占いの章を終えて別なものに移る予定でしたが、その前に1つだけ触れておきたいものがありますので、それを先に行いたいと思います。
それは占いの章でも出てきたことで近い内容ですが、それが占いではない場合もあることがあるのです。
どういうことなのか見てゆきましょう。
まず前の章で言ったのは「占いでこのように出ている。またはその可能性がある」ということで、その原因は「霊障、悪因縁」などが原因ですねといって宗教に誘導するやり方だ、ということです。
つまり占いを利用して宗教に入れさせる、といった方法です。
実はこれが占いを用いなくてもできるしやってもいる、ということがあります。
阿含宗では相談をする前に住所、氏名、年齢、生年月日や相談内容などの概要をお聞きします。
そして相談を開始します。まあ、これはどこでもある事項ですね。
ただ、それが「占いを始めて占いを以っての示唆」でやるのか、それとも「占いを使わず、事項らを聞いての判断で示唆をする」ということです。
多くは占いから始まるパターンが多いので、自分もすっかり忘れていましたが、実が厳密に言えば占いを用いないで相談者の相談内容を聞いて判断して示唆をする時もあるのです。
そういうと「大した差はないじゃない?」とか「必ず占いで何でも、でなくてもそれは有りじゃない?」と思われる方もいると思います。その通りです。
ですが、できれば相談者が占いが好きで占いによる結果の示唆の方が示唆を信じてもらう上で効果的なのはあります。
なので、やはり相談者を自分の教団に引き込む。または信じ込ませるためには活用した方がいいのはあるわけです。
では何で「占いを用いないで示唆をする場合があるのか」です。
それは理由は2つあります。
1つは相手が「占いを嫌っている場合」もあるからです。いきなり占いから始めたら拒否される、または嫌悪される場合もあります。
だからそういったのを回避するためもありますね。
もう1つが一番多いのですが、これが圧倒的理由でしょう。それは
「占いの資格を持っていない人が占いを用いて示唆をしてはいけない」という規則が阿含宗にはあるのです。
だから占いを以って示唆をする人や場合があるのと占いを無しで示唆をする場合があるのがそこですね。
でも、私はこの違いを言いたくて今回記事を書いたわけではありません。
では何を言いたくて書いたのか、です。
それは「占いを用いようが用いなかろうが、結局は相談者を宗教に招き入れるのが目的」なわけですから、途中の示唆経過は「同じような経緯を辿るのです」ということです。
実際的に説明してみましょう。
■占いを用いた場合の例
相談者が相談をしてその結果を見るために占いを使います。
そしてその出た結果を「占いではこう出ています」という感じで説明を進めます。
その結果は人によって違うのですが、大抵「霊障、悪因縁」のことを出してそれが原因であることを述べます。
そしてそれを信じ込ませるわけです。
その結果、そういったものは宗教の力でしか治せない。改善できないと言います。
ですが一口に宗教と言っても阿含宗以外にも宗教はあるわけです。
ただ、そのたくさんあるどの宗教でもいいということではなく、阿含宗にしかないものを打ち出す。
尚且つその霊障を解いて悪因縁から解脱できるということを説明するわけです。
つまり問題解決は「阿含宗でしかできない」ということを信じ込ませるわけです。
その結果相談者が納得してくれて入信してくれれば、はい、信者獲得となるわけです。
■占いを用いない場合の例
相談者が相談をするまでは、同じです。スタートは皆同じです。
ただ違うのはここからで、占いを用いない場合はまず相談者の相談を良く聞きます。
そしておもむろに心当たりがあるであろう事項らを述べてゆきます。
例えば最近とか今から近い時期で身内や縁者に不幸な亡くなり方をした方がいないか。
本人が頑張っているが、中々改善が無く不幸が続いているなどのことらを該当要素を聞いてきます。
すると大抵の悩み事はそういうものに該当したりしますから、話的にはなんとなく辻褄があうわけです。
そこで、因縁の話や先祖が成仏してない可能性があるのでそれが影響している模様だと説明するのです。
