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薄墨町奇聞

北国にある薄墨は、人間と幽霊が共に暮らす古びた町。この町の春夏秋冬をごらんください、ショートショートです。

くくり猿

2009-10-02 20:07:26 | 柳家呉服店
久しぶりで、
柳屋呉服店について。

どこでも同じだろうが、
薄墨でも着物を着る人が減ってきた。
田舎町では、冠婚葬祭は紋付きと決まっていたが、
「やっぱり着物でないとなさ」という婆さまたちは、
徐々にあの世へ移動している。

「このままじゃダメだよ。
一反が何十万円もする着物以外に、
もっと安くて、若い子でも買える商品とかも扱わなきゃ」

意欲的な若旦那が、そう言い出して、
今年の夏は浴衣をどんと売り出した。
もちろん、激安のぺらぺらな浴衣に比べたらはるかに高価だが、
吟味した柄の浴衣は、予想を上回る売上げとなった。

これに力を得た若旦那は、今度は和風小物をそろえ始めた。

くくり猿のストラップ。
鯛の香袋。
巾着袋。
化粧ポーチ。
お手玉。
信玄袋。
懐紙入れ。
縮緬のはぎれで作った、こまごまとした品をウィンドウに並べている。

これが意外に好評で、
それまで柳屋に足を踏み入れることのなかった、
10代、20代の若い娘たちがどんどんやって来るようになった。

これを一番喜んでいるのが、
じつは、大旦那だ。
若い娘が来ると、
「はいはい、いらっしゃいあんせ。
めんこい小物がありあんすよ、お嬢さんにぴったりだ」
そんなことを言いながら、うれしそうに接客をする。

客の娘だちも、気のよさそうな年寄り相手だと気詰まりではないとみえ、
臆すことなく話し、ときには、
「おじいちゃん、かわいい」などと言う。
大旦那はやにさがっている。

「まあ、おじいさんは若い女の子の相手して、
ちっと若返ったようであんすねえ」
女房がつぶやくのを聞きながら、
旦那はうらやましそうに、大旦那を見ている。
いいなあ、
俺も親父のように若い娘っこの相手をしたいもんだ。
そう思いながら。

若い娘らの前では、
どんな男も
くくり猿だ。

手も足も出ない。
ころりと負ける。


夜の藤

2008-04-22 16:30:48 | 柳家呉服店
これからの行楽シーズン、薄墨ホテルは目の回る忙しさとなる。
うんと気張って働かねばならない。

その前に女将は、着物を一枚買うことにした。
自分へのご褒美の、先払いだ。
いつものように、柳家呉服店に出かける。
贔屓にしている若旦那は、あいにく店にいなかった。
残念。
かわりに、父親の旦那が女将の相手に出た。

「さて今日は、どんなお着物がよろしいでしょうか」
「どういうのがよいか。お客さんの前に出る着物は難しくて困りあんすのえ」
「そうでしょうな」
若旦那に比べて、旦那は口数が少ない。
拍子抜けして女将のほうが、逆にしゃべりだした。
「派手過ぎても地味すぎても困るし、一目で憶えられる着物は、何度も着られないしねえ」
「いや、全くですなあ、そうであんす」
応えながら、旦那の目はすでに、忙しく店の反物棚を物色し始めている。
「女将さん、今回は、何かお好みの色柄はありあんすか」
「色はなんでも。柄は、春だし花っこがいいかなあ」
なんとなく、女将は華やかで人目をひく花を思っていた。
牡丹、しゃくなげ、芍薬など。
多分、若旦那でも、そうした花を選ぶだろう。

しかし。
柳家呉服店の主人は、息子とはちがった。
「女将さん、どうです、これなんか」
畳に広げたのは、銀鼠色の地。
そこに木賊色の濃淡で藤の花房が3つ。
「はあ、これはまた…」と女将は言いさした。
やっぱり、この店で買うときは若旦那でないとだめだこと。
だが、旦那は動じない。
「これに銀糸で刺繍を入れます。品良く、藤なのに藤色でないという趣向ですな」
なるほど、と女将は改めて見直した。
藤色ではない藤の花は、たしかに見たことがなかった。
「藤色は抑えて、かわりに帯締めと半襟を藤色にします」
そう言われて、女将はうっとりした。
この手のひとひねりに、彼女は弱い。
柳家の旦那は、最後にもう一言。
「昼の藤じゃありません、夜の、夜明けの藤の花で、贅沢です」
女将は大きくうなずいた。
「よがんす、買いましょう。仕立ててください。ついでに帯締めも半襟も見つくろって」
ああ、また散財した。
しかし、気分はじつによかった。

