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薄墨町奇聞

北国にある薄墨は、人間と幽霊が共に暮らす古びた町。この町の春夏秋冬をごらんください、ショートショートです。

大黒舞い・カメキチ大活躍

2008-05-01 18:01:04 | 大黒舞い
ゴールデンウィークの日射しは思ったより強かった。

踊っているロッパは、汗びっしょりだ。
「おーい、先生、汗ふき」
大声で呼ばれ、カメキチはロッパのもとに駆け寄る。
腰にぶら下げていたタオルを差し出すと、
「いや参った、ぬく過ぎる」
ぜいぜい言いながら、ロッパはタオルをとり、代わりに「これ持って、ちっと踊っていてくれ」と打出小槌を差し出した。
「え、俺が踊るのか」
「なんも、適当にそこらへん動いていればいいんだ」

仕方なく、カメキチは小槌を手にして、あっち向いて振り、こっち向いて振りしてみた。

どちらを向いても、拍手が起き、笑い声がわく。
おろおろすれば余計に拍手が大きくなった。
照れて、立ち往生すると、またそれが受ける。
「ほれ、カメキチ。タドコロ君を見ろじゃ」
汗をふいたので頬の赤丸が変に広がったロッパが、近づいて来て言う。
指さすほうを見ると、鶴太夫のタドコロ氏が、幟を手に、見事な大黒舞いを始めていた。

いやさかの さてもよい
さても さあ

と、ここで、踊りをぴたりと止め、くるりとカメキチのほうに顔を向けて、
「先生、福入れだ。小槌、小槌」
大声で叫んだ。
慌てて、カメキチが打出小槌を持って、タドコロ氏のほうに駆け出す。
「ほれ、先生、振って振って」
言われて、カメキチは見物人に向けて、派手に小槌を振った。
薄墨高校の卒業生なのか。
あちこちから、「亀掛川せんせーい」「カメキチがんばれー」の声援が飛ぶ。

あっちに走り、こっちに戻り。
汗だくになりながら、カメキチは福入れを繰り返す。
いったい、俺はなんで、こったらことをしてるんだべ。
人に福を分け与えながら、ぼんやりと思ったりもしたが、そんな考えもじき歓声にかき消され、カメキチは無になった。

大黒舞い・福入れ

2008-04-29 18:42:16 | 大黒舞い
わあっと上がる歓声の中に、ロッパは踊り込んでいった。

さても さても
めでためでたの大黒舞いをよ
この家の旦那様のお末を寿いで
松のひと踊りをばお目にかけましょうかよい

幸いにして、打出小槌は大きいが、持ってみると軽かった。
これを大仰に振り、腰を落として剽げて見せる。
身体をゆすって袋をかつぐふりをし、沿道の観客に近づくと、若い娘のグループがきゃーっと笑い声をあげた。

こりゃ受けてるんでないか。
ロッパは踊りながらも、冷静に沿道のようすをうかがう。
チャンチャカチャンで、道の反対側に寄っていくと、皆がわっと拍手で向かえてくれた。
お、やっぱり受けてるな。
そう思うと、今までの不安が消し飛んだ。

そりゃあ、踊ってやるぞ。

後ろ首の扇子をばしりと勢いよく広げ、小槌と扇子を振り回しながら、大胆に踊り出す。
見得を切れば、皆笑う。
近寄っていけば、これも笑う。
自分の周囲に、常に笑いがまき起こるのがおもしろくなり、次第にロッパは夢中になった。

消防署前を進むと、ロータリーにある大きな桜がわずかに花びらを散らしている。
それは、まるで舞台を彩る、花吹雪のように思え、ロッパは踊りに熱を入れた。

どうすれば皆が笑うかが、よくわかってきた。
おどけて、うんと動きを大きく。
がに股で、腰を据えて。
上半身は派手に動かす。
そして見物人に、愛嬌よく。

派手な踊りのあと、ぴたりと止まって小槌を振り上げて見得を切る。

そこへ沿道から、婆さまがひょろひょろと飛び出してきた。
驚いているロッパに、おひねりを手渡す。
そして、羽織っていたジャケットの前ボタンを外し、
「ほれ大黒さん、福入れしてくんしゃりあんせ」と言った。
おーし。
道の真ん中で、ロッパは小槌を構え、その婆さまの胸元に何度となく振ってみせた。

