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幸せ者

彼女のことだけをよく知ってる
そして音楽が胸の中でいつでも鳴ってる
そんな感じでいい

その06 お気に入りの街

2005年07月14日 | 2005年NY日記
今頃になって時差ボケがやってきたからか、何なのかよく分からないけど、夜中に寝付けず、朝方まで起きてしまった。
寝たのが6時前。
起きたのは8時半頃でした。
夜街で会う予定になっていたフジケン夫妻から部屋の鍵を預かり、チョットだけ眠る。
起きて洗濯をして、ちょっとボーっとして、ノソノソ出発。

本日まず目指すのはチェルシーです。
グリニッチ・ビレッジと隣接しており、ギャラリーなども多くアーティスティック?な街とのこと。
23St 7Av駅で地下鉄を降りる。
すると目の前に、このたびで絶対訪れようと思っていたホテル・チェルシーが現れます。
ホテル・チェルシーには様々な伝説があります。
また、映画レオンでマチルダとレオンが住んでいたアパートとして登場します。
そして、オイラの思い入れとしてはどうしても、ジョニ・ミッチェルの名アルバム「clouds」の中に出てくる曲「chelsea morning」です。
おそらくこの曲を作った当時レナード・コーエンがホテル・チェルシーに住んでいたのでしょう。
二人で過ごした翌朝のキラキラ輝く様子を歌ったコロコロ転がるような歌です。
ちなみに、アメリカ前大統領クリントン氏の娘さんのチェルシーはこの曲から取ったとのこと。
そんなこんなで一瞬70年代前半にタイムスリップ。
やっぱりこの辺まで来るとミッドタウンの騒々しさは和らいでくるなあ。

そしてその後は昼食。
ピザのチェーン店でピザを食べる。
一切れ5ドルで日本のデリバリーの4分の1くらいある。
安い。
そして、レジのイタリア系のお姉さんが超美人!
思わず、「み、みでぃあむぺぷし ぷりーず!」の声も上ずっちゃいました。

その後グリニッチ・ビレッジに移動。
お土産を目当てに街をぶらつく。
この辺はチェルシーと同じでとても静かです。
そしてニューヨーク大学が近くにあるので若者が多い。
さらに、イースト・ビレッジまで足を伸ばす。
ここも若者が多い。
そして、「COMICS」の看板につられて店に入ると、アメコミがいっぱい。
奥に入ると、日本のコミックの英訳版のコーナーがある。
手塚治虫は個別に1段コーナーが作られている。
うーん、やはり彼はアメリカでもリスペクトされているらしい。
さすがだな。
ドラゴンボールやめぞん一刻まであるが、多くはマニアックなコミックスだ。
お店にはフィギュアも一杯あるし、ここは秋葉系?
まあ、この店だけなんだけどさ。
お土産用にドラゴンボール、コナン、よく分からないフィギュアを購入。
ふむふむ、この街好きかも。

フジケン夫妻とはグラセン近くのお店で待ち合わせていたので、
グリーンの地下鉄に乗るために、ユニオン・スクエアを目指す。
その途中で、Western Spiritなるお店が眼に入る。
カウボーイ・グッズやインディアン・グッズを売っている。
思わず、入店。
BGMはお約束のカントリー・ミュージック。
お店のお兄ちゃん、ノリノリです?
インディアン・グッズがあると言うことは、絶対あるはずだと思ったらやっぱりありました。
怪しい守り神人形。
青3の要望にピッタリだ。
即購入!
お土産行脚好調です。

14St.Union Squar駅から33ST Park Ave駅で降りる。
ヤンキースのクラブハウスに向かう。
ここで、青3のジュニアに55番のグッズ購入。
着ているところ想像してみてニヤニヤしてみる。
孫に贈り物するおじいさんの心境です。
その後ブライアント・パークの裏手(?)にあるニューヨーク市立図書館の前庭の木陰で30分くらいボーっとしてみる。

