これはなんだ、買収行為がまるで選挙不正から逃げている某政治家にそっくりではないか!今日のドラえもんはめっちゃ風刺が効いてる!
浜名湖に続いては浜松。おー、林田アナのピアノ演奏キターッ!と言う訳でお題は楽器の町。おぉ、凧上げは朝ドラ「とと姉ちゃん」のオマージュだな。
神社へ。東照宮?徳川ゆかりの町だった。家康と秀吉はその間に立つタモリさん:-) 浜松の地名も家康が名付け親。富士山でお世話になった先生、あの頃は近江アナだったからな。なるほど、天竜川が作った河岸段丘だったか。武田家を見張るには良い場所。
うなぎ以外に浜松名産?昔はすごいわ、年に1度も洪水があっても農業やり続ける我慢強さ。かつては綿花が名産だった。そのための秘策が棚になった畑。
なるほど、綿花と来れば織物産業も始まる。木工が発達しますね。
明治維新になるといよいよ楽器作り。林田アナの軍楽隊ははずれましたが、教育用のオルガンでした。そこからヤマハの創業者がピアノ作りへ。明治33年に国産ピアノ第一号。
あら、凧はとと姉ちゃんじゃなくてちゃんと本題に関係していたのか。何かと言うと、木材を乾かすために空っ風楽器重要だったと。で、その木材は天竜川上流の南アルプスから。条件が揃いましたね。
ピアノ工場へ@掛川。ピアノ独特の曲線はどうやって作っているのか?薄い板を重ねて曲げる。さらに木材が音色を決める。ピアノ1台作るのに3年かかるって(汗)。
次はなんと航空自衛隊訪問。ここは一般人は入れないよなあ。やはり軍楽隊ではなく、プロペラに技術が利用されていたと。と言うか、昔は木材でプロペラが作られていたのか!
で、金属プロペラに進化、その技術が今度は管楽器に応用されると。てか、世界の管楽器の3分の1を生産してるってすご過ぎる!トランペットになったらタモリさんの出番です。
#次回は四万十川。
神社へ。東照宮?徳川ゆかりの町だった。家康と秀吉はその間に立つタモリさん:-) 浜松の地名も家康が名付け親。富士山でお世話になった先生、あの頃は近江アナだったからな。なるほど、天竜川が作った河岸段丘だったか。武田家を見張るには良い場所。
うなぎ以外に浜松名産?昔はすごいわ、年に1度も洪水があっても農業やり続ける我慢強さ。かつては綿花が名産だった。そのための秘策が棚になった畑。
なるほど、綿花と来れば織物産業も始まる。木工が発達しますね。
明治維新になるといよいよ楽器作り。林田アナの軍楽隊ははずれましたが、教育用のオルガンでした。そこからヤマハの創業者がピアノ作りへ。明治33年に国産ピアノ第一号。
あら、凧はとと姉ちゃんじゃなくてちゃんと本題に関係していたのか。何かと言うと、木材を乾かすために空っ風楽器重要だったと。で、その木材は天竜川上流の南アルプスから。条件が揃いましたね。
ピアノ工場へ@掛川。ピアノ独特の曲線はどうやって作っているのか?薄い板を重ねて曲げる。さらに木材が音色を決める。ピアノ1台作るのに3年かかるって(汗)。
次はなんと航空自衛隊訪問。ここは一般人は入れないよなあ。やはり軍楽隊ではなく、プロペラに技術が利用されていたと。と言うか、昔は木材でプロペラが作られていたのか!
で、金属プロペラに進化、その技術が今度は管楽器に応用されると。てか、世界の管楽器の3分の1を生産してるってすご過ぎる!トランペットになったらタモリさんの出番です。
#次回は四万十川。

さて川口市銭湯に本腰、川口元郷の元郷湯へ。霞ヶ関からは千代田線と南北線を乗り継いで。もちろん川口元郷で降りるのは初めて。目印の郵便局はすぐに見つかったが、コンビニがない。それでも川と橋はあったので方角に間違いはないだろう。と言うことで順調に7~8分で見事な煙突発見。建物も地方銭湯らしい渋い造りの三角屋根。
フロントの大女将に湯銭430円を。下駄箱の鍵は預けなかったが、脱衣ロッカーの鍵を受け取る。体重計はHOKUTOW のアナログ。それにしても、実によく簡素と言うか、装飾の類いは一切ない。
浴室へ。湯道具はケロリン桶と水色台形座椅子。座椅子は他にもピンクやクリーム色、形も様々。
島カランは1列、カラン数は右側外壁側から8・5・2、左側女湯側は浴槽。浴室もまた簡素、ペンキ絵はもちろんない。天井は外見通り三角、つまり女湯側が高くなっており、そこに湯気抜き窓があると言うユニークな構造。
浴槽は2槽、右側浅湯は手前に突き出ていてさらに右隅が三角形。中央に床バブル。左側深湯は座風呂二人分。いずれもかなりぬるめ、40度あるかないか。それもそのはず、何しろ露天風呂があるのに、燃料節約のため中止、と貼り紙にある。これはちょっとヤバ銭の匂いがする、早めに行っておくべき銭湯(駅からは近いので頑張るべし)。水風呂は冷たかった、あと、スチームサウナ。
湯上がり、待ち合いスペースで明治コーヒー140円。おっ、NHKで清原果那ちゃんのドラマ始まった。

今年もウズベキスタン協会の新年会へ。内幸町のプレスセンタービル。30分以上前に着き、関係者席にはならない程度に前の席へ。協会誌の去年のウズベキスタンツアー旅行記を読みながら開会を待つ。今年は満席になったと言う、去年のウズベキスタンの露出が多かった事の影響がはっきり出てる。しかし、非会員なのにもう5~6回参加してるな、そろそろ入会した方がいい?
今年の大使代理のあいさつ、すべて日本語で素晴らしい(例年はロシア語で通訳が着いていた)。トークショーのプレゼンターも幅が広く、交流関係が着実に進んでる印象。柴村さんのお話、ウズベキスタンのプロサッカー層の厚さに驚いた。ディーリャさんの日本の食卓にウズベク料理普及の夢、松屋でジョージア料理が提供されてる現在、十分に現実性がある。
ギジャク演奏、非常に哀愁のある。西アジアの演歌と言う感じ。ギジャクと言う楽器の音色は中国の胡弓に近いかな。そして恒例のグリスタンの民族舞踊。後ろの方の在日ウズベク人の方たちが踊り出した、たぶん結婚式とかで披露されるような出し物で、みんなも普通に参加するものなのだろう。
さて後半の立食パーティ、これはすごいことになった。バリバリの国際協力好きの金融系のお姉さん、攻め上手と言うか、勢いでウズベク大使館員と名刺交換。自分1人だったらこんなに攻められなかったよ、感謝。当然ウズベク人留学生も優秀な人たち、こちらも機会があったらぜひお力添えを、と攻めて来る。そんな訳であっという間に時間が過ぎた。プロフも修了際に慌ててかきこんだ感じ(動物性油たっぷりで日本語にはちょっと重いが、野菜とバランス良く食べるととても美味しい)。
さて名刺交換はしたが、そこからどうやって展開するか。