さても
さーあ
福入れ
福入れ

観衆は大笑いだ。
ほろほろと散る桜。
薄墨の街は、春の陽に輝いている。

パレードの始まり

2008-04-28 13:40:54 | 大黒舞い
今年、薄墨の桜は例年に比べて早い。

薄墨春まつりのときは、昨年も一昨年も桜はまだつぼみだったのに。
しかし。
今年はちょうど、満開。
桜咲くなかでの、春まつりパレードとなる。

市役所前広場には、これからパレードに出るさまざまなグループが集まっていた。
その先頭が…。
なんと、ロッパの大黒舞いである。
「桜のタイミング、ばっちりでしたね。ねえ小林さん」
上機嫌でロッパに話しかけてきたのは、例の、気の強い商工観光課の田中女史。
彼女が、ロッパを先頭に押し立てたのだ。

ロッパはがちがちになりながら、女史をまじまじと眺め、
「あんた、まあよく化けたもんだなあ」と言った。
よさこいを踊るので、彼女は、おっそろしく派手な格好をしている。
若草色のはっぴに、黒い腹掛、股引。
いつも素顔に近いが、今は目をつり上げて描き、目尻に紅を入れていた。

「それは、小林さんも同じじゃないですか」
言われてみると、たしかにロッパも派手なことは同じだ。
たっぷりした大黒頭巾。
淡黄色の狩衣と下袴。
タドコロ氏が保存会から借りてくれた脛巾とわらじ。
「まあなあ、こうなったら、どんな格好でもやるしかないよなあ」
ロッパが心細く、そうつぶやいた。

商工観光課女史は、
「ああ、ちょっと待って」と叫んだ。
腰にぶら下げた巾着袋から、口紅を取り出し、いきなりロッパに顔を寄せてくる。
「な、なんだ」
「いいから、小林さん、じっとしていて」
女史はロッパの顔を押さえ、両頬を口紅でぐりぐりと赤く塗った。
「うん、この方がいいですよ。笑いがとれる」
それじゃ、と女史はよさこいの列に戻っていった。

そこへ、台車のそばで、幟の用意をしていた、タドコロ氏とカメキチが、戻ってきた。
「おい、なんだその赤丸ほっぺは」
カメキチがロッパの顔を見て驚いて言う。
「お前、1人で受けをねらってるんでないか」と少々不満げだ。
幟をかついだ鶴太夫と亀太夫は、白丁の姿。
襟首に扇子をさし、侍烏帽子をかぶっている。
カメキチも、とうとう亀太夫の覚悟を決めたのだ。
「まあ、もめないで。さ、いよいよですから」
タドコロ氏が2人をなだめる。

どん、どん、どんと、にぎやかな市役所広場に、のろしが3発響く。
パレードの始まりだ。

ツルツル亀太夫

2008-04-25 19:17:00 | 大黒舞い
カメキチは、割烹「善」にやって来た。
「あら先生、よかった。今日は京都のたけのこがあるんです」
女将はうれしそうに言う。
特別手を回して送ってもらった、大原野の朝掘りだとか。
「それはもう、おいしいんですの。ぜひ、召し上がってください」

やがて。
カウンターに置かれたのは、目にしみる朱金の皿。
象牙色のたけのこの薄片。
「お刺身でぜひ」
醤油に浸して口に入れる。
噛むと、たけのこはもろく崩れ、とうもろこしに似た甘い露があふれた。
「あ、うまい」
感嘆してつぶやく。
あとは「あやし」のぬる燗。

いい年をしてだが。
うまいものを出してくれた女将に、カメキチはふと甘えたくなった。
そこで少々、愚痴をこぼした。
ロッパの大黒舞いのこと。
タドコロ氏がカメキチに、ツルツルだからと、鶴太夫をやらそうとしたこと。

「なあ、俺あ、はげてはいるがよ、そったらにツルツルか。ツルツルって…あんたもそんなのは、きらいだよな」
子供のように口をとがらすカメキチを、女将は優しく見返した。
「昔ですが、私、高名な方を何人か存じ上げていましたの。ツルツルの方、結構いらっしゃいましたよ」
「へえ、そうか」
「えらい方って、多いじゃありませんか。鶯の糞で洗って、わざとツルツルに磨きたてる方もいたくらい」
女将は、鶯の糞で磨きたてていた人物の名を教えてくれた。
この店の壁にかかっている色紙の作者、有名政治家だった。