最後に、女将は旦那に問う。
「ねえ、旦那さん、これには帯はどんなのが合いますかね」
「銀色でも、金銀まじっても。そういう帯は、たくさんお持ちでしょう。これ用に新しくそろえる必要はありません。帯代の分は、この次のお着物代に回されたほうがよがんすよ」
なるほど。
女将はますます気分がよくなった。

クマさん

2007-12-26 00:00:34 | 柳家呉服店
柳家呉服店の大旦那にとって、今年のクリスマスイブはこれまでにない大イベントであった。

というのも。
昨年の11月24日。
孫の善晴と、孫嫁のユッコさんとの間の長男が生まれた。
柳家呉服店の跡取り、七代目である。
この七代目、名前は善人という。目下1歳。
大旦那はこの曾孫がかわいくてかわいくて、仕方ない。
ときどきユッコさんが善人を連れて店にやってくると、商売を放り投げ、旦那とふたり赤ん坊と遊んでばかりいる。

クリスマスイブに、赤ん坊を連れてやってきた孫夫婦に、大旦那はのし袋を手渡した。
「これは俺から善人へのプレゼントだ。俺が首ひねって考えたって大したプレゼントは買えない。したすけな、現金で贈ることにする」
ユッコさんは驚いて辞退したが、大旦那は孫嫁に無理にのし袋を受け取らせた。
若い者はまだわかっていないが、子供が成長すれば要るものは次々と際限なく出てくる。そのときにこれを使えばいい。そのほうが金が生きる。

一方、大旦那のせがれ・嫁の旦那夫婦は、初孫のために巨大なクマの縫いぐるみのプレゼントを用意していた。
「ほれ、クマさん大きいべ」
しかし、座椅子くらいある縫いぐるみは、1歳児には理解不能だったらしく、赤ん坊は見る見るべそをかき、旦那夫婦は大あわててクマを廊下に出してしまった。

皆で食事をし、珍しくワインをかなり飲んで、大旦那は酩酊した。
トイレに立つと、廊下に大きな縫いぐるみが壁に寄りかかって所在なげに座っている。
「ほい、お前もこったら所にいたら寒かべ。どれ、ぬくい所に来るか」
大旦那はクマを自分の部屋に運び入れた。
毎晩、嫁は早めに大旦那の布団を敷き、中に湯たんぽまで入れておいてくれる。
縫いぐるみを布団の上に座らせて部屋を出ようとして、ふっと大旦那はそのクマを抱いてみたくなった。
どれ、とあぐらをかいて、クマに抱き寄せる。
ふっくらした柔らかさ、温かさ。
まるで、巨大な赤ん坊を抱くような感じだ。

よいしょ、と今度はクマの胴を抱きしめる。
クマの両腕にすっぽりとはまり、まるでこれは…「お袋に抱かれているよんたなあ」
思わずつぶやき、そのままごろりと横になってみた。
そうか、俺は、お袋や女房に抱かれる心地よさを忘れてしまっていた。
大旦那は夢中になった。
布団にクマとともにもぐりこむ。
湯たんぽでぬくもった布団の中で、ぎゅっとクマにしがみつき、目を閉じた。
そうだ、昔、昔、子供の頃、こうしてお袋の胸にしがみついて寝たもんだ。
あの頃は一年が長かった。
大旦那は満足して、大きな吐息をついた。

「あれまあ、おじいさんったらクマさんに抱かさって寝ていあしゃんすよ」
そういう声を遠くに聞きながら、大旦那は深い眠りに沈んでいった。

四君子

2007-03-12 01:13:13 | 柳家呉服店
柳家の若旦那が、店で話してい相手は、薄墨ホテルの女将さんだった。
浅緑に梅の柄の訪問着を買おうかどうしようかと、ずっと迷っている。
「いい柄だけど、今から梅じゃ、ちょっと時期が遅くないすか。本物の梅が咲く前くらいならいいけど。若旦那、どう思いやんす?」
意見を求められ、若旦那はちょっと考えた。
店の奥のほうから、かすかに赤ん坊のぐずる声がしている。
それに気をとられながら、
「そう、今、梅の柄はたしかにちょっと間が抜けてるかもしれませんね」

