ウチナーグチ事情 ~その2~

2004年03月17日 | トラックバック
先日ウチナーグチ事情というのを書きましたが、
今回知人からねたの提供があったので追加的に書いてみたいと思います。

前回はウチナーグチの現状という事を書きましたが、
そこへ至った経緯をちょっと調べてみました。

ものすごく大まかにみるとこんな感じでした。 


明治政府は一八七二年、独立国であった琉球を「琉球藩」とし、
七九年の廃藩置県をもって、琉球を日本の一県として組み込んだ。「琉球処分

琉球の公用語が「日本語」へ変わり、「皇民化運動の言葉による統一」の思惑もあり、県民への標準語普及が行政サイドの急務となった。

学校教育現場で方言札等「標準語励行運動」が実施され方言軽視の風潮が作られた。

第2次大戦中日本軍が行なった方言禁止政策。この言語統制は徹底して行なわれた。

戦後祖国復帰運動の元、県民自体が自発的に共通語を使用する方向へ持っていった。

現在に至る。

以上ネットでの検索及び沖縄の言葉の移り変わりとその原因より抜粋。

・・・ん~100年近く前から言語統制が行なわれて来て、
沖縄の人々が生きるために共通語を使ってきたとなると
現状がこのようになるのはあたりまえですね。。。。

そして上記「沖縄の言葉の移り変わりとその原因」を読んでいて
ウチナーグチが集落単位でかなり違っていた事とか
ウチナーグチが複雑な敬語体系をもつ言語だという事
など新しい発見でした。

興味のある方は是非一読する事をおすすめします。
これも歴史の流れなんでしょうかね…

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