フジケン夫妻と待ち合わせてグラセン近くの日本料理屋「肥前」に入る。
フジケン夫妻の友達が一人日本に帰るために、送別会をするとのこ。
そんな大事な会にノコノコ参加して、酔っ払ってしまいました。
いいちこ飲んじゃった。
面目ない・・・。
そのフジケン夫妻宅に帰り、爆睡しマスタ。
なんだか、何をして痛んだかよく分からない1日だったな。
でも、木曜日はお昼過ぎの便の予定。
と言うことは、移動するだけなので、実質観光できるのはあと1日か。
明日はいよいよ、ゴッホに会いに行こう。
それでは、また明日。

といいつつ、これを書いているのは水曜日の夜だったりして。

その05 SMOKEな世界

2005年07月12日 | 2005年NY日記
7月11日(月) 快晴 暑過ぎ

学校に行くフジケンと地下鉄の駅で別れ、一人ブルックリンに向かう。
昨日はマンハッタンを彷徨ったけど、今日はブルックリンを彷徨おう。
Grand Army Plazaで下車し、Prospect Park West Stを進む。
左手にProspect Park、右側にProspect Slopeのアパート郡を見ながひたすら歩く。
住宅地なので非常に静か。
黒人や、ヒスパニック系の家政婦さんが白人の子どもの乳母車を引いているのを良く見かけた。
うーん、厳しい世界だ。
禅的な解釈をすれば、それも方便(役割)か。
もちろん、自分の子供を乳母車で散歩に連れて行くお母さんの姿も散見される。
なんか平和だ。

9th Stで右折しSlopeを上る。
道の両側にはアパート。
オーギーが盲目のおばあさんの相手をしていた、あんなアパートがちらほら。
そして、7th Stでまた右に折れるとそこはProspect Slopeの目抜き通り。
カフェやダイナーが散見される。
なんかおとなしい住宅街の中の商店街って感じ。
オーギーはいそうにない。
ということで、当初はこのままブルックリン・ブリッジまで以降と思っていたが、
ブルックリンのダウンタウンにオーギーの面影を探しに行くことに決める。
地下鉄に乗り、4 Av-9Stで乗り換えると電車は地上に出ている。
ジェットコースターのように高いところを走る。
これも映画のイメージだなあ。
そして、Carroll Stで降り、地上に出るとそこはブルックリンのSmith St、メインの通りだ。
こっちは活気があり、お店の前で色んな人種の人たちがたむろしている。
そして、ひたすらしゃべってる。
人通りも多いし、まさにオーギーのタバコ屋さんがありそうな世界。
思わず雑貨屋に入り、コーラを購入。
ヒスパニック系のレジ係の青年をを心の中でラシードと呼ぶ。
映画にちょっとだけ出演した気分に浸っちまったい。へへへ。
BGMはもちろんTom WaitsのRain Dogs です。

Bargen Stで地下鉄に乗るつもりが、いつの間にかJay St,Borough Hallまで歩いていた。
そのまま一駅だけYork Stまで地下鉄。
駅を降り、まっすぐ川の見えるほうへ進むとそこは公園のようになっている。
わーお、マンハッタンの東側が良く見える。
ブルックリン・ブリッジも見える。
ここは気持ちいいなあ。
そして、おもむろにMP3プレーヤーを取り出し、
SMOKEの世界ではないけれど、ここの眺めは壮観ですわ。
スケールが大きく、開放的な眺めです。
ベンチに座り、近くのデリで買ったサンドイッチとスプライトで軽い昼食。
シャッターも切っちゃうね。
目の前では男女2人ずつのアーティストたちが何やら面白い動きで、何かを表現する練習をしている。
うーん、現代正解のディスコミュニケーションを表現しているのかな?
要するにワケ分かりません。笑
そしてここでも結局Rain DogsからDown Town GirlとAnywhere I LAy My Head。
SMOKEバンザイ、Tomバンザイ。

