、中学校の国語、道徳の教科書に随筆が掲載されている。2005年4月16日には、新美術館が旧美術館の隣にオープンした 現在も詩画やエッセイの創作活動を継続中
家光廟大猷院
徳川三代将軍「徳川家光公」の没後、その廟所(=墓所)「輪王寺 大猷院」が建立されて以来、「家光公の御尊像」は、本殿の「御宮殿」(国宝)内にひっそりと奉安されている。
本年(平成22年)、家光公360年御遠忌と世界遺産登録10周年を記念して、 日光山のほとんどの堂社を造替したといわれる「家光」公の御尊像を、輪王寺「大猷院」で特別御開帳している、
東照宮の方は、何度か訪れているが、こちらは始めてなので貴重な体験できた。
大猷院は、お寺で東照宮は神院との事である。
境内には、世界遺産に登録された22件の国宝・重要文化財が、杉木立の中にひっそりとたたずんでいた
境内に林立する315基の灯籠があるそうで一部拝見したが印象的あった。
草木湖と紅葉(富弘美術館はこの畔に建っている)
「仁王門」の左右には「金剛力士像」がまつられている。
徳川時代の大名が献上した燈篭がある。
この奥に、三大将軍家光が祀られた、拝殿がある。 四代将軍家綱お手種の「槙」
拝殿の前には御三家(尾張、紀伊、水戸)の燈篭があった、
昼食の名物湯葉定食
当日は、曇りで時々晴れ間があり、前日までは全国的に低温で、秋を通りこして冬に入ったような陽気だったが
比較的に平温で、程好い陽気であった。ちらほら紅葉が目に付き秋らしく、観光地なので混雑を覚悟していたが
平日(金曜日)と台風の影響かそれ程混雑なしであり日程がスムーズにこなし、予定より一時間早く帰宅出来た、
富弘美術館・星野富弘は
群馬県勢多郡東村(現・みどり市)に生まれる。群馬県立桐生高等学校、群馬大学教育学部を卒業し、1970年に高崎市立倉賀野中学校に体育教師として着任したが、2ヵ月後に公務災害(体操部の指導中、宙返りの模範演技で失敗)により頸髄損傷の重傷を負い、肩から下の機能が麻痺する
9年間におよぶ入院生活の間に、1974年12月22日、前橋キリスト教会の舟喜拓生牧師よりキリスト教の洗礼を受け、母親の献身的な看病や看護師、看護学生らの助言を受けながら、口にくわえた筆で水彩画、ペン画を描き始め、後に詩を添えるようになった。
文字と絵がひとつの画面に調和し、独特な詩画生み出して。
東村に村立富弘美術館が開館し、多くの人々に感動を与えるとともに、中学校の国語、道徳の教科書に随筆が掲載されている。2005年4月16日には、新美術館が旧美術館の隣にオープンした 現在も詩画やエッセイの創作活動を継続中
家光廟大猷院
徳川三代将軍「徳川家光公」の没後、その廟所(=墓所)「輪王寺 大猷院」が建立されて以来、「家光公の御尊像」は、本殿の「御宮殿」(国宝)内にひっそりと奉安されている。
本年(平成22年)、家光公360年御遠忌と世界遺産登録10周年を記念して、 日光山のほとんどの堂社を造替したといわれる「家光」公の御尊像を、輪王寺「大猷院」で特別御開帳している、
東照宮の方は、何度か訪れているが、こちらは始めてなので貴重な体験できた。
大猷院は、お寺で東照宮は神院との事である。
境内には、世界遺産に登録された22件の国宝・重要文化財が、杉木立の中にひっそりとたたずんでいた
境内に林立する315基の灯籠があるそうで一部拝見したが印象的あった。
草木湖と紅葉(富弘美術館はこの畔に建っている)
「仁王門」の左右には「金剛力士像」がまつられている。
徳川時代の大名が献上した燈篭がある。
この奥に、三大将軍家光が祀られた、拝殿がある。 四代将軍家綱お手種の「槙」
拝殿の前には御三家(尾張、紀伊、水戸)の燈篭があった、
昼食の名物湯葉定食