Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/教会巡礼・4日目

2022-02-12 22:56:51 | 旅行

2022年の記録

 

 

4日目前編のハイライト・旧古河鉱業若松支店と若戸大橋

 

 

福岡市の中心部は、地下鉄、バスを利用すると縦横無尽に散策できる。グーグルマップを使うことで、バス移動は、効率的になった。ホテルに荷物を預けてカメラだけ持っての散策。

博多と小倉、僕の感覚だと、すぐ隣のイメージだが、在来線だと約1時間20分、門司から博多に通勤している友人は、新幹線を使っている。地方だと、1時間超の通勤は、あり得ないのかも。(新幹線だと、僅か15分。新幹線は、真っ直ぐ小倉に向かうが、在来線は円弧上に北に迂回している。)

小倉駅のコインロッカーに荷物を預け、再び身軽になったところで、若松バンド地区、帝国麦酒門司工場、門司港レトロ地区と散策。

夜に小倉駅に戻り、荷物を受け取り、バスで北九州空港、羽田空港を経由して、24時すぎにワラビスタン着。

 

 

福岡県公会堂貴賓館は、第13回九州沖縄八県連合共進会の開催に伴い、来賓接待所として、1910年(明治42年)にフレンチ・ルネッサンス様式のデザインを取り入れた木造二階建てで建設された。

地下鉄中洲川端下車、徒歩数分の天神中央公園の中にあり、訪問は2度目である。

 

 

日本生命保険株式会社九州支店は、1909年(明治42年)に本格的な煉瓦造建築物として辰野片岡建築事務所の設計で竣工。現在は、国の重要文化財に指定され、福岡市赤煉瓦文化館となっている。

福岡県公会堂貴賓館の近隣にあり、那珂川沿いに歩いたところにある。夜はライトアップされて美しい。(ほんとうは昨晩も訪問したかったが、そこまでの元気なし・・・笑) 個人的には、絵に描いたように美しい赤煉瓦建築だと思っている。蛇足ながら裏には、宮地獄社という神社があり、隣に鳥居が建っている、ちょっと不思議な光景である。

 

 

カトリック浄水通教会は、ヴォールト様式の漆喰天井を持ち、両翼に柱がない大変珍しい木造建築物で、1952年(昭和27年)献堂されている。2020年(令和2年)に「100年もつ聖堂を」の願いから、耐震工事を実施している。聖堂内の見学と写真撮影が許され、美しいステンドガラスを記録した。

天神からバスで移動、浄水通教会周辺は、高級住宅街の趣きである。

 

 

バプテスト東福岡教会は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計により1952年(昭和27年)竣工されている。

地下鉄箱崎宮前のすぐ近くにあるが、教会前の通りは、人通りも疎らである。クリーム色の壁が、汚れて、ちょっと寂れた感があるが、聖堂前に立つ樹は、なかなか味がある。

 

 

バプテスト東福岡教会からホテルに戻るには、地下鉄を乗り継ぐのが、一番楽なのだが、JR吉塚駅まで歩いても、時間は変わらない。20分ほど歩いたが、駅までの途中には、これと言ったものは何もなかった。駅でホームにあがると、「あっ、これって、コロナ前に話題になった『或る列車』じゃないか」 まったくの偶然。元々、ローカル線を走っていたディゼルカーを改装したものだが、改装の次元が凄い。京都・三十三間堂の観音像のような黄金色一色、成金趣味とも言えなくもないが、ここまでやると、突き抜けた感じだ。

 

 

小倉から鹿児島本線で戸畑に戻り、若戸渡船で若松に行く。若松には10年以上前に一泊している。元々小倉駅前のホテルを予約したつもりが、予約していたのは、駅前は駅前でも若松駅前だったのである。新幹線で小倉に着いて、ホテルに電話を入れるも、どうにも話が合わないのである。その時は、土地勘がなく、思いっきり焦った、何しろ「小倉からいらっしゃるなら・・・・・船に乗ってください。」と言われたものだから。今となっては、とても良い思い出だ。その後、1度だけ若松に行っているので、今回は、3度目ということになる。

 

 

若戸渡船は、その名の通り北九州市戸畑区と若松区を結ぶ市営の渡船である。いずれなくなるのかと心配していたが、今のところなくなることはないようだ。頭上を走る若戸大橋は、自動車専用のため人と自転車にとっては必須なのだ。

