Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館2日目前編

2024-01-20 14:32:01 | 旅行

2023年の記録

朝から雪が舞う函館を終日散策、夕方になり雪が止み、青空が広がった2日目の記録。

 

 

エメラルドグリーンの屋根に白壁の正教会聖堂は、雪景色に最も映えると思うのは、僕だけだろうか。聖堂にカメラを向けていると、吹雪いていた天に一瞬だけ青空が広がった。

 

 

ホテルから八幡坂を登り、日本基督教団函館教会→カトリック元町教会→聖ヨハネ教会→ハリストス正教会→遺愛幼稚園→元町公園→旧英国領事館と時計回りに散策した。(前編)

 

 

投宿したHakoBA Hakodateは、函館港を臨み函館山を背にした八幡坂のふもとに立地する。1932年(昭和7年)に安田銀行函館支店として竣工、その後、富士銀行、HOTEL NEW HAKODATEを経て、現在のHakoBA Hakodateにリニューアルされた。

2つのベッドルームのあるメゾネットタイプからドミトリーまであり多様性に満ちている。ローグレードの客室は、共用シャワー、洗面所となっていて、合理性的でリーズナブル。

僕は4階のシェアキッチンを利用し、コワ―キングスペースで、仕事をするなど、まさに旅×生活を楽しんだ。(レンガ調外壁の建物は、近年増築された建造物である。)

 

 

HakoBA Hakodateから八幡坂を登り、左に曲がったところに日本基督教団函館教会がある。バス通りにあり、鉄筋コンクリート造2階建てで、白い外壁に濃い青色の尖塔屋根のあるゴシック風建築が、ちょっと窮屈に建っている。1931年(昭和6年)竣工、函館市景観形成指定建造物。

 

 

大三坂に出ると美しい板張りの「蕎麦彩彩・久留葉」。メルヘン調に塗られた板張りや洋風建築の一般住宅を眺めながら函館元町教会群(聖ヨハネ教会、カトリック元町教会、ハリストス正教会)を目指す。

 

 

大三坂を登ると右手にカトリック元町教会が視界に入る。初代聖堂は1907年(明治40年)に火災で焼失、1910年(明治43年)に煉瓦造の二代目聖堂が竣工するも、1921年(大正10年)に二代目聖堂も焼失してしまう。しかし、焼け残った煉瓦の外壁を使用して1924年(大正13年)に高さ百尺(33メートル)の尖塔を持つ鐘楼があるゴシック様式の現聖堂が再建された。

 

 

大三坂を登り突きあたったところに日本聖公会の函館聖ヨハネ教会がある。茶色の屋根と外壁の十字架が特徴で、屋根も十字型である。(函館山山頂から十字型の屋根が見られるとか) 現聖堂は、1979年(昭和54年)竣工と新しく歴史的建造物ではないが、十分に美しい。

 

 

カトリック元町教会とも、函館聖ヨハネ教会とも道をはさみ向かい側にあるのが、ハリストス正教会。1860年(万延元年)、初代ロシア領事館の付属聖堂として建立されたが、1907年(明治40年)に函館大火で焼失した。1916年(大正5年)に二代目となる現聖堂が再建された。

建築様式はビザンティン建築・ロシア建築の影響を受けており、煉瓦造一部3階建ての平屋で、基礎は石造り、外壁は白漆喰を塗っている。

1983年(昭和58年)重要文化財指定、2022年(令和4年)大規模修復実施。

 

 

ハリストス正教会に隣接して、板張りの遺愛幼稚園園舎がある。ハリストス正教会に隣接しているが、ハリストス正教会付属ではなく、M・Cハリス夫妻の「日々学校(Day School)」を源流とした遺愛女学校の系列である。初代園舎焼失後、篤志家により1913年(大正2年)木造2階建て構造の現園舎が竣工された。

 

 

遺愛幼稚園から元町公園に向かって歩くと、“もどき”を含め、雰囲気の良い建物がならぶ。(自分の感性に従って、楽しんでいるので、“もどき”か、否かは、あまり関係ない。) カラーの板張りの洋風と純和風が、良い意味で混在しているところが、函館の街なみの魅力だと、僕は思う。

 

 

元町の西端にある元町公園内には、歴史的建造物が3つある。その1つ目が、旧北海道庁函館支庁庁舎である。当初の庁舎が、1907年(明治40年)の大火で焼失、1909年(明治42年)に洋風木造2階建てで竣工した。1991年(平成3年)にも内部を焼損したが、修復整備されている。道指定有形文化財、伝統的建造物。