カメキチは胸を突かれた。
若い頃、女将が東京にいたことは知っている。
彼は詳しいことは聞かないし、知らない。
女将も言いたがらない。
しかし。
素人の暮らしではなかったこと、その政治家と特別の関係があったらしいことは、想像がついている。
そんな口にしたくない過去をも、カメキチのためなら、こうして話してくれる。
そこに、自分への思いやりを感じた。

少しはにかんで、カメキチは言った。
「そうか、ツルツルも悪くないか。したら俺もいっちょう鶯の糞で磨くかな」
女将は微笑むだけ。
一回り以上も年下なのに、まるで母親のように柔和で慈愛に満ちた表情だった。

さあ、もう一品。
山椒をたっぷりのせた、若筍煮。
ぐみぐみした歯ごたえと、峻烈な山椒の香り。
なめらかなワカメの舌触り。
「あ、これもうまいな」
もちろんですとも、と女将がにらんで見せた。

カメキチ亀太夫

2008-04-23 20:47:21 | 大黒舞い
ひえーっと、亀掛川吉弥こと、カメキチ先生はのけぞった。
「お、お前ら、俺に大黒舞いをやらせるつもりか」
商工会議所からの帰り。
市役所の近くにある焼き鳥屋「燻屋」のテーブル席である。
燻屋と書いて、〈いぶしや〉と読む。
その名の通り、店内は焼き鳥の煙でもうもうとしていた。

「いや、大黒舞いを踊るのは、商工会議所の小林さん。先生にたのむのは、幟持ちの鶴太夫。いや、亀掛川だから亀太夫がいいかな、頭ツルツルだから鶴太夫と考えたんだがなあ」
教育委員会文化財保護課のタドコロ氏は、おだやかに言った。
おだやかではあるが、有無を言わせないものがある。
こういう一見温厚な人物が、会議やディベートでは勝つ。
俺のような、すぐ大声でわめきたてる者はだめだ。
ロッパは妙なところで己を省みた。

「しかし、しかしよ。俺は鶴太夫も亀太夫もやったことない。できんのよ。第一、この年だ、勘弁してくれや」
カメキチは、すでに半泣きであった。
「いえ、できないなんてことはありません。鶴太夫も亀太夫も道化ですから。幟持って、右に左にうろうろしてればそれだけでいい」
ひえーっ、ひえーっとカメキチが再びのけぞった。
「俺が道化役をやるのか。生まれてこの方、道化役なんぞ、やったことない」
このままでいけば、泣きだしそうな困惑ぶりだった。

ロッパはぐいっと焼き鳥を口でしごき、なあカメキチ、と声をかけた。
「カメキチよお、俺は今までずーっと、みんなのために、道化みたいな役もやってきたぞ。それでもみんなのためなら、なーんも苦でなかった」
しかし、とカメキチは、まだ逃げ腰だ。
だがロッパも食い下がった。
「俺あ、笑い者になろうがなるまいが、大黒舞いを本気で踊る。先生、俺の後見になるのがそったらにいやか。いくつになっても、カメキチは俺の先生だべ」
焼き鳥を片手に握りしめ、叫んだロッパの姿は、感動的だ。
カメキチは、はるか昔の気のいい教え子を見つめた。
そして、渋々うなずいた。
「わかった。お前の後見をやるべ」
おお、とタドコロ氏が歓声をあげて拍手した。
「じゃあ、先生、鶴太夫と亀太夫、どちらをやりますか」
「ツルツルの鶴太夫はいやだ。亀にしてくれ」
カメキチは弱々しく応えた。
これで決まった。

大喜びするタドコロ氏。
がっくりしているカメキチ。
2人を眺めながら、ロッパは悠然とビールを飲む。

ま、タドコロ君ほど弁はたたないが、俺のわめき戦法でも人は動かせるな。
会議も、ディベートもこのままでいくべ。


鶴太夫 亀太夫

2008-04-17 19:17:40 | 大黒舞い
春の日射しにぬくめられ、薄墨でも桜のつぼみがふくらんできた。
そんな陽気に誘われ、「よし、ロッパを飲みに誘うべ」とカメキチが思いついたのが、運のつき。
あとで、カメキチはその思いつきを心底、後悔する。


