1979records DIARY ~everyday be happpy~

音楽・映画・ファッションに、いつも・いつまでもワクワクしていたい30代独身男子の日々の泡。

夭折

2005年04月23日 | Weblog
いったい何歳までに亡くなることを言うんでしょうか。
とりあえず、20代までは言えるとは思うんですけど。
もうすぐ約2年振りにバイトを始めるわけなんですけど、
やっぱり自分の生活のバックボーンにはでっかく自営業ってもんがあって。
当然経営者である父親との確執や、人に言えない家庭問題、色々とある訳です。
そんなもの誰にでもあるとは思うし、
どうでもいいやと思えば、思ってればどうでもいいんですけど・・・
そうも放っておけない日もある訳で。引っ掛かる日もある訳で。
年齢も年齢だし、未だに実家住まいだし。
友達もまともにいない。
一緒に遊びに行ったりとか、「普通の友達」がいない。
職場での付き合い、そればっか。
こんな自分にも去年秋彼女が出来た。それはもう本当に奇跡的なことで。
人生が一気にパーーッと明るくなったような、そんな気がしていた。
最高に楽しかった。幸せだった。幸せ過ぎた。(精神的にね)
でも程なく別れてしまった。

高校まではよかった。なんとか。
問題は大学時代。予備校出て入学してからすぐ。
人付き合いが極端に苦手になって、対人恐怖(今でも少しある)、
視線恐怖(これも)、不登校、半引きこもり状態、
(その時やっとのことで始めたバイトで救われた訳だけれど)
一人暮らしから実家に戻る、大学中退。
そして今、自営業手伝い。に伴う父親との確執。職場での色々な人間関係。
人間だから、誰にでもいい顔は出来ない。
でも目立つ、代表的立場だからそんなことは許されず。

明日の朝目が醒めなければ、と思うことしょっちゅう。
俺は一体、何が本当にしたいんだ?
本当にやりたいことをやっているか?
何のために俺は生きている?
俺の人生は俺自身で楽しんでるのだろうか?
いつになったら独り暮らし出来る?自立出来るんだ?
高校時代のあの夢はどこにいっちゃったんだ?とか・・・
ふう・・・青臭い悩みかもしれませんが 汗

そういえばDragon Ashのとある曲の歌詞で
「ここに立ってる意義が欲しかった、だから俺等必死で戦った、勝ち取った」
「またここに立ってみる、少し誇らしげな顔の自分がいる」
っていうのがあって。
すんごく染みた。胸に。心に。
彼は父親が言わずもがな名俳優。裕福で何不自由なく育ったんだろう・・・けど、
常人じゃ計り知れない程の葛藤・確執・悩み・苦労があったに違いない。勿論今でも多分。
そんな彼が言っている言葉を最近聴いて、ちょっと、いやかなり励まされたりした。

日々せわしなく生活してれば悩む時間なんてないんですけどね。
バーーーッと忙しい日が続いて、突然ポッと休みになって部屋で(疲れてるから)
休みながらくつろいでたりすると・・・色々考えてしまう。

それにしても30代の自分なんて考えられないなあ。
怖いなあ。
そういえば、近所の幼馴染みの友達がいて、彼と僕がまだ小学生だった頃
彼の兄が突然亡くなった。
それも、朝起きて呼んでもなかなか返事が無いので寝室に行ってみると
安らかな表情で眠るように亡くなっていたとか。既に発見された時は冷たくなっており、
心臓も停止していたらしい。
その時の彼の落ち込み、母親の落ち込みは物凄かった。今でも思い出すと時々辛くなる。
弟の面倒見がよくて、勉強熱心、スポーツ万能、世話好き、優しくて誰からも好かれる、
本当にいいお兄さんだっただけに・・・
正に夭折だった。

不謹慎になってしまうけれど、ホント、どうせ亡くなるのなら、
明日の朝目が醒めなければいいのになあ・・・って思ってしまう。
眠るように。

何か、疲れた。色んなことに。

いつもとある用事があって毎週木曜と金曜に行く浦和で、
とある駅の窓の外に、先週とっても綺麗な満開の桜を見つけた。
見ていて思った。
やっぱり、せっかく生まれてきたからには・・・何か一花咲かせて・・・
それで潔く?永眠したいなあ なんて。

今晩のBGMはエレファント・カシマシ『ライフ』から「あなたの優しさをオレは何に例えよう」
「敗北と死に至る道が生活ならば」っていう歌詞の一部が、何か宮本氏の人生観を
如実に、でも物憂げに儚く表している。彼はやっぱりどこかブラックだ。