DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

カオスとポストトゥルース

 今月の現代思想の特集は、ポストモダン。なぜ今ごろポストモダンなのか、よく分からなかった。しかし読み進めるとぼんやりと分かってきた。
 確か、カオスとかエントロピーとかが流行ったのは、1980年代のポストモダンブームの頃であった。要するに、数学の世界でも唯一解が見つからないと言う話になり、(逃走論的な)思想の多様性が生まれた。しかし、今日、そうした思想の多様性は、ポストトゥルースとして、思想的議論が相手のバックグラウンドを否定し合って(ポストモダンは左翼側の思想だったが、反知性主義と言う形で羽翼側に利用されていると言う捻じれもまた奇妙なことである)、並行状態から抜け出せないカオス状態となっている。そんなカオス状態では鬱になる人、引き篭もりになる人が増えるのも当然だし、SNS参加者のわずか1%で盛り上がる議論も、選挙になれば低い投票率、社会全体がうつ病状態。だからそんな状態を1980年代にさかのぼって見直しましょう、と言う話。
 もはや数学的(理論的)にも唯一解が見いだせない世界。民主主義と相容れないポスト共産主義解台頭し、性や人種の多様性を認める中で、平然と顔を出すヘイトスピーチ。もはやオリンピックすらも、世界平和を願う人々が連帯する場ではなくなり、資本主義にも毒されパンデミックの危険な実験の場と化した。
 盛岡に来たことで、東京的なカオスからは少し距離を置けたかもしれない。しかしこっちにはこっちの、つまり地震や豪雨洪水のような危機感はあるし、仕事だってどうなるか分からない綱渡り。そして、地元に戻ったら、きっと課題が山積みだ。
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