中にはそういった事項に反発する人がいますが、多くは「そうかもなあ」と納得しがちな場合が多い。
あと遺伝ではないが、問題を抱えている人の多くは親とか先祖で似たような傾向の人生を歩んでいる場合があったりするものです。
だからその辺りを突いてやれば「何でこの人はこういうことがわかるのか」と信じてしまいます。
あとはそういった説明を色々として阿含宗側はそういったものに対応できる教団ですよ。
悪因縁や霊障といったものから離れることができる。解決できるものを持っている教団なのですよ、という旨を話す。
するとそれを信じて応じたら「はい、入信」となるわけです。
どうでしょう?両者を見ると若干の違いはあるものの、基本的な伏線は外れておらず、結果は占いを用いようが用いまいが「ほぼ同じだ」というのがわかりますね。
これが私が言っていた「後々は同じくなる」というのがここです。
いづれにしても「阿含宗の持つ概念を植え付けて信じ込ませることが手口である」ということです。
私がいつも言うことですが、皆さんは宗教はもちろんのこと、本当の仏教の内容や阿含宗の中身。また欺瞞について知りません。
だから何かあって相談をした際に、その教団が言うことに対して「ここは違う」とか「嘘をついているな」ということが言えないしわからない。
せいぜいあったとしても「納得がいかない」もしくは「なんか変だな。胡散臭い気もする」ぐらいで終りです。
人間というのは悲しいもので、普段は何でもなくても困ったときは藁をもすがりたいものです。
そこに阿含宗でなくても何か優しい対応や相談に乗ってくれると、つい信じてしまいます。
だから大抵の人が騙されるのは「何か困ったことがあってそれが契機」な場合が圧倒的に多いのです。
だって困ってもいないし、悩みもない人が宗教の門をたたきますか?または相談に行きますか?
全くそういう人はいないとは言いませんが、まず99%ないのが現状です。
そして高確率で窓口を訪れるのは「何か困っている場合」が大半なのです。
確かに人間万事悩みもなく、平穏で暮らせるに越したことはない。
だが、人生というものは問題を抱えたり障害が生じたりする場合もあります。
そういった時に宗教の影響を受けることもあるのです。
一生宗教に縁が無い人も居ることでしょう。そういう人は本当に幸いですし理想です。
ですが、そうではない人も居るわけです。
悩みがあって相談をして、促されたから一生懸命宗教に励んでいる人もいるわけです。
何とかしたくて頑張っているわけです。
ところが宗教で問題が解決されるかどうかは、保証はないわけです。
特に病気面では中々解決は難しい面があります。
それに対し「わが教団はどんな問題にも全面的にバックアップします」ということを言う教団はゼロです。
何でか?そう言う教団があったら、皆問題を抱えた人の責任を取らねばならないし、教団自体がその人らを一生面倒見なければいけない。
そんな奇特な教団なんて、どの時代も聞いたことも見たこともありません。
それからわかるように完全に何でも解決ござい、のところはないということです。
また実際問題として、相談には乗るがそれが解決できなくても解決ができないのは「相談者の努力や講じ方が間違っているからだ」とやる教団が多いことです。
つまりはていのいい「いちゃもんをつけて責任逃れをする」ということです。
特に阿含宗は自分が昔いたからその辺りの言動はよく見ています。本当に酷いものです。
信者を食い物にし、搾取するだけ搾取して用が無ければ893のように因縁を吹っ掛ける。とんでももない教団です。
あまりにもうるさい場合は破門もされます。
そんなに気に食わなかったら出てゆけ、ですね。それをやられる。
まあ、そこまで行く人は稀ですが、破門は無くても間違いなくあれこれ言われて「何もなし」です。
こうなると騙される方が悪い、ともいえる所業になる。
だからそういった被害を蒙る前に、自分は警鐘を発して日々呼びかけているわけです。
物事の事象は霊障でもなく悪因縁でもない。また解決は宗教に依らなくてもできるものもあります。
病気なら病院や医学の力で対処すべきですし、諸問題も多くは自分の力かいろんな人のサポートで解決できる場合もある。
宗教に依存しているから騙されるのです。
