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「サリン」検出、今も鮮明=元警視庁科捜研、服藤さん-地下鉄テロから20年

2015-03-16 13:37:56 | 社会

 「サリン」検出、今も鮮明=元警視庁科捜研、服藤さん-地下鉄テロから20年


  地下鉄サリン事件当時、警視庁科学捜査研究所係長としてサリンを検出した服藤恵三さん=警視庁

   「サリンの可能性は頭にあった。それでも驚がくした」。首都の地下鉄が化学テロに襲われた1995年3月20日。警視庁科学捜査研究所の薬毒物担当係長だった服藤恵三さん(57)=医学博士=は、まかれた液体からサリンを検出した。20年前、危険を感じながら急いだ鑑定作業を今も鮮明に覚えている。
  あの日。普段通り東京・霞が関の科捜研に出勤し、白衣に着替えた。15分ほどするとサイレンが聞こえ、音は増え続けた。無線を聞きに行くと、「築地駅で多数が倒れている」。他の複数の駅も同じ状態らしい。緊急鑑定の準備を始めた。
  午前9時5分ごろ、築地署の刑事が飛び込んできた。「車両の床から拭き取ってきました」。手には3重のポリ袋。薄い茶色か黄色の、湿った脱脂綿が入っていた。
  現場の様子を「けいれんする人、泡吹く人、意識のない人がいた。共通して『暗い、暗い』と訴えています」と説明し、続けた。「実は私も暗いです」。刑事の瞳は針穴のように縮んでいた。
  「有機リン系毒物だ」。屋上へ駆け上がった。手袋とマスクを忘れたことに気付いたが、「3分も惜しい」。風上を背に作業に取り掛かった。
  1枚目の袋を解いて三角フラスコを入れ、ピンセットで脱脂綿を落とした。手に付かぬよう、袋の上からフラスコを持った。同34分、装置が分析結果を出した。
  「サリン」
  前年夏に長野県松本市でまかれたものだ。震えも脂汗も出なかったが、頭の中で「やはり」と「なぜ」が錯綜(さくそう)した。
  数日後に特命を受けた。「オウム真理教の科学を解明してくれ」。押収した資料を読み込み、教団施設に足を運んでサリンやVXガスの製造工程を解明。禁止薬物や銃の密造も突き止めた。
 


オウム真理教の施設「第7サティアン」内部で、サリン生成プラント最終工程を検証する警視庁科学捜査研究所係長(当時)の服藤恵三さん=1995年4月、山梨県の旧上九一色村(服藤さん提供)

   翌年4月、研究員から警察官に身分を変え、新設された「科学捜査官」を拝命。98年に和歌山市でカレーにヒ素が混入された事件を始め、多くの重大事件で科学的な立証を支えた。
  2003年には自ら立案した「犯罪捜査支援室」の初代室長に就任した。同様の部署はその後全国の警察で設置。現在は警察庁の総括課長補佐として、支援や分析の向上に取り組んでいる。
  「オウムがどんな理論であんな行動をできたのか。被害者にどう償うのか」。20年たった今も疑問は解けない。この間にインターネットが普及し、犯罪に悪用されうる情報もあふれている。服藤さんは「いつ何が起きてもおかしくないという意識を、警察は持たねばならない」と語った。



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