今週は富士の麓。と言うか富士吉田市ですね。昔は富士登山競走参加のため毎年通ってました。
忍野村からスタート。そうか、去年の富士登山は静岡側から(当時は近江アナではなく桑子アナでした)、今回は富士吉田口から。そうか、富士講は吉田口から登りますね。
忍野八海はどうして世界遺産になったか?町起こしでしたか。さらに吉田町へ。
おぉ、一の鳥居だ懐かしいなあ。浅間神社ももちろんコースです。神職・御師の住む町、上吉田。現役の御師に会いに行く。
坂道マニアのタモリさん、裾野道が楽しそう:-)なるほど、御師の館は通りの奥にあると。なぜ御師団の人がリーゼント?(笑)
いよいよ現役御師の家へ。なんなんだ、生涯55回も富士山登る人って?w
庭の滝がすげー!神楽を舞った記念の額縁の数!へー、弁当箱か。いや登山道にコンビニはないですよ:-) おぉ、タモリさん富士の麓でコスプレ>ハロウィンか?w
版木作り、タモリさん降りてますね:-) 名言出た!気合いが入って汗をかいてるタモリさん:-)見事な版画完成です。60年に1度!>庚申の年1860年 なるほど、この年にそれまで二合目までしか登れなかった女性が富士講にも参加するようになったのか。
「富士山最大の玄関口はどうできた?」、御師の町であることはよく分かりました。
浅間神社がずれている理由、御師の家の奥に川、雪代の跡でした。浅間神社下は古吉田。上吉田へ町がまるごと移転したのですね。
でも雪代が運んだ土砂のおかげで人が住める土地に、それが上吉田。しかし、治水が難しく、桂川から引水。溶岩の下の柔らかい土砂を掘ったのですね。と言うことで地下道に潜入。中は確かに固い溶岩と柔らかい土石流の境目。
昔の人も地質をよく理解していたんですね。
#おっ、ついにブラタモリが大阪初上陸!絶対に1回や2回じゃ終わらないな。
忍野村からスタート。そうか、去年の富士登山は静岡側から(当時は近江アナではなく桑子アナでした)、今回は富士吉田口から。そうか、富士講は吉田口から登りますね。
忍野八海はどうして世界遺産になったか?町起こしでしたか。さらに吉田町へ。
おぉ、一の鳥居だ懐かしいなあ。浅間神社ももちろんコースです。神職・御師の住む町、上吉田。現役の御師に会いに行く。
坂道マニアのタモリさん、裾野道が楽しそう:-)なるほど、御師の館は通りの奥にあると。なぜ御師団の人がリーゼント?(笑)
いよいよ現役御師の家へ。なんなんだ、生涯55回も富士山登る人って?w
庭の滝がすげー!神楽を舞った記念の額縁の数!へー、弁当箱か。いや登山道にコンビニはないですよ:-) おぉ、タモリさん富士の麓でコスプレ>ハロウィンか?w
版木作り、タモリさん降りてますね:-) 名言出た!気合いが入って汗をかいてるタモリさん:-)見事な版画完成です。60年に1度!>庚申の年1860年 なるほど、この年にそれまで二合目までしか登れなかった女性が富士講にも参加するようになったのか。
「富士山最大の玄関口はどうできた?」、御師の町であることはよく分かりました。
浅間神社がずれている理由、御師の家の奥に川、雪代の跡でした。浅間神社下は古吉田。上吉田へ町がまるごと移転したのですね。
でも雪代が運んだ土砂のおかげで人が住める土地に、それが上吉田。しかし、治水が難しく、桂川から引水。溶岩の下の柔らかい土砂を掘ったのですね。と言うことで地下道に潜入。中は確かに固い溶岩と柔らかい土石流の境目。
昔の人も地質をよく理解していたんですね。
#おっ、ついにブラタモリが大阪初上陸!絶対に1回や2回じゃ終わらないな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます