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薄墨町奇聞

北国にある薄墨は、人間と幽霊が共に暮らす古びた町。この町の春夏秋冬をごらんください、ショートショートです。

恋には心も言葉もなし

2020-09-17 12:22:40 | カメキチ先生
夜遅く、カメキチは、
ふらりと阿弥陀小路の「善」に出かけた。

「あら先生、お久しぶりです」と女将が、
いつもどおり出迎えてくれる。
「いつまでも暑いので、お体心配してましたよ。お元気でした?」
そんなうれしいことも言ってくれる。

手早く運ばれてきたのは、
「季節外れですが、まだまだ暑いので」と、滝川豆腐。
厨房から女将の弟が、白衣に和帽子姿で顔をのぞかせ
「もう秋ですがね、夏の名残ということで召し上がってください」
と頭を下げた。

細く切った豆腐をつるっとすすり上げる。
冷たい舌ざわり。
寒天で寄せた豆腐の甘さ、うまさ、なめらかさ。
やわらかく柑橘酢をきかせたつゆのさわやかさ。

「この酢はなんだ? 柚子はまだ早いんでないか?」
「すだちです、すだち」
「そっか、いいもんだな」
他愛もないやりとりがうれしい。

そこへ、薄墨酒造のひやおろし「うれし」が出てきた。
グラスになみなみと注がれた冷やを一口。
舌のつけ根が、うまみでキューっと絞られる。
ひゃあ、うまい、とカメキチが小さく叫ぶ。

その飲みぶりを見ながら、女将が、
「先生、ひやおろしには謎ありません?」
とたずねた。

「ひやおろしに謎、なんだそれ?」
首をひねると、
「ほら、前に『十里の道を今朝帰る』って謎々を
教えてくださったじゃありませんか。
十里は五里と五里で、<に・ごり>。今朝が返って、<さけ>。
だから『十里の道を今朝帰る』というなぞなぞ、
答えは『にごりさけ』。そうでしたよね」

ほお、よく憶えてるなあと言いながら、また一口。
「残念だが、ひやおろしの謎々は、ないだろう。
だがな、こんなのがある」
カメキチはちょっと居ずまいを正した。

「えーっと、『戀にはこころもこと葉もなし』、どうだわかるか? あ、戀は旧漢字だぞ」
「恋には心も言葉もなし、なにかしら、それ」
女将は首をひねった。

カウンターの奥に座っていた二人連れが、
「え、なになに」と身を乗り出し、この謎を聞いて、
「恋には心も言葉もなし…、いいねえ、わかるねえ、恋は黙って見つめ合うだけよ」
「ヤマさん、黙って見つめると気持ち悪いとか言われない?」
「いーや、恋はだな、いとしいとしと言う心ってわけでな…」
ヤマさんたちが、馬鹿話を始めたところに、
突然カメキチが、そう、それだと割って入った。

「戀は、いとしいとしと言う心。それと同じだ。
 戀は心も言葉もなし、心と言葉がないわけだから、『心』と『言』を取ると…」
「糸がふたつですね」と女将が言った
「大正解! 戀は心もこと葉もなし、謎々の答えは『絲』だ」

はあ、と隣のヤマさんがため息をついた。
「そりゃ、あんまりおもしろくない。いとしいとしと言う心のほうがいいなあ」
「ヤマさん、いいじゃないの。心も言葉もなくても、二人の間には糸が残るって、なんか歌みたいだ」

となりの二人組はそんなことを言い、
たーての糸はあなたーと、大声で歌いだした。
ヤマさんも彼の連れも、そろって歌好きらしい。

カメキチは、また「うれし」を一口含む。

のぼせあがった恋もやがて落ち着く。
心も冷め、言葉も消えたその末でも
一筋の糸は残るというわけか。

室町時代の『なそたて』に載っている、この謎を知ったとき、
若かったカメキチは、恋の末の糸とは
どんなものかと考えたものだった。
考えたが、答えは出なかった。
情であるとか、未練とか思い出とか、
解釈はいろいろだろうが、どれもぴったりとはこない。

考えながらまた一口。
うまみが口中に満ち、
香気が鼻に抜ける。

「先生、いかがです?」
女将が、茗荷田楽の皿を置く。
そして、カウンターにおいたカメキチの手に
素早く自分の手を重ね、
一瞬、
ほんの一瞬だけ
カメキチの指に強く爪をたてた。
驚いて顔を上げると、
女将はすまして離れていく。

カメキチと女将の間をつないでいる糸が
ぴんと張り詰めた、一瞬だった。

来む世

2013-05-17 22:21:18 | カメキチ先生
前回のつづきです。


湯上がりに、
窓からおぼろな三日月を眺めていると、
ドアチャイムが鳴った。

こんな時間に、はて。
こりゃ、あいつだな。

玄関へ向かう間も、
ピンポーン、ピンポンと気短にチャイムが鳴り続ける。

「待て、こりゃちょっと待て」
せわしないチャイムにあせってドアを開けると、
「先生よお、俺だ」
案の定、ロッパの野郎が立っていた。

ロッパは勝手に、書斎にどっかどっかと入り込み、
「俺は先生に話がある」とあぐらをかいて、
カメキチを見上げた。

「あん? なんだ」
「今日は春まつりで、俺は大黒舞いよ。したのに、先生は見にも来なかったべ」
「あ、そのことか」
「禅の店にもいない。俺らがこれだけ頑張ってるのに、応援する気もないのか」
ロッパは次第に気が高ぶってきたようだ。

「先生はそったらに薄情だったのか、そりゃ寂しいんでないか」
カメキチがあわてて
「いや、そんなつもりはない」と言ったが、
「したらなんで今日は来てくれなかったんだ」
ロッパが吠えた。

40年前、薄墨高等学校時代。
詰め襟に坊主頭のロッパが、
「先生、なんで体育祭の練習を見にきてくれなかった」と、
担任のカメキチに詰め寄ったときと、全く変わらなかった。

馬鹿野郎、
なんでこったらに進歩がないんだか。

あきれながらも、カメキチは内心ほろりとする。
この野郎、俺の心配をしてこんな時間に来たんだな。
それが痛い程よくわかった。
「ロッパ、悪かったな。忘れてた、あやまる」
「それなら、いいんども…」と言いかけて、
ロッパはまた口をとがらす。
「先生、最近外に出ないで、何してるんだ」

外のにぎやかさがわずらわしくなったのだ。
町の混雑がいや、
酒の席もいや。
最近では酒もさほどうまくないし、
『禅』の女将の好意も、少々重くなってきている。
疲れた。

だが、人とのつながりを遠ざけ、
お迎えの日まで、ひと静かに過ごしたいという気持ちは
いくら親しいロッパでも、
理解できないだろう。

仕方なく、カメキチは苦し紛れの嘘をついた。
「お前、俺が折口信夫みたいに、お前に惚れてるんじゃないかと、
疑ったことがあったな

「あ、あれ。ありゃ、誤解した俺が悪かった」
ひと騒動起こしたことを思い出して、
ロッパは気まずそうだ。
「あまりお前といると、またホモだと誤解されるからな、遠慮していた」

「なーんだ、そうか。先生、俺と先生の仲だべな、遠慮することはない。そうか、気にしてたのか」
ロッパがほっとして笑い出した。

馬鹿野郎だな、やはり。
相変わらず単純なやつだ。

缶ビールを1本ずつあけ、
汗だくのままロッパは帰って行った。
残ったカメキチはまた、空を移動した三日月を
見上げて思う。

もうじき、女房のところに行けるのか。
それとも、まだまだ独りでこうして暮らしていくのか。
女房も恋しく、
ロッパやゴエモンをはじめとする、
現世の人々とも離れがたく、
「おい、俺はどうすればいいんだ」
仏壇に呼びかけたが、
今宵の女房は何も応えてくれなかった。