どうか、私の提唱を皆さんが知って詐欺宗教の餌食にならないようにと願う次第です。
それは占いの章でも出てきたことで近い内容ですが、それが占いではない場合もあることがあるのです。
どういうことなのか見てゆきましょう。
まず前の章で言ったのは「占いでこのように出ている。またはその可能性がある」ということで、その原因は「霊障、悪因縁」などが原因ですねといって宗教に誘導するやり方だ、ということです。
つまり占いを利用して宗教に入れさせる、といった方法です。
実はこれが占いを用いなくてもできるしやってもいる、ということがあります。
阿含宗では相談をする前に住所、氏名、年齢、生年月日や相談内容などの概要をお聞きします。
そして相談を開始します。まあ、これはどこでもある事項ですね。
ただ、それが「占いを始めて占いを以っての示唆」でやるのか、それとも「占いを使わず、事項らを聞いての判断で示唆をする」ということです。
多くは占いから始まるパターンが多いので、自分もすっかり忘れていましたが、実が厳密に言えば占いを用いないで相談者の相談内容を聞いて判断して示唆をする時もあるのです。
そういうと「大した差はないじゃない?」とか「必ず占いで何でも、でなくてもそれは有りじゃない?」と思われる方もいると思います。その通りです。
ですが、できれば相談者が占いが好きで占いによる結果の示唆の方が示唆を信じてもらう上で効果的なのはあります。
なので、やはり相談者を自分の教団に引き込む。または信じ込ませるためには活用した方がいいのはあるわけです。
では何で「占いを用いないで示唆をする場合があるのか」です。
それは理由は2つあります。
1つは相手が「占いを嫌っている場合」もあるからです。いきなり占いから始めたら拒否される、または嫌悪される場合もあります。
だからそういったのを回避するためもありますね。
もう1つが一番多いのですが、これが圧倒的理由でしょう。それは
「占いの資格を持っていない人が占いを用いて示唆をしてはいけない」という規則が阿含宗にはあるのです。
だから占いを以って示唆をする人や場合があるのと占いを無しで示唆をする場合があるのがそこですね。
でも、私はこの違いを言いたくて今回記事を書いたわけではありません。
では何を言いたくて書いたのか、です。
それは「占いを用いようが用いなかろうが、結局は相談者を宗教に招き入れるのが目的」なわけですから、途中の示唆経過は「同じような経緯を辿るのです」ということです。
実際的に説明してみましょう。
■占いを用いた場合の例
相談者が相談をしてその結果を見るために占いを使います。
そしてその出た結果を「占いではこう出ています」という感じで説明を進めます。
その結果は人によって違うのですが、大抵「霊障、悪因縁」のことを出してそれが原因であることを述べます。
そしてそれを信じ込ませるわけです。
その結果、そういったものは宗教の力でしか治せない。改善できないと言います。
ですが一口に宗教と言っても阿含宗以外にも宗教はあるわけです。
ただ、そのたくさんあるどの宗教でもいいということではなく、阿含宗にしかないものを打ち出す。
尚且つその霊障を解いて悪因縁から解脱できるということを説明するわけです。
つまり問題解決は「阿含宗でしかできない」ということを信じ込ませるわけです。
その結果相談者が納得してくれて入信してくれれば、はい、信者獲得となるわけです。
■占いを用いない場合の例
相談者が相談をするまでは、同じです。スタートは皆同じです。
ただ違うのはここからで、占いを用いない場合はまず相談者の相談を良く聞きます。
そしておもむろに心当たりがあるであろう事項らを述べてゆきます。
例えば最近とか今から近い時期で身内や縁者に不幸な亡くなり方をした方がいないか。
本人が頑張っているが、中々改善が無く不幸が続いているなどのことらを該当要素を聞いてきます。
すると大抵の悩み事はそういうものに該当したりしますから、話的にはなんとなく辻褄があうわけです。
そこで、因縁の話や先祖が成仏してない可能性があるのでそれが影響している模様だと説明するのです。
中にはそういった事項に反発する人がいますが、多くは「そうかもなあ」と納得しがちな場合が多い。
