先日、ものすごいショッキングな本、「生きながら火に焼かれて」を図書館からようやく借りられました。かなりインパクトのあるタイトルにどうしても気になってすぐに、そして一気に読み上げました。
主人公のスアド (仮名)が婚姻前の異性との密交と妊娠が理由なだけで家族の手によって火に焼かれたという。家族の名誉を傷つけられた、このままだと家族全員が村八分されてしまう。娘を「死に」によって家族の手で裁かなければならない。法的にも「名誉の殺人」として暗黙されている。相手の男性には何もおとがめなしで。
これだけでも、ショッキングだが、何よりも、彼女達の暮らすあの村社会だ。女性達は家畜以下に扱われる。彼女の母親は14歳で結婚したので、男の子が生まれるまで待って貰えたという。14回出産してもずっと女の子だった。上から3番目まで生かし、その後は出産直後に母の手によって殺される。女の子3人を生かすのは、家事を支えて貰うため。女の子は学校へは行かせて貰えず、自由に家から出るのも許されず、親が選んだ服しか着る事も出来ない。などなど…。毎日、朝から家事をし、父親や男性である弟を殴られながらも仕えなければならない。 一番上の姉は、無事に結婚していったが、2番目の姉も何かの理由によって、弟から処刑された。女に生まれたからには、こうなるのが「運命」で、この村では「普通」なのだと。「普通」がこんなにもこう違う事が恐ろしく思えた。あの村の人たちは自分の子供が可愛くないのだろうか、その気持ちを持てないいのが、どうしても理解出来なかった…。大人の女同士のケンカもいつも髪の毛を引っ張りあったりするのも「普通」だという。日常、暴力が蔓延している中で育てられるとこうなるのか…。
そういえば、友達がある写真展でインドの貧しい女性が16番目にようやく男の子を産み、「これで死ねる」と…。以前、インドで妊娠中に超音波で女の子だと判明されると中絶する事で社会問題となっているという話を聞いた事もある・・・。ドキュメンタリー映画「もうひとつの戦争 インドの人口政策と女性たち」(アジア太平洋資料センター発行/1991年作)もかなり興味深かった。(女性フォーラムのライブラリーで観られます。)
「幼い娼婦だった私へ」も、うちらが旅していたこともあるカンボジアでの話。著者ソマリーもうちの一つ年上でとても身近な話。彼女も幼い時にレイプされ、後に何度も売られた。初めてお客さんを出す前、店の主人に降服させる為に一週間、裸で木に縛れて道に放り込み、通行人から昼夜なくレイプされ、食事も与えられなかったという。通行人に助けられるところが、レイプされるとは!店から逃げて、ようやく警察署へ駆け込んでも、その晩、何人も警察官にレイプされ、翌日に店へ連れて行かれて礼金を受け取っていたという話も唖然した。他にも覆いたくなるほど痛ましい数々…。
彼女は言う。カンボジアでは約30年間もの長い間、戦争して来た国。誰もが自分だけ生き残ろうとしてやってきた事を今も続いている状況なのだと。やってるのは男だけではない。女店主人の存在や金のために平気で何度も子供を売る母親達。
後にソマリーはフランス人と結婚し、自分と同じように酷い目を合っている子供達を助ける運動をしている。学校や警察署、軍隊などでの性教育も力を入れている。誰もが愛合うのは、どういうものなのかを知らない。男性側も異性にどう扱っていいか分からず、結局は力で性欲を満たす。女から嫌がり、自分も一瞬の満足感しか得られない苛立ちからますます暴力を加えてしまう。そして売春へも通い、エイズや性病にうつされる…。男性もある意味では、被害者でもある…。うちらが親達大人から「見ちゃダメだ」と言われていたテレビのエッチなシーン、嫌だった学校での性教育がこんなにも影響があるものなんだなと…。
「切除されて」も記憶に残る本。著者が7歳時に女性割礼を受け、娘も受けさせた無知と後悔から、女性割礼問題を告発したもの。女性割礼もほとんどが女性の手で切除されているのだ。同じ女である女から切除されるのだ!ドキュメンタリー映画「母たちの村」や「戦士の刻印 女性性器切除の真実」(プラティバ・パーマー 監督/1993年作、女性フォーラムで観られる)もすごくおススメ。
どの話も遠い昔の事じゃない。今も続いている事。自分がもしも、そこで生まれてきたら…。
文明化は環境破壊という、ものすごいマイナーな面もあるけれど、うちら女性や子供達の権利や自由を発展していったという貴重な役割でもあったのかな…とも思う。発展途上の所が必ずしも、そうである訳ではないと思うのだが…。