水底(みなそこ)に うつそみの面わ沈透(しづ)き見ゆ
来む世も我の寂しくあらむ
                      釈迢空

★★★★


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師と弟子

2013-03-11 22:31:17 | カメキチ先生
本日、またもやロッパの話。

ロッパは、親戚(シマキ)の披露宴に出席した。

新郎の父親が、ロッパのいとこ。
子どもの頃から仲がよい。

ど派手なお色直しを、4度も行い、
花嫁が手紙を読みながら鼻水をたらして泣き、
花嫁の父も号泣。
新郎父が宴末の謝辞で
「本日、晴れて夫婦となった私共は…」とやって
爆笑を巻き起こすというにぎやかな宴だった。

なんとかかんとか、閉会にたどりつき、
ようやく招待客は退場となるのだが、
新郎新婦と友人たちで出口は混雑している。

所在なくつっ立っていると、
「アキちゃん、今でも薄墨高にいた亀掛川先生と仲いいのか」
カズキが聞いてきた。
カズキもロッパのいとこで、新郎父ユウキの弟にあたる。

「カメキチか? ああ、たまに会うな」
学年が2年下だったカズキは、ロッパと同じ薄墨高校の出身で
隣県で中学教師をしているという。

「亀掛川先生はアキちゃんを可愛がってたよな」
「いやいや。ぶん殴られてばっかりよ」
だが、カズキは首を振った。
「亀掛川先生は、折口信夫(おりぐちしのぶ)みたいに、気に入った生徒たちをまわりに集めていたよ」

折口信夫、はて誰だっけかな。
ロッパが首をひねる。

「〈葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり〉って歌知らないか」
「ああ、国語の教科書にあったなあ」
そういえば、カズキは現代国語の教師だ。

「あの葛の花の歌の作者だよ。折口信夫が本名、歌を詠むときは釈迢空」
教師らしく解説し、声をひそめて
「折口信夫は、女ぎらいで男好きだった。男の弟子を家に呼び集める。ときには関係をせまる」と続けた。
「へえ、ホモか」
「うん。惚れた弟子と一緒に暮らして自分の世話をさせて、養子縁組までした」
「はあ」
曖昧に返事していると、
「亀掛川先生って、折口信夫みたいな趣味かと思ってたんだ」と
カズキは思いがけないことを言い出した。

ひょえっ。
カメキチが、あの爺さんが、ホモとは。

「そりゃない、絶対ない、第一カメキチは結婚してたぞ」
アワアワしながら、否定すると
「いやあ、わからんよ。結婚していてもそういう趣味の奴はいるから」
カズキが意地悪く言った。

披露宴のあったホテルに部屋をとってあるというカズキと、
ロビーで別れて、
ロッパはタクシーに乗って自宅へ向かった。

カズキのことを思う。
単純な兄貴とちがって、
あいつは小さいときから、ちょっと底の知れないところがあった。
今日だって、実家に行かないですぐに予約した部屋へ行った。
家族のなかでも、シマキの間でも、常に孤立している。

ふと気がついた。
カズキは薄墨を離れて、あの年になっても結婚せず、独身だ。

もしかしたら。

カズキの野郎、
あいつこそ、折口信夫と同じなんでないか。

「運転手さん、すまん、ちょっと行き先変えてくれ。阿弥陀小路だ」

小路の入り口でタクシーを降り、
引き出物の紙袋を蹴り飛ばしながら、
ロッパは割烹「禅」に急いだ。

「禅」の戸を開けると、予想していたとおり、
カウンターの定位置に、機嫌よく飲んでいるカメキチがいた。

「おう、ロッパでないか、一緒に飲むべよ」
ほろ酔いでてらりと光った顔で、カメキチが笑う。
隣の席に座り、ロッパは大真面目でカメキチにたずねた。

「先生よお、ちょっと聞きたいことがある」
「あん?」
「真剣に答えてくれ、俺のことどう思ってるんだ」
「そりゃあ、ロッパ、お前は俺のデキの悪い教え子であると」
「先生、俺に惚れていて、ホモ関係をせまろうとか、そういうことはないよな」