30分ほど休憩して、いよいよブルックリン・ブリッジを歩いて渡る。
駅近くに入り口があって、そこから自動車道路に挟まれて歩行者・自転車用の通路がある。
通路はマンハッタンに向かって左側が歩行者、右側が自転車用の通路。
結構人がいる。
観光スポットらしい。
しかし、オイラ気分はポール・オースター。
ブルックリン・ブリッジを下を向いて早足で渡る。
途中の橋柱のところに、ブルックリン・ブリッジの建設にまつわる話が英語で書いてあった。
ほとんど分からなかったけど、シティ・オブ・グラスに出てきた話でインプット。
でも、昼間だったこともあり、段々明るい気分になってきちゃってね。
橋も真ん中に近づくと左手には自由の女神も見えるし、観光客も一杯いるし、
軽い感じになっちゃったよ。
昼間は昼間で壮観な感じがするけど、夜は夜景としても美しそうだな。
いつか誰かと二人で来ることがあったら、夜この橋を渡ろうっと。

マンハッタン側に到着すると、そこはシティー・ホール。
市役所ね。
周りはこれといって、見所はなし。
そして、2日間通じて歩きまくったため、足の裏が水ぶくれになっちゃった。
そんなことで、今日はもう散歩は終了。
昨日SOHOに行きそびれたので、今日こそは。

駅を間違えずに、Prince Stで降りました。
駅を降りて、先輩(♀)に頼まれたトートバッグのお店MZWallaceの場所をチェック。
そして、自分はデリで一休み。
せっかくなので痛い足を引きずりながら街をちょっとだけ散策。
しかし、この街は完全にショッピングに特化してしまっている模様。
日本人の人も数多く見かけました。
ブルックリンなんて、一人も見かけなかったのに。

それに辟易としていると、元アートの街らしくギャラリーを何店か発見。
そのうちの一つにmorrison hotelという写真のギャラリーがあります。
Elliot LandyというWoodStockのオフィシャル写真家だった人の写真が展示してあります。
Bob Dylan,Jim Morrison,The Band,Janis Jp@lin,the Rolling Stones,John & Paul,Neil Youn,Tom Waits からCurt Covain まで様々なアーティストの写真たちでした。
みんな若いし、ロックファンなら誰もが一度は見たことのある写真がいっぱいでした。
その中で目を引いたのは、Tom Waitsとカートの写真。
トムは若い頃のピアノによっかかっている写真。
カートは全体的にぼやけているが、ギターを持って体を折り曲げた写真でした。
カートの写真が良かったなあ。
買わなかったけど。

そして、スターバックでちょっと休憩し、MZWallaceでバッグを購入。
ここの店長さんらしき人が、ニコラス・ケイジ顔なくせにデニムを腰ではいている上にちょっとくねくねしてるのね。
噴出しそうになっちゃった。
ここでも日本人の女の子二人連れと遭遇。
買ったバッグを持ってさっさと退散。
そして、フジケンの家へむかいましたとさ。

地下鉄にもだいぶ慣れたぞ。
DELIには抵抗なく入れるようになった。
後はバスに乗って、ウェイターさんがいるような店に入ることをクリアしたいな。
足が痛いので明日はおとなしく買い物でもしよう。
観光の課題はジョンが撃たれたダゴタ・アパートに行くことと、ハレムかグリニッジ・ヴィレッジでJAZZのライブを見ること!
では、また明日。

P・S 次のBlogで写真もアップします。

その04 今度は折紙ボランティア

2005年07月11日 | 2005年NY日記
7月10日(日)

毎年恒例 ブライアント・パークにおける盆踊り祭りのイベントで、NY de Volunteer, Inc.主催「折紙を通じて日本文化を伝えよう。」をお手伝いしてきました。
盆踊りの横で子供たちに折紙を教えるのです。
もちろん日本語がしゃべれない子供にも。

