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DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

私にとってブログは「放送局」です。常に発信していなくてはならない。 発信が止まったらそれは「放送事故」です。

ジャン=リュック・ゴダール 反逆のシネアスト@盛岡ルミエール

2023-11-04 16:32:49 | 映画・演劇・美術
#今日もなんかうまくいかない日だなあ。北上線無料乗車券は配布終了、何しに北上まで行ったんだか。錦秋湖の紅葉楽しみにしてた来週の予定どうしよう。傘もなくしかけたし。
と言うことで、盛岡に戻って、映画館へ。昨年亡くなったゴダールの追悼映画は観となかいと。そろそろSPYxFAMILY劇場版の前売りも出そうだし。盛岡ルミエールはサンダーバード映画以来かな。
観客は少ない。やっぱり盛岡では受けなさそうだな。
なんというか、見れば見るほど、ゴダールの歩んだ映画道はロック史に瓜二つだ。ビートルズから少し遅れて映画史に登場した彼、ずば抜けた才能で映画をひっくり返し、その後も激しく浮き沈みを繰り返しながらも、映画史に大きな衝撃と足跡を残す。
ロックとゴダールにほとんど接点はない。YMOが中国女を引用したことくらいしか、私は寡聞にして知らない。英仏海峡を隔てて、全く異なるアプローチをしているにもかかわらず、ロック史とゴダール史(映画史ではない)はそっくりだ。一方はベトナム戦争を批判し、他方は共産主義を「革命」の名の元に、称賛するような皮肉を送るような政治的語り口を見せる。
孤高、という意味では、ロックよりもサリンジャーみたいなビートニク文学と比較すべきなのか?でも80年代、90年代にも金字塔的作品を送り出したゴダールは、ロック的だ。そして、ロックと違うのは、欧米諸国だけでなく、共産主義圏にまで影響を与え、受けていること(ウォーホルのポップアートか?)。
相似形であることは感じ取ったが、謎は謎のまま。少なくとも、20世紀後半からのサブカルチャーの百花繚乱の中の、映画という文化の全てがゴダールだった。それ以上でもそれ以下でもない。


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