な、なにを言うんだ、とカメキチが悲鳴をあげた。
カウンターの中で女将が驚いて棒立ちになった。
両隣の客も、仰天してロッパをまじまじと見つめている。

だが、ロッパはそんなことは意に介さず、繰り返す。
「先生よお、まさか俺に惚れてるってことは、
まさかないよな、たのむ、ないって言ってくれい」

老いたる師と不肖の教え子と。
かくて「禅」の夜は、今宵、荒れはじめる。



かたくなにまもるひとりを 堪へさせよ。
さびしき心遂げむと思ふに
               釈超空


★★★


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また長くなりました。相済みません。
ひとつよろしくお願い致しあんす。




なーんも

2012-09-26 22:21:44 | カメキチ先生
夕食後、草ぼうぼうの庭を眺めていると。
玄関のチャイムが鳴った。

「ほい、こったら時間に誰だ」
ロッパあたりかと、戸を開けると、
思いがけない人物が、顔をのぞかせた。

「叔父さん、しばらく」
「おりゃ、正弥でないか」

兄の息子、
カメキチにとって甥に当たる、
本家の正弥だった。

「どしたんだ、珍しいな」
「お袋がまずいんだ。入院させたが、具合がよくないのす」
「何、義姉さんがか?」
「うん、もう長くないと思う」
「そうか、そりゃまた、急な話だ」

兄嫁への複雑な思いで、
それ以上、言葉が出なかった。

カメキチが、身内との付き合いを絶ったきっかけは
正弥のお袋である、兄嫁にあった。
どうしても出なければならない冠婚葬祭には、
女房をおいて、カメキチ1人だけが出る。
女房は常に、家において、
守り続けてきた。

「ちょっと病院まで来てもらえんすか」
「なに、危篤なのか」
「まだそこまでじゃないんども…」と、
正弥は言って、肩をすくめ、
「どうしても叔父さんに会いたいってお袋が騒いでるのす。
悪いけど、ちょっと会ってやってください」

わかった、と、うなずき、
カメキチは、甥の車で、市民病院へ向かった。

ひさしぶりで会う兄嫁は、
ぎょっとするほど、病みやつれていた。
「ああ、吉弥さん」と言う声を聞いて、
こりゃもうダメだと、カメキチは思った。

かすかすと、かすれて、
普通のテンポで話す力もなく、
回らない口を懸命に動かしている。
女房が死ぬ直前も、こんなだった。

「吉弥さん、済まなかったなす。
私のせいで、あんたを怒らせた。
今更だんども、許してもらえないべか」

誇り高い兄嫁が、
皺だらけの寝間着から腕をにょっきり突き出し、
カメキチの手をとって、涙ぐんだ。

「なーんも」とカメキチは、馬鹿声を張り上げた。
病室どころか、廊下にも響き、
ナースセンターにまで届きそうな大声を出す。

「なーんも、だ。なーんも、なんも。
俺は、義姉さんのことを、なんも怒ってないぞ。
したすけ、気をしっかり持って頑張るんだ。
頑張らねば、正弥も、ほれ、正弥の嫁さんも悲しむぞ」

兄嫁は、義弟の大声にかすかに微笑んで
「よかった」
つぶやいて、ふーっと眠りに落ちた。
もう魂の半分は、空に飛び去ったような
軽々とした表情だ。
付き添いの正弥の嫁さんが、
涙をぬぐいながら、何度も何度もカメキチに頭を下げた。

