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DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

私にとってブログは「放送局」です。常に発信していなくてはならない。 発信が止まったらそれは「放送事故」です。

ユリシーズの瞳@新文芸坐

2012-03-13 23:45:53 | 映画・演劇・美術
 今週は池袋・新文芸坐でテオ・アンゲロプロス特集がある。大作志向の名監督の追悼上映。ロシア語学校とあわせてハードなスケジュールをぬって約3時間の大作を鑑賞。
 果たして、舞台挨拶もなしにレイトショーがほぼ満杯になるとは予想以上だ。中高年も若い人もまんべんなくいる。
 過去に1回観ているようだがいつどこで観たかは全く覚えていない。主人公が幻の映画を探し求めてバルカン半島の国々を旅する物語。そして旅する先はほぼ常に戦場である。武器を持たない丸腰の主人公が目の前で展開する数々の悲劇を淡々と描く。
 長回しのシーケンスが映像の確かな歴史性を裏付ける、偶然で出来事は重ならない、不条理な歴史も全て因果がつながってできていることを証明するために。
 一般的に、映画で戦争をむごたらしい悲劇として描くと、人は怖いので観たがらない。その結果、戦争を美化してしまうような映画で興業成績を上げるという本末転倒が起こる。アンゲロプロスは度重なる戦争の悲劇をねじ曲げず、決して美化することなく、しかし高い芸術的完成度で鑑賞者に語りかけることのできる稀有な作家だった。だが、彼のような才能が稀有でしかないことは人類にとって残念なことだ。彼のような卓越した語り口で戦争の悲劇を誰もが語れたなら、きっと人類は戦争を止めることができたかも知れないのに。
 巨大なレーニン像がドナウ川を船で運ばれるシーンが個人的に何と言っても強烈に印象に残る。あの白石膏の銅像はセリフなしで20世紀に悲劇からついに逃れることのできなかったバルカン半島の歴史を語り尽くしてしまう。銅像ばかりでなく、人物もセリフのないシーンで多くを語る。映画上映に反対する市民の無言の圧力、映像作家の表現力の真骨頂を垣間見る。



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