 

 

元町公園内にひっそり佇んでいるのが、旧開拓使函館支庁書籍庫。次に紹介する旧函館区公会堂の煌びやかさの対極にある地味な建物である。1880年(明治13年)築。1907年(明治40年)の大火でも類焼を免れた。レンガは函館近郊の茂辺地製。北海道指定有形文化財。

 

 

旧函館区公会堂は、明治40年(1907年)の大火の復興として、初代相馬哲平(後編で紹介する相馬株式会社創業者)の寄付により1910年(明治43年)に北海道特有の木造2階建ての擬洋風建築、アメリカのコロニアル風洋館として建設された。国の重要文化財指定。

見ての通りの日本離れした煌びやかなハデハデな外装である。

 

 

元町公園から基坂を下り、旧英国領事館へ。現在の建物は、大火後の1913年(大正2年)に再建されたもので、1934年(昭和9年)年までイギリス領事館として使用されてた。レンガ造2階建、外装は塗壁仕上げが施され、全体に装飾は少なく、シンプルな意匠である。現在は、開港記念館として一般公開されている。函館市の有形文化財。

 

 

一般住宅であるが、綺麗にリノベーションされている。このような建物が、函館には多く、見ていて気持ちが良い。

 

 

【メモ】

いよいよ、ワラビスタンを離れる日が近づき、引っ越しの準備を始めている。「モノ持ちが良い」というか、捨てられない性格なので、こんな時でしか断捨離ができない。生来の貧乏性で、とにかく捨てられない。例えば、靴下の踵部分が薄くなると、その時点で捨てれば良いものを家履き用に捨てない、やっと穴が開き捨てるかと思いきや靴磨きのウエスにするために取っておく。家にいるより外にいる方が多いし、毎日靴磨きをするほどマメでもないので、ボロ着やガラクタが溢れてしまう。だから使えるか否かではなく、具体的に使う予定があるか否かで、バシバシ捨てることにした。

 

元々、新しもの好き、根なし草志向なので、引っ越しは苦どころか、ワクワクしている。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館1日目

2024-01-13 22:18:13 | 旅行

2023年の記録

クリスマス休暇の4日間を函館で生活した時の記録。

 

 

なぜだか急に雪景色、それも青空ではなく、どんよりとした空から粉雪が舞う光景が見たくなって、クリスマス休暇を利用して、函館に行くことにした。当初の計画は、青森から青函フェリーで函館入りする予定だったが、時間効率を勘案して、函館に3連泊して、のんびりすることにした。結果的には、大正解となった。

 

 

サンタクロースと赤レンガ、そして雪、絶妙な組み合わせだ。

 

 

羽田・函館間は、飛行機利用だと1時間半。学生時代、上野から夜行急行「八甲田」で青森へ、青函連絡船に乗り継ぎ、函館に着く。昼間は、大沼公園を散策し、夜は函館出身の友人と一杯やって、再び夜行列車に乗り、札幌、網走、常呂へと向かった記憶がある。

 

 

フレックス勤務の恩恵で15時に会社から羽田空港へ直行した。友人に倣って、スーツもYシャツも羽田空港のゴミ箱へ捨て、カジュアルに着替えた。17時のフライトまで、余裕のないはずだったが、(多分)日本海側の豪雪影響の機材遅れで、搭乗が45分遅延、バスで機体まで行き、機上で、30分ほど待つことになった。飛行機のことは、良く知らないが、JALにしては、LCCのような貧相なシートにちょっとガッカリ。

 

 

ホテル近くまで、直行するバスがあるはずなのだが、乗り場か見つからず、すぐに発車する函館駅行きのリムジンバスに乗った。JR函館駅前から市電に乗り十字街で下車し、ライトアップされた旧丸井今井百貨店函館支店(函館市地域交流まちづくりセンター)を左手に見て、7~8分ほど雪道を歩きHakoBA函館に投宿した。

 

 

先ずは夕食、周辺には飲食店も少なく、すでに閉店した店も多く、ラッキーピエロ一択となった。

ラッキーピエロは、函館市を中心とした道南地区で展開するハンバーガーショップチェーン。ハンバーガーショップであるが、カレーライス、オムライス、カツ丼・・・・とメニューの幅も広い。なぜか、カレーライスが食べたくなり、カツカレーをチョイス。カレーの評判は、悪くなかったが、僕の評価は、可もなく不可もなし、「自作のカレーの方が旨い」といった傲慢な感想。