商工会議所の会議室。
ロッパの大黒舞はかなり上達した。
ぐっと腰をおとし、股を開いてそっくり返る。
ひょいひょいと足さばきは軽く、小槌を振りながら、
「さても さても」でぐるりと回って、道化て踊りだす。
右腕を広げて、見物人に見得を切り、
「めでためでたの大黒舞いをよ」は首を振りながら、袋をかつぐふりで、右へ進み、左へ進み、それから正面に。

「この家の旦那様のお末を寿いで
松のひと踊りをばお目にかけましょかい」
まず深々と礼をして、小槌をあげて振り回し、さてそれから「松のひと踊りをば…」で、いよいよ踊り始め。
チャンチャカチャンチャカチャンで、右に手踊り。
もう一度チャンチャカチャンチャカチャンで、左に手踊り。
小手をかざして、ぐるりと首を回し、ここから本格的にいかねばならない。

後ろ首にさしていた扇子を広げ、右手に扇子、左手に小槌。
それをひるがえしながら、チャンチャカ、チャンチャカ、チャンチャカ、チャンチャンのリズムで、右に2回、左に2回。
正面に2回。
チャンチャンで首を左右に傾げておどける。
それから、「はあ」の合いの手で、ぐるっと大きく首を回し、小槌を上げて、
「いやさかの さてもよい」

間奏の間も、チャンチャカ、チャンチャカがあって、右に1回、左に1回踊って前進。

いや、書いていても疲れた。
踊っているロッパはもっと疲れる。

「はい、お疲れさん。小林さん、うまくなりましたよ」
タドコロ氏が曲を止めて、小林明治ことロッパの踊りをほめてくれた。
ロッパは、頭に巻いたタオルをとって汗をふく。
いったい、俺はなんでこったらことをしてるんだべ、とぼんやり思いながら。
しかし、タドコロ氏は、いたくご機嫌だ。
「この踊りなら文展の大黒舞い保存会でも通用しますよ。どうすか、保存会に入りませんか」
「いんや、いい」
「お世辞抜きで、教えた私よりうまいくらいだ。小林さん、踊りの才能があるんでないすか」
「いんや、単に自意識を捨てただけだ」と、弱々しくロッパが答える。
タドコロ氏は苦笑しながら、
「大黒舞いってのは意外に疲れるんですよ、だから、大黒舞いには鶴太夫と亀太夫がついて、舞い手の世話をする」
なるほど。

鶴太夫、亀太夫と呼ばれるのは、舞い手の後見役だ。
踊っている後ろで、幟を持ち、合いの手を入れる。
「舞い手が疲れたときは、幟を振って前にでて、道化てみせて舞い手を休ませるのも、鶴太夫、亀太夫の役目です」
ふーんと、ロッパは気のなさそうな表情で、
「したんども、俺には鶴も亀もつかないべな」と言った。
「いーや、そんなことありません」とタドコロ氏がキッパリ応えた。
「私が後見を務めます。小林さんがここまで熱心にやってるんだ、私も当日手伝います。本当は2人つくんだが、私1人でも2人分やりますよ、太夫役まかせてください」
ロッパが、感動したのはいうまでもない。
タドコロ君、と感極まった声をかけたそのとき。
がちゃんとドアが開いた。
そして。
カメキチが顔をのぞかせた。

「おお、ロッパ。ここにいるって聞いたもんでな。タドコロ君もいっしょか。2人とも、どうだ、飲みに行かないか」
なんの悩みもなさそうな恩師の誘いに、ロッパとタドコロ氏は顔を見合わせてうなずいた。
「なあ、タドコロ君。もう1人、太夫役がいたな」
「はあ、そうですな。亀掛川先生なら鶴太夫ですね」

カメキチは、まだこのとき、自分が何をやらされるか、知らない。

大黒舞い・ますます特訓

2008-04-10 22:37:19 | 大黒舞い
「なんで幟を奉るのか、小林さん、わかりますか」
タドコロ氏が、大黒舞いの練習の合間に、そうロッパにたずねた。
文展の大黒舞いには、そういう歌詞があるのだ。

おもしろおかしの大黒舞いをよ
この家の長者様に幟を奉(たいまつ)り
千代のひと踊りをばお目にかけましょうかよい
はあ
いやさかの さてもよい

「あれはですね、文展では旧正月になると、沖の島に幟を奉納するからなんですよ」
「沖の島ってのは、潮仏のある島っこのことか」とロッパ。
「へえ、小林さん、仏島のこと知ってるのすか」
タドコロ氏が、感心したように言った。

