
写真は昨年母と4月30日に東京に向かう時に出会った電車。可愛かったからついつい撮ってしまいました。
その日のことをすぐに書こうと思っていて、結局書けていなかった。
自宅からの私鉄でも、JRでも、たくさんの方にお世話になり、母を車イスで移動してもらいました。
その3からのつづき
30日(火)
9:45タクシー呼ぶ 9:55出る。
10:33地元駅から阿部野橋へ
前日から本日の予定を書いていた。
抜けるコンセントは全部抜いて、燃えるゴミはその日に出して、出せなかった缶のゴミはそのままにした。
GOアプリを入れたのでそれでタクシーに来てもらった。
エレベーターに近いところに行きたいと言ったら思った道じゃないところから行って、エレベーターの近くに降ろしてもらえた。
地元の駅からは駅員さんが車イスを押してくれた。母は電車の椅子に座りまた降りる時に向こうの車イスに乗せてもらう。
阿倍野橋駅からは若い女性駅員さんともっと若い男性の駅員さんが車イスの担当をしてくれた。
母と男性の後ろを私と女性駅員さんがついていく。
彼女と話すと、彼は新入社員でこれも研修の一つだと。彼は本当によく頑張ってるんです、あっこんなこと言って…とお客さんにこんな話してしまった…という感じだったけど、私はその先輩と後輩の関係がとても微笑ましくていいなと感動していた。
改札を出て、エレベーターに乗ったりして天王寺駅の改札まで送っていただき、今度は天王寺駅の車イスに移動する。
少し待ち時間があったので何か飲み物を買って来てもいいと言っていただき母を預けておにぎりと飲み物を買いに行った。
待っていると駅員さんが来て、長い距離を運んでくださった。
そして、11:20
はるか16号に乗って新大阪へ。
新大阪でもまた係の方のお世話になる。
いよいよ、新幹線の多目的室へ。

お出かけネットをスクショしていたみたいです
そして、横たわる母

寝ているので、窓から見えるのは空ばかり
全然話は変わるのですが、探偵ナイトスクープて富士住建のコマーシャルで出てくる青空がその時見た光景にそっくりで、見るたびに思い出します(東京だけのCMかもしれません)
閑話休題
幸いにも多目的室のすぐ横に多目的トイレがあった。
新幹線の小さなトイレを想像していたので、すごーく嬉しかった。
母について3回くらい行って、長い時間トイレを占領してしまった。
部屋では、おにぎりを食べたり本を読んで時間をつぶした。
母がイスをベッドにして使っているので、確か私にはパイプイスがあったような。
とても狭い空間で小さくなっていた。
東京に近づくと、空だけじゃなく、高い建物が少し見えているようだった。
14:33東京着。
車イスで夫との待ち合わせ近くの改札まで行った。
まるで歩けない母。
すぐに返しにくるので車イスを外まで貸してもらえないかと改札で聞いたがダメだった。
なんとか歩いてもらって駅の外に出て夫がいる予定の場所にいく。
母は立っていられず座り込む。椅子はなかったのでブロックかなにかに不安定に座っていた。
車はいない、夫とは会えない。
電話で場所をいくら説明してもわからない。タクシーでそちらに行くと言ってもそんな短距離行ってくれないと言い、ここまで来て、と引き下がらない。
歩けないからと何度言ってもそんな風に言われる。今まで上手く行っていたのに最後の最後に困難にぶつかった。
母はぐったりしている。
色々説明して、やっと来てもらえた。相当な時間が過ぎていた。
今その時のLINEを見ようと思ったが、先日間違って消してしまっていた。ああ、やっぱり必要な時もあるんだ。
夫と会えてから、食べ物がないのでスーパーに買い出しに行った。
食事をして(と言っても母は食べない)、16時ごろ22日に大阪から運んでずっと積んであった荷物をホームに届けた。
母はその日ウチに泊まった。
今まではベッドでなんとか起き上がれていたが、布団だと全然起きられない。やっぱりこんな時も必殺の起こし方があるのだと思うのだけど、力ワザで起こすしかなかった。
翌日、5月1日
母とGOで呼んだタクシーでホームに向かった。確か雨が降っていて傘が邪魔で苦労した。
一年前の記録をやっと書き終えました。
やれやれ。気になっていたのでなんか解放された気分です。
このあとは、
施設入居1日目からのことに続きます。