さて、旅行も2日目です。
昨日の観光バスで主要なところは回りましたので
本日は、資料館などを回ろうと思います。
そこで、登場するのが
循環バス「るんるん」1日フリー乗車券
30分ごとにバスが回ってきます。
コースも
平泉駅前
↓
毛越寺
↓
悠久の湯(ホテル武蔵坊坂下)
↓
平泉文化遺産センター
↓
中尊寺
↓
高館義経堂
↓
無量光院跡
↓
柳之御所
↓
平泉駅前
と、すばらしいコースです。
始発の10時15分平泉駅からスタートです。
先ず、バスにのると旦那様とぶーくんの2人しか客はいません。
運転手さんが、
今日はどこへ行くのか聞いてきたので、
中尊寺や毛越寺は定期観光バスで回ったと伝えると、
運転手さん「いいとこ、みんないっちゃんたんだ~」(標準語訳)
今日は、昨日行っていない資料館や夢館、義経堂に行こうと思ってますと伝えると
運転手さん「文化遺産センターは名前が変わったんだよ」(標準語訳)
そうこうしているうちに、
文化遺産センターに到着である。
運転手さん「30分もあれば十分みれるから、見終わったらここで待ってるんだよ」(標準語訳)
と、バス停を指さした。
親切だね~と、旦那様と話しながら
文化遺産センターへ
中に入ると学芸員のお姉さんが、
金鶏山や展示について説明をしてくれた。
しかも、入館料はタダ!!
こちらは、奥州藤原氏の栄華の軌跡を資料と出土品などで紹介してます。
藤原清衡から始まり、二代目の藤原基衡、三代目の藤原秀衡
藤原氏を滅亡させた藤原泰衡についての説明です。
20分くらいで見学も終了して、
バス停で待っていると「るんるんバス」がやってきました。
すると、運転手はさっきのおじさんです。
運転手さん「どうでした?」
まあまあですと、答えると、運転手さんが「そうでしょう」と一言・・・
そして、お次は「ゆめやかた」
運転手さんが、中尊寺の駐車場からエスカレーターがあるからそれに乗ればいいですよと、
教えてくれた
今一、意味が分からなかったんですが
なるほど!!
本当に、駐車場からエスカレーターが出てました。
エスカレーターに乗って
、「ゆめやかた」へ
こちらは、蝋人形でその時代の風景を再現しています。
かなりのリアリティで圧倒されます。
入ると、いきなり
「前九年の役」という戦争のシーンから始まります。
背後に視線を感じて、振り返ったら兵の人形がしゃがんでいて
ついつい、悲鳴を上げてしまいました・・・・・
さらに、清衡(きよひら)の父の出陣シーンや斬首されるシーンが続きます。
清衡の成長が再現され、
成人してからの、闇討ちシーンなど
さらに、「後三年の役」の勝利から奥州藤原氏の栄華が表現されます。
三代目、秀衡と源義経の出会いのシーンが続き、
義経が、兄である頼朝の元へ駆けつけるシーンである。
秀衡(ひでひら)の死と
平泉の滅亡で締めくくられています。
義経の写真でも分かるとおり、かなりのクオリティです。
清衡は戦いのない今浄土を平泉につくろうとして、
以後、奥州藤原氏は平和な国づくりをしてきた。
四代目の泰衡(やすひら)は源頼朝に義経をかくまうと同罪で平泉を攻めると言われ、
義経を自害に追い込みますが、
戦争を起こしたくないために義経を犠牲にしたのか、
ただ、この時点で義経を討ったところで、頼朝のバックには北条が居るのだから、
結局攻めてくると思わなかったとなるとただの考え無しのような気もする。
この時、義経を立てて戦ったらどうなったんだろう?