文展の沖にある小さな島に、潮仏があるという話は、前に書いた。
地元の浜衆は旧正月、この潮仏のある仏島に舟で渡り、幟を奉納するのだという。
「したすけ、旧正月の大黒舞いで、このお屋敷の旦那さまにも、潮仏さんみたいに幟をたてまつって、仏さんのように大事に千代に踊りをお見せ致しましょうと、まあ、そういった意味ですよ」
はあ、と、ロッパはタドコロ氏の説明に感心した。
この男あ、若いのに、おっそろしく民俗芸能に詳しいんでないか。

「踊るのは文展の漁師たちだ。して、踊って見せる相手は、網元の旦那衆だ。浜衆は、旦那さんたちを仏のようにあがめ奉って、少々卑屈なくらいに愛想よく踊ってみせなきゃならんのですよ。この大黒舞いは、奥にそういうつらいもんがあります」
なるほど。
少しずつ、ロッパにも、大黒舞いに隠されたいろいろな事情が見えてきた。
ただ手足を動かして踊るだけでも、だめ。
おもしろおかしく踊るだけでも、だめ。
愛想よく、滑稽に、それでいて腰低く、つらさを隠して。
それでいてやはりおもしろく、明るく、あれこれを笑い飛ばすように。

「なるほど、何となく踊り方がわかってきたような気がする」
ロッパは大まじめでつぶやいた。
「はあ、それではもう一度踊ってみますか」
ロッパに輪をかけて大まじめにタドコロ氏が応え、いち、にいの、さん、で、大黒舞いの練習がまた始まった。


大黒舞い・特訓熱をおびる

2008-04-09 00:40:23 | 大黒舞い
ロッパの大黒舞い。
そのつづき。

タドコロ氏の特訓は、なかなか厳しかった。
なによりも、彼は大黒舞いの本質を強調する。
それはどういうことか。
「吉旦の大黒舞いってのは、道化踊りですよ。おもしろ、おかしく踊らないでどうするんですか」
ロッパの踊りは、滑稽でないと言うのだ。
それはそうだろう。
ロッパは、楽しくて踊っているわけではない。
何より、照れがある。恥ずかしい。
「それじゃ、見てる方がおもしろいわけがないです。いいですか、私が踊ってみせますから」
そう言って、タドコロ氏が道化踊りの手本を見せた。

はあ いやさかのさてもよい
さても さあ
福入れ 福入れ

手の返し、足のさばき。
軽やかで、ひょうきんで、これが実にうまいのである。
腰の落とし方、首の振りなど、いや、堂に入ったものだ。
すっとぼけた表情、それが最後ににんまりと笑み崩れ「福入れ、福入れ」と言いながら、打出小槌を振って回る。
本当は、これは見物人の背中に、福を振り入れるのだとか。

「こりゃ、見事だ。タドコロ君、あんたの踊りは素人でないな」
心底感心して言うと、いやいや、まあ、と、タドコロ氏は生真面目な表情に戻った。
「これでも、毎年旧正月には、1升瓶ぶら下げて文展に行って、習ってたんですから」と、称賛を鷹揚に受け入れる。
「ははあ、して、その1升瓶は経費か」
こういうところが、ロッパは気になってしかたがない。
「何言ってるんですか、自腹切ってますよ」
タドコロ氏は憤然として叫んだ。そして、
「そんなことより、小林さん、さあもう一度、踊ってください」
またもや練習開始。

半べそのロッパの背後で、タドコロ氏が再び大黒舞いの曲を流し出した。
「なあ、もう勘弁してくれや」
悲痛な叫びを、タドコロ氏は「いや、ダメです」と無視して、
「さあ、はじめて。ほれ、いち、にいの、さん」
練習を再開した。

会議室のドアがほんの少し開いている。
「気の強い商工観光課」がこっそりのぞいて、声を殺して笑っている。

大黒舞い・特訓開始

2008-04-02 19:09:00 | 大黒舞い
薄墨市役所、第3会議室。
就業時間の後、ここにこっそりロッパがやってきた。
大黒舞いの講習のためである。

講師は、教育委員会文化財保護課のエース、タドコロ氏。
ジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり上げ、うれしそうに話し始める。
「えーとですね、文展の大黒舞いは、本来旧正月にあの地区を回って舞っていたものです。今はまあ、正月と限定せずに、結婚式とか秋の祭とか、いつでもやってますが」
「したら、本来は正月舞いなのを、春まつりにやるってのは、おかしいべか」
心配になったロッパが、そうたずねた。
こちらもシャツの袖をまくって、やる気十分だ。
「いやいや」とタドコロ氏は、ロッパに応えた。
「大丈夫ですよ、めでたい場所なら、どこでも舞ってもかまいません。春まつりなら、ぴったりじゃないですか」
じゃ、そろそろ始めますかとタドコロ氏は、持参のCDをプレーヤーに入れた。
ひなびた、大黒舞いの歌が会議室に流れる。