「叔父さん、面倒かけました。
これでお袋も、気に病むことがなくなったと思う」
あとでまた連絡する、と言う甥の正弥に送られて、
家に戻った。

カメキチは夜の荒れ庭に眼をこらしながら、
兄嫁を思った。

義姉さんは、ずっとずっとあのことを、
悔やみつづけていたんだべなあ。

俺は。

もしかしたら俺は、
ずいぶん残酷なことをしてきたのかもしれん。

女房を守りたい一心で、
周囲に歯をむき、
うなりつづけて何十年も過ごしてきたが。

あるいは、
女房自身も、俺のこうした態度に、
傷ついていたんでないべか。

「なあ、おい」
カメキチは庭の闇へ呼びかけた。
「もしかしたら、俺はお前にひどいことを、したんでないか」

ススキの大株が、闇のなかでさわさわと鳴る。

何十年と聞き慣れた、なつかしい女房の声が
耳元でふいに響いた。
「なーんも、ですえ。
なーんも、なんも。
私ぁ幸せでしたえ、旦那さん」

★★★


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できればひとつよろしくお願い致しあんす。


十里の道を今朝帰る

2012-03-24 14:02:12 | カメキチ先生
彼岸とはいえ、まだ寒い。
そこで。

燗酒で温もろうと、カメキチは今宵、
割烹「善」の戸を開けた。

あら、いらっしゃいと、女将が愛想よく迎えてくれた。

カウンター席に着くと、すぐに出て来た長角皿を見て、
カメキチは、ほうとうれしげな声をあげた。

ほんのひとつまみずつ、
皿にちまちまと並んでいたのは、
ヒラメの昆布締め。
うどの梅肉和え。
菜の花の酢味噌かけ。

「お酒、これが合うと思います」
女将が見せた4合瓶は、薄墨酒造のにごり酒「淡雪」。
勧められるままに、小ぶりのグラスで口に運ぶと、
ふくよかな旨味と、甘い香りで陶然とした。
「かあ、こりゃうまいな」
叫ぶカメキチに、女将が微笑み返す。

しばらく無言で飲んでいたが、
そのうちカメキチはふと、あることを思い出した。

「十里の道を今朝帰る」
そうつぶやくと、女将がえ?、と首をかしげる。
「何ですか、それ」

「いや、そういう謎かけがあるんだ。十里の道を今朝帰る、さて、どういう意味かわかるか?」
さあ、と首を振る女将に、カメキチは嬉々として説明しだした。

「室町の頃の『なそたて』って本がある。今でいう謎々の問題集だな」
「あら、おもしろい、そんな本があるんですか」と女将。
「ああ、それにある謎だ。十里の道を今朝帰る」

女将は不思議な呪文を繰り返し、
「十里の道を今朝帰る、ですか。どういう意味かしら」と首をかしげた。

「十里は、五里と五里。五里がふたつで〈に・ごり〉と解く」
カメキチは子どものように得意満面だ。つづけて、
「今朝帰るは、〈けさ〉がかえるんで〈さけ〉になる」
「ええ」
「つまり、十里の道を今朝帰る、答えは〈にごりざけ〉だ」

どうだ、と鼻の穴をふくらませて、胸を張るカメキチに、
女将は母親のように微笑んで、酒を注いだ。

「善」の夜はふけていく。

がらりと戸を開け、顔なじみの客が飛びこんでくる。
「ああ、寒い。天気予報じゃ明日は雪だそんだ」
あらあら、と女将が新しい客の前に移った。

カメキチはひとり、目を閉じて、にごり酒を味わう。
十里の道を今朝帰る、か。

明日は、この酒のような
春の雪が降るだろう。

★★★
できればご協力を。

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本日の薄墨。最高気温が2℃だそうです。
湿った彼岸雪を肴に、これから雪見酒を楽しみます。

秋の夜なれば

2011-10-02 18:24:41 | カメキチ先生
やれやれ。

秋ミョウガがうまかった。
秋なすもうまかった。
シャモも、秋サバもうまかった。
たっぷりと食べ、
たっぷりと飲んで、
カメキチは満足して帰路についた。

タクシーで送ってくれたロッパに、
「ちっと上がれ、うちでもう少し飲まないか」
誘ったのだが、
「いや先生、もう勘弁してくれ」
ロッパはタクシーから降りず、
そのまま帰っていった。