12:30前に集合し、事前に練習をしました。
一応出来るようになったのは下記の通りです。

・かぶと
・風車
・パクパク
・鶴
・手裏剣

折紙は何とかなるけど、会話が不安です・・・。
とか何とか言ってるうちに、早くも子ども登場。
フジケン、なぁ、と供に折紙を教えます。
一人に3人で教えてるうちはいいんだけど、子供が増え始めてマンツーマンで教えなくてはいけなくなってしまって。
しどろもどろでなんとかかぶと完成。
喜んでもらえたよ。
なんか嬉しいね。
次々に現れる子供たちと、その親たち。
親が夢中になって折り紙したり、子供に全部自分でやらせたり、途中途中で手を差し伸べたり、
日米問わず色々な親子の風景があった。

会話もままならない英語をなんとかかんとかごまかしながらコミュニケーションをとる。
これは疲れるけど、おもしろい。
相手がこどもで、折紙と言う仲介があるにしてもおもしろいなあ。
昨日のJETのボランティアといい、いい経験させてもらいました。

そして、17時過ぎにボランティア終了後、会社の先輩から頼まれていたバッグを買いにSOHOへ。
降りる駅を一つ間違え、道に迷う。
そのお店日曜日は18:00弊店と書いてあったはず。
間に合わず・・・。
ということで、SOHOを散策・・・してるつもりがいつの間にかグリニッチ・ビレッジにいる。
なんだユニオン・パークって??
ここはどこだ?
とりあえず、マックで気を落ち着かせる。
慌てふためいた俺に、女の子の店員さんがTシャツに書いてある「空中キャンプ」の文字を見て、
「私日本語少し分かるわよ。それ・・・キ・・・ヤ・・・ン・・・フでしょう?」
って聞いてきた。
嬉しかったなあ。
思わず、「こっちの感じは、空中で、意味は in the air って意味なんだ。Camp in the air って意味なんだよ。よく分かったね。すごいねえ。」なんて会話して、嬉しくて嬉しくて、恋に落ちそうになっちゃいました。←単純。
そのまま、ジョニ・ミッチェルや、シド・ビシャスで有名なチェルシー・ホテルを探しに行くが、
またもや、いつの間にか全然違う場所に。
場所もどこだかわからない・・・。
地下鉄の駅を探して四方八方を歩き回る。
アパートが並ぶ通りや、高層ビルが並ぶとおり、はたまた緑一杯の公園を脇を抜けひたすら歩く。
ドーパミンが出てるのか、セロトニンの活動が活発になってるのか分からないけど、トランス状態。笑
でも、原則的にちょっと外れると静かな通りが多いな。
ちょっと匂いがきついときがあるけど。
そして、トランス状態のまま歩いていると、
進行方向正面のやや上り坂、両サイドにビルが立ち並ぶ直線の道路の先に、
オレンジ色がキラキラ輝いている。
20時近くになってようやく沈み始めた夕日が、ビルに反射して輝いているようだ。
なんともいえない恍惚感。
散歩×夕日ビルで、脳は大回転。
でも、地下鉄の入り口は見つからず・・・。
さすがに疲れてきた。
もう、ダメだと思って歩いていると、黒人の青年がビラを配っている。
お兄ちゃんににワッフルのビラを渡される。
ふと立ち止まってビラを眺める。
そして、再び歩き出すために顔を上げると、前方に「M(地下鉄の入り口のマーク)」が!
マジックだったねえ。
さっきまでそこにはなかったと思ったんだけどさ。
こういうように焦っているときは、一度立ち止まってみよという教訓なのか。
それともその黒人の青年が、ヘトヘトになったオイラを見かねてちょっと魔法をかけてくれたのか。
どちらにせよ、感謝感謝ですわ。
そして、地下鉄に無事乗り込み、何度かの乗換を経てフジケンの家につけました。

買い物も出来なかったけど、いろいろなものを手に入れることが出来たような気がする夜だったな。
とうことで、今日はぐっすり眠り体の疲れを癒し、明日はいよいよ「ブルックリン」だ!
まってろよ、オーギー、ポール、ラシード!