しかし、と若旦那は愛想よく女将に笑いかけた。
「梅はある意味、オールマイティですよ。早春に梅柄は当たり前すぎて、女将さんのように着道楽の方は面白くないでしょう。蘭、菊、梅、竹で四君子って趣向いかがですか」
「4つ揃えたら喧嘩しそうな気がするえ」
「いやいや、ごちゃごちゃに盛り込みませんよ。帯が竹模様で伊達衿が蘭、襦袢が万寿菊。話のタネになります」
「はあ、それはおもしろいかもしれない。竹の袋帯はあるし」
「何色ですか、その帯は」
「金茶で、柄は桐竹鳳凰」
「それは、この着物に合う、いい色ですねえ。柄も格調がある。万寿菊の襦袢はよくありますし、あとは蘭。刺繍してあつらえても、伊達襟なら安くあがります」

赤ん坊の泣き声が、今やはっきり聞こえだした。
まったくユッコの奴、なんで赤ん坊を泣かせているんだろう。

薄墨ホテルの女将さんは、奥をうかがって、
「あれ、若旦那のお子さん?」と聞いてきた。
なんなのか、泣き声に、あやしげな歌がまじりはじめている。
くそ、いったい奥じゃ何が始まったんだろう。

気もそぞろな若旦那の顔を見て、女将さんは笑いだした。
「そうすなあ、それじゃおすすめ通り、四君子の趣向で着てみやんすか。その訪問着、仕立ててくんさい。ついでに伊達襟も。色は若旦那におまかせでいきまっしょ」
「ありがとうございます、四君子が飽きたら、松、竹をそろえて冬に着るやり方もありますよ、歳寒三友という組み合わせです」
それもおもしろい、今度松の帯も見ましょうと感心している女将さんを愛想よく送り出し、若旦那は慌てて店の奥に入った。

そして。
親父と爺ちゃんの、わけのわからない「むすんでひらいて」を見るはめになった。

むすんでひらいて

2007-03-11 01:06:04 | 柳家呉服店
柳家呉服店では、ユッコさんが赤ん坊を連れて来たので、大旦那と、現旦那夫婦は大騒ぎで迎えた。
店のほうは若旦那が見ている。
残りの人間は、リビングで赤ん坊を眺めている。
やがて、赤ん坊はこっくりこっくり眠りだしソファに寝かされた。
「やれ、それじゃ義人ちゃんが寝てるうちに、私はちっとお昼の買い物に行ってきあんす」
「ああ、お義母さん、それじゃ私も」
そう言って、現旦那夫人と若旦那夫人は連れだって出かけていった。
この嫁姑は、どちらも裏のない明るい性格で、仲がいい。

リビングに残ったのは旦那と大旦那の2人だ。
赤ん坊の寝顔を見つめて、
「かわいいなあ、おい」
「孫はかわいいもんですなあ、お父さん」
「いや、孫より曾孫のほうがもっとかわいいな」
そんな馬鹿話を交わしていると、ふいに赤ん坊がぐずりだした。
2人はおろおろと顔を見合わす。
若旦那を呼んできたいが、あいにく店で客の相手をしている。
どうしやすべ。
どうするかなあ。
何度もそう言い合い、仕方なく大旦那は、「よし、歌っこ歌ってやるか」とソファの前に立った。

「いいか、義人、ちゃーんと聞けよ」
本格的に泣き声を立て始めた赤ん坊の前で、大旦那は知っている歌を歌う。

むすんでひらいて
てをうってむすんで

「お父さん、そんな歌は赤ん坊に向かないんでないかい」
旦那がうさんくさそうに口を挟むのを、いい、黙ってろ、と一括し、大旦那は歌い続ける。

赤ん坊はほぎゃほぎゃと泣き出した。
慌てた大旦那が
「おい、お前も歌え」と言い、旦那は仰天したが、仕方なく大旦那の横に立ち、2人で歌い出した。

またひらいて
てをうって
そのてをうえに

自分には、幼い頃から親父に歌っこを歌ってもらった記憶がなかったな、と旦那はふと思った。
今必死で曾孫のために歌っている大旦那を見ていると、この年になっても少し淋しいような気がする。
しかし、赤ん坊のために父子で声をそろえて歌うのは、それを帳消しにしてあまりあるほど心が弾む。
よーし、と旦那は大声で孫のために歌う。