暗い部屋には、
庭から漏れ入る虫の音。
そのしゃらしゃらとした響きを心地よく聞きながら、
カメキチは上着を脱いで放り投げ、
ズボンを足で脱ぎ、
下着姿になった。

万年床を踏みつけて庭に面した窓を開けると、
虫の音がいちだんと大きくなり、
秋らしい涼気が一気に部屋に流れ込む。

「心あてに折らばや折らん初霜のぉ、と」
今晩、散々話題にした、凡河内躬恒の歌をつぶやきながら、
庭に目を転じると、
ススキの大株が四方に広がった荒庭に、
白く光る女の姿があった。

半ば透き通った、死んだ女房がやさしく微笑み、
「旦那さん、お帰り」
声にならない声で、そう言う。

「会いたかったぞ、今晩あたりお前が出てこないかと期待してた」
カメキチが言うと、
死んだ女房が少しはにかむように、首をかしげて笑った。

白く光る女房を眺めながら、
カメキチは、俺の女房は白菊のようだと、
あらためて思う。



長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば
                     凡河内躬恒

秋のミョウガ

2011-09-29 23:25:18 | カメキチ先生
「うれし」をごくぬるい燗でもう1本。
ミョウガの田楽。
レンコンの落とし揚げ
締め鯖と、シャモ鍋。

秋の酒を飲んで、
秋の肴を食って。

カメキチは大満足だ。

「亀掛川先生、
〈おきまどはせる白菊の花〉は凡河内躬恒、
忘れないでくださいよ」
奥の客から声がかかり、
河内山宗俊と大河内伝二郎からようやく逃れることもできた。

隣のロッパにひやおろしを注いでやると、
「ああ、うまい」
感に堪えぬようすで、
行儀悪くタンッと舌を鳴らした。

タイミングよく、女将が
皿を持ってくる。
なすとミョウガ、青紫蘇、海老の天ぷら。
「ほい、今晩はいやにミョウガが出てくるな」
ロッパが言うと、
「ええ、お彼岸に墓参りしたとき、
実家の裏山でとってきましたから」

「一人で行ったのか」とカメキチ。
ひとりでミョウガ採りをする女とは、
なかなかいい風情だと思ったが、
「いえ、弟と」と女将は言った。
この店の板前をつとめている弟と一緒だったのだ。

姉弟の出生については、カメキチもよくわからない。
ただ、時折女将がわずかにもらす昔話から、
姉も弟も、かなり苦労をしてきたことが想像できた。

「それにしてもミョウガを、いっぱい採ったもんだな」と言うと、
「ええ、もう本当にいっぱい。子供のときから、ミョウガ採りには、夢中になったもんです」
女将は意気込んで応える。

過去にはいろいろあったかもしれない。
だが、今、落ち着いた暮らし、
弟と連れ立って墓参りをし、
ふたりでミョウガを採る。
幸せな暮らしなのだろう。
よかった、とカメキチは心底思う。

「ご存知ですか、先生。
夏ミョウガは白っぽいけど、
秋ミョウガは赤いんです。味も秋のほうが上ですよ」
ほお、ほおと、カメキチがうなずく。
ミョウガについて話す女将の、
手の爪が秋のミョウガと同じ、小豆色に塗られている。

秋の酒、
秋の肴、
そして
秋の女が揃った夜だ。

今宵のミョウガ

2011-09-26 22:21:39 | カメキチ先生
割烹「善」の戸を開け、店内を見渡した。
「あら、いらっしゃいませ。亀掛川先生もお見えですよ」
カウンターの奥で、女将が微笑んだ。
その前に陣取り、
「おう、ロッパか」
振り返って手をあげたのは、亀掛川先生、
我らがカメキチだ。