その03 NY的日常

2005年07月10日 | 2005年NY日記
本日は昼近くまで寝てまして。
フジケン、なの字に食事を作ってもらい、その洗濯、買い物へ。
街を歩いている人の人種が、まあたくさんいておもしろいね。
多いのは黒人さんとヒスパニックの人だけど、不明な人もいるしさ。
99¢ショップにも行きました。
100円ショップに負けず劣らず品揃えがスゴイ。
そして、陳列が乱雑。
お客さんが落とした品物がそこらへんに落ちているし、別の棚に並んでいる。
でも、誰もそれを気に留めない。
前にどこかで聞いたことがあるけど、日本人の人が落ちた商品を拾ってもとの棚に戻すと店員さんに怒られたって。
「俺の仕事を失くすきか!」
だってさ。
資本主義的分業の局地ですな。

そして、店を出ようとするとスコール。
さっきまで快晴だったのに、すごい大雨。
でも、1時間~30分であがるとのこと。
お店でダラダラしてると雨も小降りになってきたので、次はスーパーマーケットまで。
雰囲気は日本のものとほとんど同じだけど、売っている一つ一つのスケールが大きい。
ガンプラに例えれば、日本のスーパーが「1/144」なのに、こっちは「1/100」って感じ。
米があんまりおいてない代わりにパンのコーナーがやたらとでかいしさ。

そんで買い物を済ませると、帰りに公園でボールを蹴りました。
小さな公園だけど、遊戯施設もあれば、バスケのコート、テニスの壁うち用のコートもあって充実。
こういうのは本当にうらやましい。
「この公園での、球技を禁止します・」とか書いてないし。
公園でリスを見かけました。
そういえば犬の散歩は見かけるけど、猫をあんまり見ないなあ。
アメリカのネコもいじりたかったのに。
もうちょっと注意してみてみようっと。
家に戻り、なの字にパスタとピザを作ってもらいました。
うん、まいうー!
そして、時差ぼけから来る眠気に負けて眠りを貪る。
んで、起きてきて明日のボランティアの折紙の練習。
そんで夜の12時過ぎにフジケンが作ってくれたホットドッグを食べました。
うん、こちらもまいうー。
そんな感じの土曜日でした。
明日は街に出るからちょっと観光してこようかねえ。

その02 「NYでボランティア」

2005年07月10日 | 2005年NY日記
ドミトリーさんに教えて貰ったとおりに進むと、語学学校に到着。
受付の女性に「ここの生徒でフジケンという人を探しているのですが、呼び出しとかできますか?」と聞いてみる。
「それはできません。上から下まで探して歩くのは自由だけど、やってみる?」って言われました。
おいおい、この大荷物見てそれいってんのかよ?
途方にくれた挙句もう一度フジケンの携帯にかけようと思って公衆電話を探しに外へ出る。
公衆電話がない・・・。
外は雨が段々強くなってきてる。
ちょっと切ないぞ。
日本にいて、雨に打たれて濡れ鼠なると迷子になったようなよう名心細い気分になっちゃうんだけど、本当に迷子だよ・・・。
公衆電話を発見。
ホッとするまもなく、電話をかけようとして、改めて気づく。
「小銭がない。」
またもや途方にくれる。
どこかコンビニみたいなところがないものかと思って町をうろつく。
すると見たことのある看板が。
「STARBUCKS」
ここなら注文できる!と思い、お店に入り黒人の青年に、
「か、かふぇらって、れぎゅらー、ぷりーず」と注文。
日本と同じラテが出てきました。
小銭もゲット!
いざ、公衆電話へ!
と思い店を出るとそのスタバは語学学校の向かいだったことに気づく。
そして、何気なく語学学校入り口を見ると、タバコを吸う見慣れた顔を発見。
フジケンだ!
いそいそと道を渡り、おもむろに近づく。
普通に挨拶を済ませる。
握手なんてしちゃって、すっかりニューヨーカーね!