むすんでひらいて
てをうってむすんで


客が帰ったので、リビングに顔をだした若旦那は、泣いているわが子と、胴間声を張り上げて歌っている父親と祖父を見て仰天した。

酔いは悪妻も覆す

2007-01-22 19:46:19 | 柳家呉服店
柳家呉服店に、大旦那の幼なじみ「喜久三ちゃん」が酒を持ってきた。
喜久三ちゃんは、薄墨酒造の会長で、薄墨の名士のひとり。
会社では今でも実権を握っており、社長と専務を泣かせているという噂だ。
「こりゃあ試しに絞ってみた、一番新しい酒っこだ。絞りたてで、まだホカホカぬくいぞ。うまいから飲めじゃ」
そう言って、ラベルも貼っていない1升瓶をくれた。

「まあまあ、会長さん、すみませんねえ」
嫁がいそいそと受け取る。
大旦那は思わず苦笑した。
柳家の現夫人。
美人で、上品で、あまり酒などたしなまないように思われているが、じつは、たいした飲んべえなのである。

かくして。
その晩、当然のごとく、台所では大旦那と嫁との酒盛りが始まった。
布ごしで、うっすらと濁りのある酒は、市販の酒と格段にちがう豊潤な香りを放つ。
「こりゃにおいだけで酔いそうだなあ」
大旦那がつぶやくと、
「本当に。こんなお酒飲んでると、売られてるお酒は物足りなくなりあんすなあ、おじいさん」
言いながら、嫁がくいっとグラスを干した。
2杯、3杯と飲んでいると、そこに湯上がりの旦那がやってきて、
「おい、お前。お父さんともう勝手に飲んでるのか。俺にも飲ませろ」
座に割り込んできて、これまた一口。
ひゃあ、酔いそうだと嬉しそうに叫んだ。

せがれ夫婦と、舅と、3人。
酒を酌み交わしながら、大旦那はふと思う。

小意地が悪く、口やかましい女房だったが、生きていれば、また少しは変わっていたかもしれない。
生きていれば、案外、こんなときに一緒に酒を飲んで、笑い合えたのではないか。
それなのに、早く死んで、やり直しも修正もきかないままだ。

死んだ女房が、急に不憫になり、
「お父さん、ほれもう1杯」
旦那が1升瓶を傾けてきたが、
「いや、俺は酔ったようだ、もういい。あとは夫婦で飲め」
大旦那はそう言って席を立った。

無言の見巧者

2007-01-09 23:02:04 | 柳家呉服店
柳家の大旦那は、浮き足立っている。
曾孫の義人は、日増しに太って、かわいらしさも増す。
一日だって、目が離せないのだ。

もっとも、ユッコさんは赤ん坊を抱いて、一日に一回は店にやって来る。
そのたびに、大旦那は駆け寄って、曾孫の一挙手一投足に「はりゃあ」とか「はあ、なんとなんと、ちゃっこい手だ」「ほんにほんに、めんこい」などと、いちいち嘆声をあげて、皆に笑われている。
ときには、あまりのかわいらしさに感動して、涙ぐんでしまい、せがれや嫁に「おじいさん、あんまり興奮するとだめだって」などと心配されるほどだ。

しかしだ。
じつは、大旦那には唯一心残りがあった。
それは、赤ん坊がオッパイを飲んでいるところをじっくりと見られないことだ。
赤ん坊は母乳を飲んでいる。
いくらなんでも、孫の嫁が胸をはだけているそばで、じろじろ見るわけにはいかない。
そのときだけは、母子のそばを離れて、お茶を飲んだりしている。
それなのに、嫁は女のくせに、大旦那の遠慮も心づかいも知らず、オッパイを飲む赤ん坊をのぞき込み、
「まあ、かわいいこと。おじいさん、ほれ、見てごらんなさい」と手招きする。

えい、そったら恥ずかしいことができるか。
ユッコさんだって、ジサマがのぞき込んだら、いやに決まってる。

大旦那が返事せずにいると、嫁のやつ、そばに来て顔をのぞき込み、
「あら、おじいさん。もしかしたら、ユッコさんがオッパイ飲ますところ見るのは恥ずかしいのですか、まあそれはそれは」
馬鹿たれ嫁が、言わなくてもいいことを、そう大声で言った。