並んで座ると、
「ロッパ、どうした。ちっと元気ないな」
カメキチがさりげなく聞いてきた。

「カメキチよお、カメキチはいいよな」
「なにがだ」
「元気だし、ボケる気配がないし」
ロッパは叔父のゴロ先生について話した。
今日は、買い物に出て家に戻れなくなり、
交番からロッパ宅に連絡があった。

カメキチは黙って聞いていたが、
「仕方ないんだ」と最後に言った。

「お前の叔父さんだけでない、年取れば、誰でもそうなるんだ」
そして、
「俺も体力はがた落ちだ。なんでも忘れる。ど忘れして出てこない。
この前は、くそ、凡河内躬恒の名前が、どうしても思い出せなかった」
「なんだ、その〈おうしこうちのみつね〉ってのは」とロッパ。
「百人一首の〈心あてに折らばや折らむ初霜の〉って歌の作者だ。常識だ、馬鹿たれい」
怒鳴るときだけは、カメキチの声は元気になる。
だがすぐトーンダウンして、
「必死で思い出すが、どうしても〈凡河内躬恒〉の名が出ない、なんでか〈河内山宗俊〉が出てくる、泣きたくなった」

女将が、ふたりの前に角皿を並べた。
それを見て、カメキチが話を中断し、
「ほお、ミョウガか。うまそうだ」と相好をくずした。
半割りにしたミョウガを田楽串に刺し
味噌を塗って焼いてある。
口に入れると、熱いミョウガの汁がほとばり、うまい。

「ミョウガを食うと物忘れするというが、あれはなぜか知ってるか」
もしゃもしゃとミョウガを食いながら、
カメキチが思いついたように話を変えた。

釈迦の弟子に、周利槃特(シュリハンドク)という者がいた。
物覚えが悪く、自分の名も忘れるほど。
当然、釈迦の教えも憶えられない。
だが愚直な彼は、釈迦の指示に従い、ひたすら掃除を続けて数十年、
己の心の汚れまでも払い、阿羅漢になった。
死後、彼の墓の回りに生えたのがミョウガでという。

「ミョウガを食べると物忘れするってのは、この周利槃特の話から来ているそうだ」
そんな妙なことまで、カメキチはよく知っている。

「お前の叔父さんは、なんでも忘れるそうだな。だがな、かみさんと息子のことは忘れない、教師だったことも忘れないでいる。それでいいんでないか。
周利槃特じゃないが、忘れることは恥しいことでないんだ。
年とってボケるのは、みじめなことでも哀れなことでもない。お前も叔父さんのことをあんまり哀れんだりするなよ」

カメキチの言葉に、うん、とロッパはうなずく。
やんわりとだが、老いたカメキチに、
老いを見下していたことを叱られたような気がした。

ミョウガ田楽をもしゃもしゃと食べて
新たに「うれし」を注文して、
「善」の夜はふける。

ふっと思いついてロッパは聞いてみる。
「先生、さっき話していた〈心あてに折らばや折らん〉の歌だがな」
「うん、なんだ」
「あの作者は、誰だったっけ」
「なーに言ってる、お前。あれは河内山宗俊でなくて、あれ、河内山でなくて…」
カメキチの箸が止まった。
「えーっと、〈心あてに折らばや折らん初霜のおきまどはせる白菊の花〉そうだそうだ、この歌だ」
「先生、作者は?」
「えい、うるさい。あれは河内山…でなくて、うーん」
「おい、先生、どうした。作者が出てこないんでないか」
「うるさい、あれは、そうだ! 大河内伝二郎…ではないな。大河内…ツネ、ツネと言ったな、大河内常二郎、いやちがう」


今宵、
カメキチはミョウガを食べ過ぎたようだ。


手枕

2011-03-09 20:50:57 | カメキチ先生

カメキチの家は、庭が広い。
今どき珍しい、高い木塀で囲った庭で、
生前、女房はここで花を咲かせ、野菜を作り、
スズメにエサをやってたりした。

家は木造の平屋で、八畳と四畳半、
あとは台所、洗面所、風呂だけ。
子どもが生まれたら増築するつもりだったが、
結局、部屋数は増えなかった。

庭に面した八畳が書斎。
壁一面の本棚から本やら書き付けやらがあふれている。
庭側のガラス戸は、サッシではなく、
木枠にねじ鍵という古さで、
風が強いとがたがた鳴る。