語学学校の教室に入れてもらいました。
17:30。
30分もさまよっていたのね。
久しぶりの会話をして、そのまま別のビルに移動。
フジケンに誘われていたNY de Volunteer, Inc.の活動の一環で、
JETプログラムで日本に行く人に、日本語を教えましょうという活動に参加したのでした。

7月中に日本に渡航する予定の人たちへ、カタカナで自分の名前を書き、日本語で挨拶が出来るようになり、キーとなるフレーズを覚えてもらうとう企画でした。
基本的には在NYの日本人の人がほとんどなんですが、特別に入れて持っちゃいました。
英語もろくにしゃべれないのにね。オホホ。

日本の各地へ行く人たちの中で、九州、四国に行く予定の3人に、フジケン、なの字、オイラの3人で教えようというもの。
オイラの担当はLori Mizroさんという女性でした。
この人がまたテンションの高い人でね。
でも、日本語を学ぼう、この機会を今後の活動に生かそうという意欲がとても強い人でした。
こういう態度には本当に感銘を受けます。

Loriさんカタカナは軽くクリアし、日本語自己紹介へ。
「よろしく お願いします」が中々言えない。
「おねがいします」が難しいらしい。
「よ・ろ・し・く・お・ね・が・い・し・ま・す」
って言っても、
「よーろーしーくー、おーねがーしゅましゅ」
になっちゃうのよね。
とってもキュートです。笑

なんとかかんとか、挨拶も出来るようになり、名刺交換!の練習までもして終了。
終了後同じくボランティアで参加していた、えり香、ロバート(だったっけ?)のホフマン夫妻とお食事へ。
NY初のお食事は「とんかつ」でした。
NTまで来てと思いきや、ここのとんかつは美味しかったよ。
日本のおいしいとんかつ屋さんのレベルでした。

ホフマン夫妻はダンナさんがNY出身で、日本で10年間過ごし、その間奥様と結婚、8ヶ月前に仕事の関係でNYに戻ってきたとのことでした。
ダンナさんは微妙なボケを繰り返し、奥様が突っ込み、たしなめるという夫婦漫才を見せていただきました。
お食事後NYの街を歩きながら、だんなさんがあれやこれやNYの名物を説明してくれました。

今日のボランティアは、ホフマン夫妻、Stacyさん、Loriさんに感謝です。
1日(半日)目はかなり楽しかったぞ!

さてさて、今日以降の予定は何も決めてないので、これから今後の作戦を練りたいと思います。
今日は、買い物、洗濯などをするらしいので、それについていこうと思ってます。
明日から本格的に観光だ!

その01 「25時間くらい起きていた気がする」

2005年07月09日 | 2005年NY日記
7月8日

旅に出る前に最大の難関がありまして。

NW18便 15:45成田発

2時間前に到着が目安と言うことは、13:45成田空港に着いていなくてはいけないということになります。

そして難関というのが、10:30横浜の吉野町でお客さまアポ。
乗換案内等で検索すると11:32発の地下鉄あざみの行きに乗らなくてはいけません。
アポの内容もヒアリングがメインだけど、SEさんも一緒でそこそこ重め。
SEさんには時間の話をしてあったけど、ドキドキです。

10:30前に客先に入り、折衝スタート。
お客様との話が始まると、時間を忘れていつも通りテンションで話をしてしまいます。
自分の話が一段落し、SEさんの話が始まり、お客様の話を聞き、話も終盤にさしかかってきました。
気づくと11:15過ぎそろそろ切り上げねばって思うと中々終わらないもんで。汗
最後にお客様に「何かご不明な点はございますか?」ってお聞きするんだけど、
こういう時に限って色々聞かれたりしてさ。
どうにSEさんにはお客様の物流センターを見てもらうためにその場に取り残してダッシュで吉野町の駅へ。
なんとか、11:32分の地下鉄に間に合いましたよ。

