Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの夢と新疆の現実 第12回(カシュガル)

2020-11-23 13:50:10 | 旅行

2019年の記録

女の子は、坊主にすると美しい髪が生えてくると信じられているので、ウイグルの幼女は、みな短髪だ。

 

カシュガルへ帰り、ホテル(ヌアランホテル)で汗と埃をシャワーで流し一服。

僕の宿泊しているホテルと旧市街を挟み反対側にある其尼瓦賓館にTさんは宿泊しているので、旧市街を散策しながら其尼瓦賓館に向かいTさんと合流した。Tさんは、タシュクルガンで食べそこなったポロが食べたいと言っていたので、先日、ポロを夕方買った店に向かうも今日は売り切れだった。やはりポロは昼食なのだ。人通りの少ない旧市街は、閉店している店も多く、逆に開いている店は、繁盛していた。

ウイグル版小籠包?(名前は忘れた) 何種類か具があり、どれも美味しかった。

定番のシシ・カワプ(羊肉の串焼き)

夕食のあと、再び旧市街をぶらぶらする。ウイグルの女の子たちが、クルクル廻ったり笑顔でポーズを決めてくれたりと愛嬌を振りまいた。いつものように僕はシャッターを切り、一通り撮影が一段落して、ありがとうと言った時に、女の子の1人が「お菓子ちょうだい!」とねだってきた。今まで、ウイグルの子供を撮影してきたが、初めてのことだった。僕はお菓子を持ち合わせていなかったし、撮影の対価として金品を渡すといったことがイヤだったので、「没有!(ないよ!)」とだけ返した。なぜなら、見返りを期待した笑顔は、天然の笑顔ではないから。「Tさんが、中国人(漢族)観光客がお菓子をあげるからよ。」と言った。確かに漢族の観光客は、ほぼ100%お菓子を持ち歩き、悪意なくお菓子を配る。(僕も貰った・・・笑) それは自分も食べるときに周囲にも配る一種の文化なので、それ自体を否定する気持ちは毛頭ない。残念ながら件の女の子は、それを曲解してしまったのだ。居宅を公開しても、公開そのものでは、お金を取らない誇りが、崩れていく気がして悲しかった。

 

そう、実は、一昨日、旧市街を散策し、モスクの写真を撮っていたとき、3歳ほどのウイグルの男の子が、棒切れを振り回し、明らかに僕の撮影を邪魔する意地悪をしてきた。僕の見た目は漢族だ。その男の子が、漢族に何かされた訳ではないだろう。大人は漢族だからといって無闇に敵意を示すことはできないが、子供には、それがない。子供は大人の心を映す鏡なのだ。実際、ウイグル族の人たちの一部が、漢族に敵意を持っていることは知っている。ウイグル族ドライバーに法外なタクシー料金を提示されたことがあった。ところが、僕が日本人だと分かった途端、手の平を返したように「タバコ吸う?空港までの料金?いいんだよ、そんなこと・・・・」といったフレンドリーな言葉が次々と出てきた。親日と嫌漢、まさにウイグルの光と影なのだ。

 

施錠された民家、解体される伝統的な家屋、閉鎖されたモスク・・・・・、あまりに悲しい光景と出来事に「ハイルホシュ ウイグル!(さようなら僕の愛したウイグル)」と心の中で呟いてしまった。

 

僕はウイグルの子供たちを見ていると、「絶対に彼らの瞳を涙で濡らしてはならない」、それが僕たち大人の責任だと感じる。

 

旅は続く

 



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