欺瞞的善人の悲哀

欺瞞は汚いので消します。カレーはポークです。 この世の「最良の精神たち」よ さあ共に闘おう!

「宗教離れ」と「貧・病・争」

2010-03-30 13:48:55 | 破壊的カルト・宗教
「宗教離れ」と「貧・病・争」 
産経新聞 2010.2.22 07:50
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100222/acd1002220755004-n1.htm

戦後に急成長した某新宗教の幹部に聞いてみた。「信者さんの数が増えているのでは?」
「いやいや。それどころか、お布施が減って大変です」 新宗教、伝統教団を問わず多くの日本の宗教には、社会の「貧・病・争」に向き合ってきた歴史がある。福祉制度や地域社会ではどうにもならない悩みを吸収することで成長してきた。人々も「苦しいときの神頼み」と、宗教を頼りにしてきた。

昨年末の生活保護世帯数は125万世帯とバブル期の倍。完全失業者数は317万人、バブル期の2.5倍にもなる。現代の日本には「貧」に直面している多くの人がいる。けれども、冒頭の人の話を聞いた限りでは、人々は宗教に救いを求めようとしていない。

昨年秋に社会面で「直葬」という企画を連載した。「葬儀をせずに、火葬しか行わない弔い」が増えていることを紹介した。火葬だけだから、僧侶も呼ばない、戒名もつけない。立ち会う人もごく少数。墓に入らない場合もある。

直葬が増えた背景には、価値観の多様化、単身世帯の増加といった理由のほかに、葬式をする金がないといった事情がある。「立ち会う火葬の約3割が直葬。これからも増えるだろう」という葬儀社の声も聞いた。

「葬式仏教」という言葉があるように、寺院の中には葬式をあげることに熱心というところが少なくない。けれど社会の現実は、葬式仏教としての存在意義すら揺るがせつつある。

オウム真理教に代表されるように、宗教の中に反社会的な振る舞いをするところがあることは否定できない。しかし、多くの宗教はオウムなどとは違い、長い年月にわたって日本人の生活の中に溶け込み、倫理、文化、道徳といったものをはぐくむのに寄与してきた事実がある。 

それが最近はちょっと変化しているようだ。「貧」の世情とかみ合わないばかりか、葬式にも呼ばれない現代の宗教。日本人の情操観が廃れつつある予兆でなければいいのだが。

******************************************

IT革命後、宗教や真如苑を含む破壊的カルトの実態が明らかになるにつれ、宗教離れが加速するのは至当だろう。 仏教には葬儀の要素は無く、キリスト教は妄想殺人宗教と確認される。 本来の仏教とは、精神修養という表現では顕せず、むしろ信仰を排斥する、精神物理学のスタイルである。

日本人の情操観は、そもそもの「神道」を根本として、檀家制度を使用する「伝統仏教」に支配され、操られて来た歴史があるが、そこに「貧・病・争」の即効解決を謳う新興宗教が入り込み、隆盛して来た。その実態が、オウム真理教事件により一気に表面化して現在に至っている。

「神道」は、「国家神道」によって悪用され、本来の、八百万の潔い佇まいは 既に遺忘されている。 日本民族は、遂に、自らの国家政策により、宗教難民化し、それに大衆は気付き始めているということである。

最新の画像もっと見る

post a comment