平泉と鎌倉は逆転したんでしょうかね・・
そんな、詮無いことを考えながら館をでました。
お昼を食べてからバス停へ、
実はこのバス停のちかくに、弁慶の墓と言われているとこがるので
いってみました。
バスを待っていると、るんるんバスがやってきました。
やっぱり、おじさんでした。
お次は
高館義経堂(たかだてぎけいどう)です。
ただ今の時刻は12時5分ですが、このあとは12時55分までバスがないとのこと、
運転手さんが「義経堂っていっても山登って景色見て像を見るだけだから、
このあとは、歩いて次ぎのバス停に行った方がいいよ、まっていてもいいけど、
なにもないからね~」と、教えてくれた。
たしかに、このバス停の周りは畑しかありません。
バスをおりて山を登り始める。
前夜の雨で、結構危険な道となってました(滑る)
高館(たかだて)は、義経の屋敷があったところで、
藤原泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害をしたとの事。
山を降りると、確かにバスが来るまでの時間がたっぷりある。
せっかくなので、ゆったりと歩いてみる事にした。
てくてくあるいていると、千葉さんという名前が非常に多い事に気がついた。
しばらくあるくと、バス停を発見である。
「無量光院跡」(むりょうこういん)
三代秀衡が建立した寺院だそうだ。
吾妻鏡に宇治の平等院を模して三代秀衡が建立したと、書いてあるそうだ。
現在は、発掘調査中です。
さらにあるくと、最後の目的地
「柳之御所遺跡」こちらも、三代秀衡が建てたとのこと。
資料館があるので、見てみるとなかなか面白い。
とくに面白かったのが、
「ちゅう木」というもの。
うすくて細い木なのだが、今で言うトイレットペーパーのようなもの(硬いけど)
で、なにがツボだったかというと、
以前、前田慶次郎の本を読んでいたときに、
慶次郎の失敗談が載っていた。
それは東北へ行ったとき、「ちゅう木」を見て
これは何に使うのか?と、問うたら”ちり紙”のようなものだと言われて
鼻をかんだとうエピソードを思い出したのだ。
見学をして、時間を見ると1時である。
丁度、バスの時間でした。
バス停にいくと、例の運転手さんが運転するるんるん号がやってきた。
結局、今日一日おじさんに案内してもらったようなもの。
駅に着くまで、運転手さんが中尊寺の子供の頃の思い出などをきかせてくれました。
帰りの新幹線までは、まだ時間があるので
一関博物館に行く事にした。
タイルのようなものが貼ってあり、
義経や弁慶が描かれてました。
平泉から一関へ移動です。
一関博物館は前日行った、厳美渓の近くです。
さすがに、奥州藤原氏や義経は他の資料館で扱っているからか
一関博物館のメインは
大槻三賢人の蘭学の大槻玄沢・辞書の大槻文彦など
そして、
舞草刀(もくさとう)といわれる、刀の先祖の制作工程が紹介されていた。
何振りかの舞草刀も展示されていました。
そういえば、先日の川下りの際、砂鉄や砂金が採れたという話を思い出し、
なるほど!砂鉄のあるところで鍛冶が発達するわけですね。
鎌倉に名刀正宗があるのと同じとうことでしょうか。
さらに、この博物館で
千葉さんの元の名が”平”さんだと知りました。
領主の家紋の変遷が書かれたブースがあり確かに平家の蝶が描かれていた。
しかし、このあたりはぶーくん勉強不足です。
これからの課題です。
博物館を出ると今度は
「サハラガラスパーク」へ行ってみました。
とても、手が出ないようなガラス製品をみて目の保養です。
せっかく厳美渓に来たのでまただんごを食べようと思ったら
かっこうだんごさんは、もう
赤旗がでてました。
完売の印です。
近くの茶屋に入り
抹茶とだんごをいただきましたが
この日はとても暑く、汗をたっぷりかきました。
よって、塩分不足のようです。
おぞうにです。
苦手なキノコが入ってましたが、キノコをのぞきながら食べました。
大変おいしかった。
不足した塩分も摂取してまた散策開始です。
厳美渓は橋を挟んで女性的な流れと男性的な流れにわかれていて
こちらは女性的な流れです。
前夜の雨で、水も増えていて昨日より美しく光ってました。
そうこうしていると時間です。
一関に戻り、このツアーについている駅弁を取りに行きます。
義経弁当といくら弁当をいただきました。
しかし、旦那様はこちらの牛めしが食べたいとのこと
こちらの弁当は、紐を引っ張るとスチーム見たいのが出て
弁当があたたかくなります。
と、いうことでこちらの
2つはぶーくんがぺろりといただきました。
こちらは旦那さま、おいしかったそうです。
そして、”はやて”は仙台で”こまち”とドッキングして東京へ帰りました。
百聞は一見にしかず、と言うが旅行をすると本当にそうだな~と思うぶーくんでした。
帰って来たら、すっかり義経かぶれになりました
同じ下絵で塗り方変えてみました。
結構雰囲気変わります。