
そういやラファエル前派がテート美術館のコレクションだったが、去年のターナー展もテート美術館のコレクションだった。
さて隣の?森美術館でアンディ・ウォーホル展。隣と言っても食事にヒルズの外にいったん出たが、戻ってくる。先ほどのラファエル前派展もかなり若い客層だったが、こちらは更に若い。と言うより、もはや美術展の客層とは違う感じ、強いて言えばデートカップル率が8割くらいでTDRに来てる感じ(全然“強いて”ではないw)。ただ、強烈に芸術系のオーラを発する若者もいて、いかにもポップアートアイコンの展覧会。個人的にはあんなふうにガッツリとオシャレを決め込むのもなんだか時代遅れな気がする、ポップアートなんてある意味生活に密着したアートなんだから、そんな風にかしこまって観賞する気はない。
そんな人気もあり、更に午後になってしまったため、混み方も尋常ではなくなった。と言うか、能書きの類いを部屋の四隅に掲示するのはやめて欲しい、人が詰まって読めないし進めない(汗)。
最初はデッサン類。完成作品ではないので流して観賞したいが、人が詰まって進まない。写真類も芸術写真ではなくウォーホルの交流の広さを語るためのセレブリティとの記念撮影なので、それらも流したいのだが。カップルで来ちゃいかんとは言わないが、2人で作品の前を占領するのはマナーとしてやめて欲しい(脱線)。
まあポップアート評はこれまで書いてきたものとそう変わる訳ではない。今回気づいたのは毛沢東ポートレートで中国共産党のアイコンを資本主義のアイコンに取り込んでしまった作品で、なるほど、ポップアートも商業主義のプロパガンダから生まれた文化であり、その意味では社会主義のプロパガンダの役割を果たしたロシアアバンギャルドと対をなすアート運動と言えるのかも、と。まあ20世紀の芸術作品と言うのは、いやがおうにも複製技術の影響は避けられず、ポスターのような大量複製されることが前提の作品になり、それはやはり政治的プロパガンダにも利用されやすい。
例えば、彼の言葉に「人は誰でも15分間有名になれる」と言うのがある。当時のテレビと言うメディアの普及からそういう予言が出たのだと思うが、ネット時代に入るとますますその言葉はリアリティを帯びてきた。それはポップアートと言う枠にとどまらない大きな社会現象である。つまり、ポップアートも今ほどではないが、当時からそれ相当の規模の社会現象だったのだと思う。
社会主義的ロシアアバンギャルドも、商業主義的ポップアートも、複製文化時代にはますます宗教性を薄めてしまっている。一方、ウォーホルはカトリック信者としてヨハネ・パウロ2世と謁見している写真も展示されている。複製によってアートを大衆化し、神に代わるアイコンとして多数のセレブリティを被写体に選んではいたが、むしろポップアートスターになった背景にそうした敬虔な信仰心と表裏一体になっていたことは書き記しておく意味は十分にあるだろう。
と言う訳で結局六本木ヒルズで1日過ごしてしまった。さっさと帰ろう。