あと遺伝ではないが、問題を抱えている人の多くは親とか先祖で似たような傾向の人生を歩んでいる場合があったりするものです。
だからその辺りを突いてやれば「何でこの人はこういうことがわかるのか」と信じてしまいます。
あとはそういった説明を色々として阿含宗側はそういったものに対応できる教団ですよ。
悪因縁や霊障といったものから離れることができる。解決できるものを持っている教団なのですよ、という旨を話す。
するとそれを信じて応じたら「はい、入信」となるわけです。
どうでしょう?両者を見ると若干の違いはあるものの、基本的な伏線は外れておらず、結果は占いを用いようが用いまいが「ほぼ同じだ」というのがわかりますね。
これが私が言っていた「後々は同じくなる」というのがここです。
いづれにしても「阿含宗の持つ概念を植え付けて信じ込ませることが手口である」ということです。
私がいつも言うことですが、皆さんは宗教はもちろんのこと、本当の仏教の内容や阿含宗の中身。また欺瞞について知りません。
だから何かあって相談をした際に、その教団が言うことに対して「ここは違う」とか「嘘をついているな」ということが言えないしわからない。
せいぜいあったとしても「納得がいかない」もしくは「なんか変だな。胡散臭い気もする」ぐらいで終りです。
人間というのは悲しいもので、普段は何でもなくても困ったときは藁をもすがりたいものです。
そこに阿含宗でなくても何か優しい対応や相談に乗ってくれると、つい信じてしまいます。
だから大抵の人が騙されるのは「何か困ったことがあってそれが契機」な場合が圧倒的に多いのです。
だって困ってもいないし、悩みもない人が宗教の門をたたきますか?または相談に行きますか?
全くそういう人はいないとは言いませんが、まず99%ないのが現状です。
そして高確率で窓口を訪れるのは「何か困っている場合」が大半なのです。
確かに人間万事悩みもなく、平穏で暮らせるに越したことはない。
だが、人生というものは問題を抱えたり障害が生じたりする場合もあります。
そういった時に宗教の影響を受けることもあるのです。
一生宗教に縁が無い人も居ることでしょう。そういう人は本当に幸いですし理想です。
ですが、そうではない人も居るわけです。
悩みがあって相談をして、促されたから一生懸命宗教に励んでいる人もいるわけです。
何とかしたくて頑張っているわけです。
ところが宗教で問題が解決されるかどうかは、保証はないわけです。
特に病気面では中々解決は難しい面があります。
それに対し「わが教団はどんな問題にも全面的にバックアップします」ということを言う教団はゼロです。
何でか?そう言う教団があったら、皆問題を抱えた人の責任を取らねばならないし、教団自体がその人らを一生面倒見なければいけない。
そんな奇特な教団なんて、どの時代も聞いたことも見たこともありません。
それからわかるように完全に何でも解決ござい、のところはないということです。
また実際問題として、相談には乗るがそれが解決できなくても解決ができないのは「相談者の努力や講じ方が間違っているからだ」とやる教団が多いことです。
つまりはていのいい「いちゃもんをつけて責任逃れをする」ということです。
特に阿含宗は自分が昔いたからその辺りの言動はよく見ています。本当に酷いものです。
信者を食い物にし、搾取するだけ搾取して用が無ければ893のように因縁を吹っ掛ける。とんでももない教団です。
あまりにもうるさい場合は破門もされます。
そんなに気に食わなかったら出てゆけ、ですね。それをやられる。
まあ、そこまで行く人は稀ですが、破門は無くても間違いなくあれこれ言われて「何もなし」です。
こうなると騙される方が悪い、ともいえる所業になる。
だからそういった被害を蒙る前に、自分は警鐘を発して日々呼びかけているわけです。
物事の事象は霊障でもなく悪因縁でもない。また解決は宗教に依らなくてもできるものもあります。
病気なら病院や医学の力で対処すべきですし、諸問題も多くは自分の力かいろんな人のサポートで解決できる場合もある。
宗教に依存しているから騙されるのです。
どうか、私の提唱を皆さんが知って詐欺宗教の餌食にならないようにと願う次第です。