Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第17回

2022-04-24 14:21:33 | 旅行

2022年の記録

 

 

3月中旬、父母の墓参りを口実に東京都多摩地区を散策した時の記録。

 

 

蕨(JR京浜東北線)⇒赤羽(JR埼京線)⇒新宿(京王電鉄)⇒京王片倉(徒歩)⇒八王子(JR八高線)⇒拝島(JR五日市線)⇒武蔵増戸(JR五日市線)⇒拝島(西武鉄道)⇒高田馬場(徒歩)⇒学習院下(都営荒川線)⇒王子(JR京浜東北線)⇒蕨 と、周遊した。

 

 

2週間ほど前の甲府行きに使ったバスタのある新宿。街路の桜も満開。オレンジ色の新興政党の演説会の傍らで、静かにウクライナを支援する反戦デモをやっていた。戦禍のウクライナの空と目の前の青空は、繋がっている。そもそもロシアは、日本の隣国。ウクライナ侵攻が、隣国の凶行であることを忘れてはならない。

 

 

京王北野で高尾山口行きの電車に乗り換え、京王片倉駅で下車し、いつも渋滞している国道16号線をしばらく歩き、日本基督教団八王子栄光教会に向かう。八王子栄光教会は、歴史的な建造物ではないが、教会のすぐ手前に集合住宅の廃虚があった。バリケートで囲まれ内部を見ることはできないが、“昭和” に想いを馳せるには充分すぎる建築物である。

 

 

八王子栄光教会からJR八王子駅を抜けて向かったのが、日本聖公会八王子復活教会である。八王子復活教会も歴史的な建築物ではない。僕が教会やモスクで感じるサラーム(平安)は、建築物の歴史的な重みではなく、そこに集う信者さんの信仰心に由来するのかな、と思っている。

 

 

八王子復活教会から西に10分ほど歩いたところにカトリック八王子教会がある。八王子の大火(1897年=明治30年)、第2次世界大戦の空襲と2度に亘り焼失し、現在の聖堂は、1950年(昭和25年)に献堂されている。雲一つない青空に白壁の聖堂が映える。聖堂の裏に雰囲気の良いルルドがある。僕はカソリック教徒であるのにルルドは偶像崇拝のようで好きになれない。(ルルドに対して、カソリックは肯定しているが、プロテスタントは否定的である。)

 

 

墓地に併設されているカトリックあきるの教会。“東京大好き”の父親は、東京都で教員をしていたが、最後の任地が旧・秋川市であった縁もあってカトリック五日市霊園を選んだようだ。亡くなった両親は、自らの心の中にいると僕は思っているので、墓参りには不熱心なのだが、稀に「墓参りに行くか」といった気持ちになる。

蛇足ながら、父親の本気か、冗談か定かではない生前の希望、「遺灰は、富士山頂上と太平洋のド真ん中に撒いてくれ!」 に従って、ひとにぎりの遺灰を散骨としている。

 

 

霊園からJR武蔵増戸駅へ向かう道すがらの寿司屋で遅い昼食をしたあと、JR五日市線で拝島まで戻り、西武鉄道で一気に高田馬場まで行く。都電荒川線学習院下まで10分ほど歩き、東京さくらトラムで王子駅前へ。京浜東北線に乗り換えて、ぐるりと一周の東京散策を終える。

偶然だが、父親は都電荒川線脇にある高校で、教鞭をとっていることもあった。

 

 

【メモ】

ロシアのウクライナへの軍事侵攻が続いている。(戦争と表現することに違和感を覚える。) 北方領土のビザなし交流の停止がロシアから通知された。「まぁ、そうだろうな」と思う。北方領土に本籍のある友人と「北方四島の返還、なくなったよね。」といった話をした。冷静に考えなおすと、ロシアでなくても、占領した領土を話し合いで返還するなどあり得ない話だ。占領地域の独立を認めることは多々あるが、元の領有国に返還したのは、沖縄、奄美のアメリカだけだろう。まさに例外中の例外、沖縄はもちろん、本土にも米軍基地が配置される“子分”になっていたからあり得たことだ。日本各地にロシア軍基地が配置され、共産党政権が樹立されない限り、北方領土返還は、あり得ないと思う。

 

日本は、北方領土を “固有の領土”と言ってきたが、今さらながら、“固有の領土”という概念の危険性に気がついた。つまり、いつの時代、誰を基準にするかで、変わってしまうのだ。そんな隙を突くようにロシアは、迫害を受けているアイヌ民族解放のための北海道侵攻を(どこまで本気か疑問だが)ちらつかせた。北海道の先住民族がアイヌ民族であること、依然としてアイヌ民族に対する差別があることも事実なので、ロシアのロジックに嵌ってしまう。

そもそも、ウクライナをロシアは、属国(≒固有の領土)と思っているだろうから“固有の領土”という概念をひっぱりだすのは、現在、とても危険だ。

 

 

旅は続く