この部屋に入ると、たいていの人は、
「この戸はサッシにすればよがんすよ」
と言う。
だが、カメキチはサッシに変えたり、
改築するつもりは毛頭ない。
このままの家がいいのだ。

昔、部屋はこぎれいに整頓されていた。
今、庭は荒れ、
部屋は万年床と本とがらくたで埋まっているが、
それでもここは女房とカメキチ2人の城だ。

今夜。
ゴエモンの娘のために色紙を書いたが、
それとはまた別に、手近な和紙にいくつかの歌を書き散らした。

そのなかの1枚を取り出し、
カメキチはしばらくじっと見ていたが、
万年床の枕元にそっと置いた。

万葉集にある、大伴旅人の歌。

〈愛(うつく)しき人のまきてし敷栲(しきたえ)の
 我が手枕をまく人あらめや〉

愛しい妻がした私の手枕を、
同じように枕にする女がいるだろうか。

いるわけはない。
そう、俺の腕を枕にするのは、
未来永劫、あいつだけだな、と
そう思う。

夜もふけて、ガラス戸からはしんしんと冷気が伝わってきた。
寝間着に着替え、万年床にもぐりこみ、
カメキチは最後の「埋火」を飲み干した。
そして、片腕をのばして目をつぶって、
「おい」と、死んだ女房に呼びかける。

「はい、旦那さん」
幽冥の果てから、
声ともいえない声がして、
伸ばした腕がかすかにかすかに、
重くなる。
遠い昔、記憶にある髪の感触を指先に感じながら、
カメキチは眠りにおちていった。



たぐふ心

2011-03-08 21:28:33 | カメキチ先生
夜になって。
カメキチは長いこと、色紙をにらんでいた。

どどいつや端唄はダメだと。
バレ句もダメだと。
して、はてな、ロッパは何がダメだと言ったかな。
そうだ、へのへのもへじはダメだと。

したら、何を書けばいいんだべ。

うーんとうなって、
カメキチは、蕎麦猪口に注いだ冷や酒をちびりとやった。
今朝、ロッパが置いていった日本酒で、
薄墨酒造の、寒しぼり「埋火」。
もったりした旨味が舌にまとわりつく。

本当は、
〈夢でなりとも逢はせてたもれ
 夢に浮き名は立ちゃすまい〉
とか、
〈松になりたや有馬の松に
 藤に巻かれて寝とござる〉
とか、
そんな端唄でごまかせたのに。

ロッパのダメ出しで、
そうはいかなくなった。
(〈よくつづきなさると女房大きげん〉などのバレ句も叱られるだろう)

しばらく酒をちびちびとやり、
気に入りの和歌を書き散らしていたが、
「うん、よし」
カメキチはうなずき、
数回練習してから、
色紙に、歌を書き始めた。

〈とヾむべきものとはなしに はかなくも
ちる花ごとにたぐふ心か〉

古今和歌集にある、凡河内躬恒の歌だ。

とどめておけるものではないのに、
散る花のひとひらずつに寄り添うようにして
散るのを惜しむ我が心よ

どんなに惜しんでも、
花が散るのは避けられない。
それは花嫁の父、ゴエモンの感慨かもしれない。

爛漫たる桜と、
ロッパの娘の笑顔は、どことなく、似たものを持っている。
明るく、はなやかで。
だが、いずれ、
桜は散り、
ロッパの娘は、娘ではなく妻になる。
時のうつろいは、この歌の通りだ。
俺やロッパや、ゴエモンは、
ただそれを見守るばかり。

散る花ごとにたぐふ心か。

よしよし、とカメキチは筆を置き、
酒をまたちびりと飲んだ。
「埋火」が、きいてきた。