さても さても
めでためでたの大黒舞いをよ
この家の旦那様のお末を寿いで
松のひと踊りをばお目にかけましょうかよい
はあ
いやさかの さてもよい

おもしろおかしの大黒舞いをよ
この家の長者様に幟を奉(たいまつ)り
千代のひと踊りをばお目にかけましょうかよい
はあ
いやさかの さてもよい

小松 若松 子(ね)の日松
鶴は千年亀万年
めでたく舞い踊りましたれば
おめでとうござります
さても さあ 福入れ 福入れ


スイッチを切ると、タドコロ氏はロッパのほうに向き直り、
「まあ、ざっとこんなものです」と愛想よく言い、
「一通り踊って、最後の『福入れ、福入れ』のときに、観客1人1人に、打出小槌を振って歩くんです。福を撒くというわけでね」
そう、説明した。
「俺が知ってる大黒舞いは、そんな福入れなんてしなかったがなあ」とロッパ。
しかし、タドコロ氏はきっぱりと、
「いや、福入れが正式です」と譲らない。
生真面目な男は、やっかいだなあと、気づいたときにはすでにおそく、
「じゃ、踊りいきますよ」

タドコロ氏の鬼の特訓が始まった。、

大黒舞い騒動

2008-03-29 19:41:44 | 大黒舞い
薄墨市教育委員会・文化財保護課のタドコロ氏は30代。
真面目そうで、なかなかの二枚目だった。

タドコロ氏は、大きな風呂敷包みを広げた。
「文展の大黒舞い保存会の会長さんが、少しでも大黒舞いを取り上げてくれるのならありがたいと言って気持ちよく、貸してくれました」
やや古いが、立派な頭巾と衣裳だった。
狩衣も布袴もきちんと手入れされ、指貫のくくり緒にまでアイロンが当ててある。
「こういうのを昔は『萎え装束』と言ったんだべな」
カメキチが、のぞき込んでそんなことをつぶやく。

いや、助かったと、ロッパは胸をなで下ろした。
「タドコロ君、お礼ば言う。なにしろな、市の商工観光課の田中って気の強い女ごが、大黒舞いの格好しないと承知しないと言いやがるんでなあ」
ロッパが言いつけると、タドコロ氏が「いきさつは、亀掛川先生から聞きました」と苦笑した。
「商工観光課の田中さんは、私と同期入庁の仲間です。薄墨が好きで薄墨のために頑張ってる、気が強いんどもいい人です」
そうか、そったらに薄墨のために頑張ってるのか、あの女。
ロッパは、「気の強い商工観光課」を、少し見直した。

さあて、この衣裳はどう着るんだか…と、カメキチが興味津々、衣裳を広げる。
「あ、それはわかりますよ」とタドコロ氏が応えた。
「着つけや踊りは、文展の保存会で何年か習いましたから」
「へえ、したらタドコロ君、あんたは大黒舞いも踊れるのか」とロッパが驚いた。
「ええ、記録残す必要があって、撮影をして、それから自分でも踊り習って文章でもまとめましたから」
ロッパは感嘆して、目の前にいる文化財保護課の青年を眺めた。
「わざわざ大黒舞いを習うとはえらいものだな」
そう言うと、
「いいえ、保存会の会長さんがえらいです。私みたいなもんにも、親切に教えてくれました」

そうか。
保存会でも、教育委員会の文化財保護課でも、市役所の商工観光課でも。
皆、知らぬところで頑張っている。
それに比べて俺は。
酒飲んで、クダまいて、ただ大黒舞いの衣裳着るってだけで騒いでいた。
俺あ馬鹿だった。

よし、と決心した。
「俺も踊ることにするぞ。パレードでは、ちゃんと大黒舞いば踊って見せるべ」
ロッパは叫んだ。

騒動の幕が、派手に切って落とされた。