2005年の記録
瀋陽から上海に戻り、溜まっていた仕事を熟すために1週間ほど滞在した時の記録。
看板は、時代の象徴である。中国料理は、一括りできないほど多彩。東北(旧満州地区)料理は、ポピュラーな地方料理の1つ、四川料理が、爆発的な人気料理になるのは、もう少し後のことだったと思う。(看板の「正宗」は、「本場の」意味。)
上海市中心城区北部に位置する上海市虹口区は、旧日本租界(厳密には共同租界の中の日本人集住エリア)である。フランス租界のある徐匯区が、西洋的なお洒落な雰囲気なのと比較すると、かなり庶民的だ。
表通りには、飲食店がならび、店頭にテーブルがあるのは、20年近く前からコロナ対策か?(そんな訳ないだろ・・・笑) まだ、自転車が人民の乗り物だった時代だ。
2005年は、携帯電話(ガラケイ)の普及がはじまった頃だ。個人の携帯は、基本的にプリペイ式なので、暗証番号の記載されたカード(電話卡)を買って、入金(充値)して使う。それ以前は、街の電話屋に行き、そこから電話する。それが、「長途0.3元1分■」(=長距離通話0.3元/分)の看板である。
今と違って、まだ貧しかった中国では、時計はもちろん靴、衣類・・・・と何でも修理して使った。修理屋や床屋は、僅かの資本で商売を始められて、一国一城の主になれる近道だ。(独立志向の強い人が、中国には多い。) もちろん、価格は激安、露店の床屋は、30円ほどだったと思う。
路地裏に廻っても、小さな飲食店があり、街角には、人だかりができている。中国の人は、将棋、花札、ポーカーとゲームが好きだ。たいていは、カネを賭けているので、不用意な撮影には注意が必要だった。(賭博は法律で禁止されている)
路地裏からさらに居住区へ入る。住民に出くわすとトラブルになりかねないが、自分から能天気に明るく挨拶をして、個人的な趣味で撮影していることを話す。理解が得られなければ、「不好意思、不好意思!(=悪かった、悪かった)」と謝り、サッサと退散する。幸い今までに面倒なことにはならなかった。
上海も急速に再開発が進んでいた。古い家屋が、次々と解体され、人民中国が、消えて行った。
【メモ】
中国各地で、ゼロコロナ政策の解除を求める大規模デモが頻発している。正直なところ、意外中の意外だ。結論を最初に書いてしまうと、大規模デモの先に明るい将来を予感できない。
選挙で為政者を選ぶ民主主義国では、デモで発信される民意を為政者は、無視できない。しかし、中国は、専制国家である。しかも、プーさんは、(世界の中心中華のそのまた)核心、まさに唯一の“神”になったのだ。“神様”が、“人間”の意向を汲んで軌道修正するなどあり得ないし、あってはならない。仮に“神様”自身が、軌道修正の必要を感じていても、それを口にする前に“人間”が、それを口外すれば、修正できることも修正できなくなってしまう。
中国は、“市役所”を“市政府”と呼称するように地方(役人)の裁量権が大きい。日本と違い、地方政府幹部にも結果責任が求められる。中央政府の指示通りやっていても、感染爆発や治安の混乱があれば、更迭される。それゆえに地方政府は、中央政府の指示以上に厳しい規制をすることもあり、現在の規制には、地方政府の裁量で緩和できるバッファーがある。“神様”ではない地方政府の役人は、感染爆発と治安を天秤に掛けて、軌道修正できるので、バッファーの範囲での緩和は実施されている。
もし、プーさんが、民意に耳を傾け、軌道修正をすれば、赤い帝国の終わりの始まりになるかもしれない。まさに蟻の一穴天下の破れである。それが、中国の人にとって、良いことか、否かの解を僕は持ち合わせていない。すべてが、僕の杞憂であって欲しい。
旅は続く
お邪魔します。
銀輪さんざめくロストチャイナの記録と、
シュプレヒコールが轟くナウチャイナの見解。
どちらも勉強になりました。
蟻の一穴は天下の破るのか否か。
その先に待ち受ける未来は?
歴史は何処へ流れてゆくのか?!
興味が尽きません。
では、また。
早々のコメントありがとうございます。
まさか「〇〇退陣」などと叫ばれるとは、思ってもいませんでした。
でも、中国人の友人曰く、「1人で言えば、拘束される。10人で言っても、拘束される。1万人で言えば、大丈夫かな」(笑)
白紙の紙を抗議の証にする中国人、まさに「上に政策あれば、下に対策あり」ですね。
では、また。
しかし、言われる通り、基本路線としては、まだほぼ変わってはいないのですが
地方政府単位でも緩和は、始まっています。
もうここまで来たら 大規模封鎖は、出来ないだろうとは思っています。
やれやれ 何とか会社は、止めずに行けそうな気がして来ました。
白黒画像が、なんとも良いですね。
古き良き というのは、日本人だけが感じるのかもしれませんが
あの頃は、何か勢いと熱気がムンムンで 楽しかったです。
辛苦了!
現場作業者ほかの泊り込みのもと我が社も操業しています。
彼らは会議室の冷たい床に雑魚寝です。
ほんとうに感謝しかないです。
彼らのことを思うと、チャイナリスクだなんだと言って、中国調達規制を発令した者としては、心苦しいの限度を超えます。
ハッキリ言って、日本工場の従業員で、床に雑魚寝して泊まり込みで働く奴、何人いるのでしょうか?
中国の人は、新しもの好きですから「古き良き」って、懐古趣味あるのでしょうかね。
2008年のオリンピックまでの熱気、そしてオリンピック開会式の夜の高揚感も忘れられないです。
では、また。