ありがたいことに、孫嫁のユッコさんは優しかった。
ジジイをいやがらないでくれた。
「おじいちゃん、善人がオッパイ飲むの、見てもかまわないですよ。どうぞ、こっちに」
そう声をかけてくれ、嫁も
「ほら、ユッコさんもそう言ってくれるんだから」と言葉を添え、大旦那はおずおずと母子のそばに行って見た。
ふっくらした顔で、口をとがらせて、ユッコさんの乳房に吸い付いている赤ん坊の、まあ、なんとなんとかわいいことか。
半ば眠りながら、こくこくと小さく口を動かす仕草が、たまらない。

ひゃあ、と大旦那は小さく叫び、あとは声もなく曾孫を食い入るように見つめた。
見巧者で、いつでもあれこれと、大騒ぎする大旦那が、そのときばかりは、何も言えなかった。
言葉が出ない。
胸がいっぱいで、下手に何か言うと、その途端、声をあげて泣きだしそうな気がした。

店からやってきた現旦那が、うらやましそうに離れて眺めているのにも気づかず、大旦那はいつまでも息を殺して、赤ん坊を見つめていた。

曾孫の見巧者

2006-11-28 21:56:20 | 柳家呉服店
柳家の大旦那は、孫と嫁に連れられて病院へ出かけた。
「おじいさん、まあ、うちの跡取りは、めんこいめんこい赤ん坊ですえ。早く見てやってくんさい」
嫁が、うれしそうにそう繰り返して、産科病棟にいざなった。

新生児室前の廊下で、そっとガラス窓から中をのぞく。
肌着にうもれた赤ん坊が、何人もモチャモチャとベビーベッドで動いていた。
「ほう、これがうちの赤ん坊か。ちゃっこいな」
「ちがうよ、じっちゃん。俺らの子はこっちだ」
若旦那の指さすほうを見ると、ちんまりとした顔の赤ん坊が口をぽかんと開けて眠っている。
これが俺の曾孫か。
ガラスに顔を近づけると、会ったばかりの曾孫が、身をよじるようにして伸びをした。
「はあ、こりゃめんこいなあ」
大旦那は感心したように、つぶやいた。
今度は赤ん坊が、顔をくしゃっとしかめる。
「ありゃりゃあ、一人前に眉寄せてる。これはもしかしたら、賢い赤ん坊でないか。顔立ちは、まあ立派だな。きりっとして、愛嬌もあるし、これは二枚目になるな、きっと。ほれぼれすること」
心底感心して、大旦那は思ったままを口に出していた。
「また、まあ、この耳。耳がなんとも立派でないか。赤ん坊でないみたいだな、この耳は。福耳だ、金持ちになる」

新生児室をのぞいている母親や家族が、こちらを見ているが、大旦那は夢中で赤ん坊のことを褒めそやしている。
「頭の形が、いいんなあ。髪も濃いしなあ、これは賢い子だな。大きくなるのが楽しみだなあ、宝ものみたいな赤ん坊だ」
ガラスに顔を押しつけんばかりにして、1人でしゃべっている大旦那を、嫁さんと、孫の善晴と、病室からやって来たユッコさんとがうれしそうに見守っている。

ちょうどそこに、薄墨祭のとき鍛冶町で山車を作っていた若い衆がやって来た。
昨年結婚して、一人目の子どもが産まれたばかりだ。
思いがけないところで出会った柳家の大旦那に驚いたが、若い衆はすぐにやりとした。

爺さまは、ここでも見巧者ぶりを発揮してるんでないか。
こりゃ、町内の奴らにも話してやるべ。

祝い酒

2006-11-24 23:14:33 | 柳家呉服店
柳家の大旦那は、ぐっすりと眠っているところをいきなり叩き起こされた。
「うりゃ、なんだこりゃ」
うめきながら目を開くと、嫁が旦那の両肩を揺すりながら、
「おじいさん、産まれやんしたよ。善晴とユッコさんの赤ん坊ですえ。私らの初孫、おじいさんの、ほれ、曾孫です」と叫んだ。
「私らちょっと、病院まで赤ん坊の顔見に行ってきます。申しわけないけど、これからちょっと留守お願いしますえ。明日にはおじいさんも病院に連れていきやんすから」
そりゃめでたいなあ、よいよい、俺は明日でよい、と大旦那は応えながら、そうか、この嫁もいよいよ祖母さんか、と感慨深かった。

