古代の蝦夷(えみし)とアイヌはどのような関係にあるのですか?
アイヌの祖先は蝦夷なのですか?
古代の蝦夷がアイヌそのものである、あるいは蝦夷のすべてがアイヌの祖先であるとするのは、論争中ではあるものの、現在の研究ではほぼ否定されつつあります。
つまり未来の研究では肯定されることもあり得るわけですね。
考古学はどんどんどんどんアップグレードされてますし(ᵔᴥᵔ)
奈良時代に蝦夷(えみし)と呼ばれた人々は東北に住んで、中央と著しく生活・文化様式が異なる人々のことであり、本来は人種的な区別を持たない、極めて文化的・政治的な概念でした。
中国大陸でいう北元みたいなもんかしら🌻
北元の斉王ココテムルの騎馬軍団みたいな。
人種的な区別を持たないというより、人種が入り混じっていて区別できない。
ココの娘は中央に嫁いだし。
姉は秦王の后だったかな。
西アジアの方からもいろんな血が入ってきたやろ🍄
この意味では蝦夷にアイヌも含まれると考えられます。
しかし蝦夷それ自体がアイヌである、あるいは蝦夷のすべてがアイヌの祖先であると断定できるだけの証拠もありません。
中央も同じですね🌹
単一民族と断定できる証拠はありません。
やがて蝦夷の中でも律令国家の支配がついに及ばなかった、東北北部から北海道にかけての蝦夷が、北方の蝦夷として特別視され、平安中期以降には、これが蝦夷(えぞ)と呼ばれるようになりました。
なんで?🐥
差別目的?🐣
あれらは野蛮人。
大和民族よりも一段低い、劣った民族なんだよみたいな(>_<)
現在では、蝦夷(えぞ)と呼ばれるようになった頃から、蝦夷がアイヌを指すようになったと見るのが通説のようです。
ちなみにアイヌと思われる蝦夷を記した初見は、1356年成立の諏訪大明神絵詞にあるとされています。
このように蝦夷=アイヌは中世・近世に通用した概念で、これを古代蝦夷(えみし)にも当てはめるのは正確ではありません。
⭐︎諏訪大明神絵詞⭐︎
著者の諏訪円忠は神氏の庶流・小坂家の出身で、室町幕府の奉行人であった。
最初に国譲り神話により健御名方神が諏訪に鎮座した由来を記し、ついで神功皇后の三韓征伐や坂上田村麻呂の蝦夷征伐などに神威を表し、軍神として知られるようになった縁起を記している。
なるほど🦒
神の威光を誇示ために絵や文字を使って表現したわけか🦏
神といってもキリスト教やイスラム教の神ではなく、
あくまでも現人神ですけどね( ◠‿◠ )
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