主人公のスアド (仮名)が婚姻前の異性との密交と妊娠が理由なだけで家族の手によって火に焼かれたという。家族の名誉を傷つけられた、このままだと家族全員が村八分されてしまう。娘を「死に」によって家族の手で裁かなければならない。法的にも「名誉の殺人」として暗黙されている。相手の男性には何もおとがめなしで。
これだけでも、ショッキングだが、何よりも、彼女達の暮らすあの村社会だ。女性達は家畜以下に扱われる。彼女の母親は14歳で結婚したので、男の子が生まれるまで待って貰えたという。14回出産してもずっと女の子だった。上から3番目まで生かし、その後は出産直後に母の手によって殺される。女の子3人を生かすのは、家事を支えて貰うため。女の子は学校へは行かせて貰えず、自由に家から出るのも許されず、親が選んだ服しか着る事も出来ない。などなど…。毎日、朝から家事をし、父親や男性である弟を殴られながらも仕えなければならない。 一番上の姉は、無事に結婚していったが、2番目の姉も何かの理由によって、弟から処刑された。女に生まれたからには、こうなるのが「運命」で、この村では「普通」なのだと。「普通」がこんなにもこう違う事が恐ろしく思えた。あの村の人たちは自分の子供が可愛くないのだろうか、その気持ちを持てないいのが、どうしても理解出来なかった…。大人の女同士のケンカもいつも髪の毛を引っ張りあったりするのも「普通」だという。日常、暴力が蔓延している中で育てられるとこうなるのか…。
そういえば、友達がある写真展でインドの貧しい女性が16番目にようやく男の子を産み、「これで死ねる」と…。以前、インドで妊娠中に超音波で女の子だと判明されると中絶する事で社会問題となっているという話を聞いた事もある・・・。ドキュメンタリー映画「もうひとつの戦争 インドの人口政策と女性たち」(アジア太平洋資料センター発行/1991年作)もかなり興味深かった。(女性フォーラムのライブラリーで観られます。)
「幼い娼婦だった私へ」も、うちらが旅していたこともあるカンボジアでの話。著者ソマリーもうちの一つ年上でとても身近な話。彼女も幼い時にレイプされ、後に何度も売られた。初めてお客さんを出す前、店の主人に降服させる為に一週間、裸で木に縛れて道に放り込み、通行人から昼夜なくレイプされ、食事も与えられなかったという。通行人に助けられるところが、レイプされるとは!店から逃げて、ようやく警察署へ駆け込んでも、その晩、何人も警察官にレイプされ、翌日に店へ連れて行かれて礼金を受け取っていたという話も唖然した。他にも覆いたくなるほど痛ましい数々…。
彼女は言う。カンボジアでは約30年間もの長い間、戦争して来た国。誰もが自分だけ生き残ろうとしてやってきた事を今も続いている状況なのだと。やってるのは男だけではない。女店主人の存在や金のために平気で何度も子供を売る母親達。
後にソマリーはフランス人と結婚し、自分と同じように酷い目を合っている子供達を助ける運動をしている。学校や警察署、軍隊などでの性教育も力を入れている。誰もが愛合うのは、どういうものなのかを知らない。男性側も異性にどう扱っていいか分からず、結局は力で性欲を満たす。女から嫌がり、自分も一瞬の満足感しか得られない苛立ちからますます暴力を加えてしまう。そして売春へも通い、エイズや性病にうつされる…。男性もある意味では、被害者でもある…。うちらが親達大人から「見ちゃダメだ」と言われていたテレビのエッチなシーン、嫌だった学校での性教育がこんなにも影響があるものなんだなと…。
「切除されて」も記憶に残る本。著者が7歳時に女性割礼を受け、娘も受けさせた無知と後悔から、女性割礼問題を告発したもの。女性割礼もほとんどが女性の手で切除されているのだ。同じ女である女から切除されるのだ!ドキュメンタリー映画「母たちの村」や「戦士の刻印 女性性器切除の真実」(プラティバ・パーマー 監督/1993年作、女性フォーラムで観られる)もすごくおススメ。
どの話も遠い昔の事じゃない。今も続いている事。自分がもしも、そこで生まれてきたら…。
文明化は環境破壊という、ものすごいマイナーな面もあるけれど、うちら女性や子供達の権利や自由を発展していったという貴重な役割でもあったのかな…とも思う。発展途上の所が必ずしも、そうである訳ではないと思うのだが…。