時計を見ると、夜11時30分。
病院には孫の善晴と、ユッコさんの母親が夕方から詰めているという。
パジャマに半纏を引っかけ、台所に下りて行くと、ダイニングテーブルで旦那が1人、冷や酒を飲んでいる。
「おい、お前も病院に赤ん坊を見に行くんだべ。初孫見るのに、酔っぱらっていたらまずいぞ」
そう声をかけると、柳家の現旦那は、
「いやお父さん、なんかなあ、孫にはじめて対面するってのは照れくさくて、酒の力借りないとダメでやんすよ」と言った。
わがせがれながら、こいつのはにかみ癖には、困ったもんだ。
「馬鹿野郎、飲むなら病院から戻ってから、祝い酒をたーんと飲め。今は早く孫に会いに行け」
どんと背中をどやすと、旦那は照れくさそうに酒のグラスを置いて立ち上がった。
お父さん、さあ、行きますべ、と嫁がコートを引っかけて旦那の腕を取る。
「おじいさん、すみませんねえ。私らは赤ん坊の顔見たらすぐ戻りますから」
そう言って、2人慌ただしく出ていった。

大旦那は、せがれの飲みかけの冷や酒を手にしてテーブルの前に座った。
そうか、あれから30年近く経ったのか。
その昔、せがれと嫁と間に、孫の善晴が生まれたとき、俺は今晩のように1人で祝い酒を飲んだ。
そして。
これまでずっと押し隠してきた、心の奥底の秘密をそっと掘り起こす。
孫が産まれたあの晩、嫁に抱いていたひそかな気持ちを、ひとりでぼーんとぶん投げたのだ。
心底嬉しく、ほのかに寂しい祝い酒にほろほろと酔った。
30年前の、こんな大旦那の秘密を、嫁も知らない、せがれも知らない。

ジジイでも、忍ぶ恋をする。

嫁の盗み酒

2006-11-16 22:33:50 | 柳家呉服店
柳家の大旦那が居間にいると、せがれの嫁と孫の嫁が連れだって帰ってきた。

「そろそろ入院なんで、その買い物してたんですよ。忙しくて大変」
もう、いつ生まれてもおかしくない大きな腹で、孫嫁のユッコさんがそっくり返って言う。
その横でせがれの嫁が、
「生まれるのは、あともうちょっとなんですえ。おじいさんに曾孫ができる、私には初孫ができる、ああ楽しみだこと」
うれしそうにそう言い添えた。
ユッコさんは、姑のそんな言葉を聞いて、はにかんでいる。

嫁と孫嫁を見比べながら、大旦那は胸の奥でちくりと痛むものを感じている。
それは30年近く前の思い出だ。
この嫁が柳家に嫁いできたときは、まだ大旦那の女房は生きていた。
それがまあ、口やかましく、気の強い女で、大旦那もずいぶん手を焼いたものだ。
嫁が、どれだけあの姑に泣かされたことか。
裏庭の小屋かげにかくれて、まだ若かった嫁が泣いているのを大旦那は幾度も見かけたことがある。
あの頃は、女房の姑根性をいさめようとか、嫁をかばおうとか、そういうことは思い至らなかった。
なぜ、あの頃気づかなかったのだろう、と大旦那は悔やむ。
仲良くしている嫁と孫嫁を見ていると、とくにそう思ってしまう。

ユッコさんは自分たちの部屋に上がっていった。
「どれ、したら、お茶でもいれましょう」
嫁がお茶の用意を始める。
大旦那は思いきって声をかけた。
「なあ、お前さんも若い頃、俺の女房のせいでずいぶん苦労したなあ。あれは小意地の悪い姑だった、すまんかった」
なにを言うんすか、おじいさん、と嫁が驚いた。
「いや、あんたは若い頃はよく泣いてらった。今思うと、もっとかばってやればよかったのに、俺はそれもしなかった。申し訳なかったと思ってるのせ」
嫁は、大旦那にお茶を差し出しながら、
「なんも、なんも。私はおじいさんに、ずいぶんかばってもらいやんしたよ。私がお姑さんに叱られて泣いていたら、晩おそくにこそっと私を呼んだこともありました。そしてかくれて、お酒を一杯飲ませてくれたのす。まあ、そのおいしかったこと。本当にうれしくて、あの味は忘れられません」
そうか、そんなこともあったのか。
大旦那は、なにか救われたような気がした。
嫁がにんまりして、つけ加える。
「つまり、私の盗み酒は、おじいさんが教えたようなもんですえ」
これじゃ、今晩、また嫁の盗み酒につき合うことになるなあ、と大旦那は心のなかでつぶやいた。