 

 

金森(かねもり)赤レンガ倉庫は、金森商船株式会社が管理・運営を行うショッピングモールやビアホール・レストランが入居する観光名所である。地域一帯が、重要伝統的建造物群保存地区、街並みは北海道遺産に選定されている。

 

 

【メモ】

元旦に日本人を震撼させた能登半島地震。日本の減退を加速させる災害だ。地震が落ち着けば、復興が始まると思うのは、あまりにも脳天気だ。もちろん、市街地は、復興が始まる。その一方で、“陸の孤島化” した限界集落は、そのまま廃村もあり得る。1日の通行量が、10人未満の橋梁も安全基準に従った架け替え、修復には、億円単位の資金が必要になる。民主的に経済原則に従えば、資金が投じられなくても不思議ではない。

 

日本は、衰退途上国である。GDPが、4位に転落することが確実になった。2022年の1人あたりの名目GDPは、シンガポール(6位)、香港(21位)に抜き去られ、日本(32位)は、もう先進国ではない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第28回

2024-01-03 23:27:40 | 旅行

2023年の記録

約7年間過ごしたワラビスタンを離れることが決まり、上野・御徒町を散策したときの記録。

 

 

都内の近代洋風建築で、宗教施設を除き、最も好きな建物の1つ。

 

 

JR上野駅で下車し、キャリーバックを物色しつつ、アメ横をプラプラ歩き、旧岩崎邸に行った。旧岩崎邸近くにあるインドカレー屋・サルガムでランチ。再びアメ横に戻り、取り置きしてもらっていたキャリーバックを受け取り、JR御徒町駅から京浜東北線に乗車して帰路についた。

 

 

「上中」は、。「上野中通商店街」の略称なのだが、画面左上の「貴州茅台酒」の看板を見つけてしまうと「上野中国街」じゃないかと思ってしまう。今のアメ横は、中国資本が入り、中国人向けの店舗も少なくないのだ。「悪いこと」とは思っていないが、それがグローバル化ってことなのだろうか?

 

 

旧岩崎邸庭園の入り口に凛と建つ伝統的な日本の木造住宅。背筋の伸びた上品なおばあさんが住んでいそうな家である。一般的な私邸なので、勝手に撮影してアップすることに少しばかり後ろめたさがあるが、だからといって、撮影許可を申し入れれば、却って警戒されそうだし。住人様、もし、お気に召さないようであれば、お申しつけください、即刻削除いたします。

 

 

旧岩崎邸庭園は、三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもので、園内の歴史的建造物は、国の重要文化財に指定されている。

洋館は、木造2階建、煉瓦造で、1896年(明治29年)竣工。撞球(ビリヤード)室は、木造ゴシック様式の1階建、スレート葺。1896年(明治29年)頃の竣工である。また、和館もあるが、僕の興味の対象外なことに、ほぼ撮影不可能な配置となっている。

 

 

旧岩崎邸庭園をあとにして、御徒町駅方面へと向かう途中、おしゃれなインド料理(カレー)屋があるな、と足をとめたところ、日本語の達者な店員から声を掛けられたので、吸い込まれるように入店した。

ランチカレーセット900円、ナン食べ放題。カレーは、期待通りの専門店の味、焼き立てのナンは美味しいが、ボリュームがあるので、お代わりはできなかった。

 

 

【メモ】

ワラビスタンに来たのが2017年3月、離れるのが2024年1月下旬、7年近く住んだことになる。正直なところ、7年も住んでいると、発見やワクワク、ドキドキが、極端に減ってくる。それは、それで、加齢とともに心地よくなるのだが、生来の“新しもの好き”の根なし草体質のためか、新しい任地にドキドキしている。あえて新任地は明かさず、今後のブログでお伝えしたいと思う。

いつ死んでも後悔しない生き方を心がけているし、死を宣告されたときは、「我が人生に一片の悔いなし」と言えるつもりでいる。ただし、ワラビスタンに住んでの唯一の後悔は、クルド人の友人を作れなかったことだ。蛇足ながら、中国人の友人は、送別会を開催してくれることになっている。

 

 

旅は続く