横須賀線~京成線を経由して13:50過ぎに成田到着。
諸手続きを順調にパスして14:45には26番ゲートに到着。
ここで、お疲れ様の意味を込めて生ビールを一杯。
うーん、美味美味すきっ腹に応えます。

飛行機の座席に着くと窓側左隣にダンサー系のファッションに身を包んだ若い女の子。
はじめはしどろもどろだったけど、入国審査書類の記入とかで言葉を交わすうちに少しずつ打ち解けて、少しだけ会話もするようになりました。
とは言え、12時間のフライトですからね。
そんなにしゃべることもないし、お互い眠くもなるでしょうから会話もそこそこに。

機内での飲み物はまたもやビール。
立て続けに缶ビール2本制覇。
いい気分。

離陸して1時間くらいで早くも機内食。
早すぎだっつうの。
そしてこれは予想通りあんまりおいしくないです。
しかも、ビールでお腹一杯なっており、結局残しちゃったよ。
後でお腹が空いて大変でしたよ。

食事の後しばらくして室内灯も消え、早くもお休み体制へ。
まだ眠れないので読書タイム。
空港で買った藤沢周平の「用心棒日月抄」。

>ちあき
初藤沢周平です。
読み物だけにぐんぐん読めますね、これ。
他のも読んでみたいです。
貸してくりぇ。

小説読んでると眠気もやってきまして、いつの間にか寝てしまいました。
でも、どれくらい時間がたったか分からないけど、わりと早めに起きてしまいます。
やっぱ寝れないのよね、飛行機って。
そんなことを繰り返していると、隣の子も起き出してます。
お互い声をかけるでもなく、その子がふと窓のシャッター?を上げると、
外には雲海のが見え、雲海と空の切れ目がオレンジに染まり、雲もオレンジに染まってます。
こんな光景は飛行機に乗らないと見れないよね。
思わず、感動してしまいました。

そして、そこからはもう寝付けず。
ちょっと寝ては起きるの繰り返しでした。
朝食が出て、これもおいしくなかった。笑

そんなこんなでJFK到着。
イミグレーションも終わり、ダンサーの子ともお別れし、フジケンに電話。
で、公衆電話で電話しようとフジケンの携帯を呼ぶが、「番号が有効ではありません。」って出るのね。
何度かけてもそう。
番号を間違えてメモしてしまったのかと思って途方にくれる。
んで、公衆電話を良く見ると、市外にかけるときは「1」をダイヤルしてくださいって書いてある。
そういうことね。

んでもって、フジケンに電話。
久しぶりに聞くやつの声、しゃべり方。
「タクシーで来るといい。」と言われ、タクシー乗り場へ。
外は雨・・・。

タクシーはもちろんイェローキャブ。
マンハッタンのどこに行っても、45$均一。
こりゃ、ぼられる心配なくていいぞ。

運ちゃんがドミトリーさんというソ連から亡命して16年の人でした。
俺の英語力の低さと、ドミトリーさんの訛りもひどくて、全然聞き取れないよ。

空港を出てすぐ、タクシーの窓から外を眺めるが、右側通行以外は日本の郊外とそんなに変わらないんじゃないかと思ってしまう。
家の形はちょっと違うけど、雰囲気がね。
渋滞してるし。
ま、日本が真似たんだろうけど。

ただ、マンハッタンに近づくと、大きな建物が増えてきた。
ドミトリーさんはブルックリンの方からマンハッタンに入るルートを選択。
ブルックリン。
映画「SMOKE」の世界。
おー、電車が走ってる。
大きなアパートが見える。
その向こうには、煙った摩天楼。
いよいよ、NYに来た感じ。

なんとかかんとか会話しながら、マンハッタンの語学学校に到着。
現地時間17:00。
いやいや、この先何があるんでしょうか・・・。