 

 

若松南海岸通りは大正期の建物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に沸いた若松の歴史と発展を伝え、バンドのオリジナルな景観を残す。

その中でも、最も華やかな外観をもつ建造物が、旧古河鉱業若松ビルである。1919年(大正8年)竣工、ルネサンス様式のレンガ造りの二階建。

 

 

旧若松石炭商同業組合は、石炭積み出し港、若松の歴史を象徴する木造二階建ての建物で、1905年(明治38年)竣工、外装は、モルタル塗り。

 

 

旧三菱合資会社若松支店は、1913年(大正2年)竣工。材料は、ドイツから輸入されたレンガを使用したといわれている。

 

 

若戸渡船で戸畑に戻り、JRで門司に向かう。門司駅前に旧帝国麦酒門司工場の赤煉瓦建造物群がある。改修中のため目あての事務棟の外観を見ることができなかったのが、心残りである。まぁ、また来ればよい。すべてを完璧に記録してしまったら再訪するきっかけを失う。僕はいつもポジィティブ(脳天気)に考えることにしている。年代物の赤煉瓦建築物は、何度見ても美しいと思う。

 

 

門司港駅周辺のレトロ建築群は、何度も訪れているが、飽きることがない。門司港に来ると、大志を抱き、従軍獣医として旧満州に渡った祖父のことに想いを馳せてしまう。祖父も父も親戚の誰もが、むかしのことをほとんど話さなかったので、知っている事実は断片でしかない。それでも想像力をMaxにすると、僕の心は、100年前にタイムスリップする。

 

 

木造2階建、石盤葺。ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれる左右対称の外観を持つ現在の駅舎(2代目)は、1912年(大正元年)に鉄道院九州鉄道管理局工務課設計開始、翌年岡山市の菱川組により建設がはじまり、1914年(大正3年)1月竣工、2月から営業が開始された。1988年に駅舎として全国で初めて国の重要文化財に指定されている。なお、門司駅として開業し、関門トンネルの開通に伴って門司駅の名前は関門トンネルが接続することになる元の大里駅に使うことになり、当駅は門司港駅へと改称した。

頭端式ホームは、終着駅、そして始発駅の象徴だと僕は思う。門司港駅頭端式ホームの先に大陸へ向かう大連航路がある。上野駅(東北、上信越)、両国駅(房総)の先には、大東京がある。きっと大陸生活に夢を託していた祖父の視線に美しい駅舎はなかったかもしれないが・・・・・・。

 

 

大阪商船門司支店として、1917年(大正6年)に木造二階建(一部レンガ型枠コンクリート造)で、屋根に設けられた大きなアーチを配した隅角部の窓と、その上部の八角型の塔屋はドイツ・オーストリアで開花したゼツェシオンの影響を受けたと言われている。化粧レンガの色鮮やかさとヨーロッパ風の塔屋を持ったこの建物は、門司港の象徴的な建物である。

1991年まで商船三井ビルとして使用されていたが、北九州市が買い取り、1999年(平成11年)有形文化財に登録され、門司港ブランド雑貨店「門司港デザインハウス」、「わたせせいぞうと海のギャラリー」、飲食店「カフェ・マチエール」が営業している。

個人的には、昼より夜のライトアップが美しいと思う。

 

 

国際友好記念図書館(東清鉄道船舶事務所=ロシア帝国が大連市に1902年(明治35年)に建設)は、北九州市と大連市の友好都市締結15周年を記念し、平成6年複製した鉄筋コンクリート建築である。大連市にも同じ複製建築物があり、人気のあるデザインなのだろう。僕も好きなデザインだ。

 

 

旧門司税関は、平成六年に北九州市が赤煉瓦を特注し、明治45年(1912)建築の煉瓦造り瓦葺2階建構造を復元したものである。

大阪商船門司支店と東清鉄道船舶事務所に挟まれているため、地味に見えるが、美しい赤煉瓦建築である。

 

 

1921年(大正10年)に三井物産門司支店の社交クラブとして山あいの門司区谷町に木造2階建建築されたものを1990年(平成2年)3月19日国の重要文化財指定(本館及び付属屋)。同年7月解体工事開始、1994年(平成6年)12月完成。門司港レトロ地区[2]に移築された

 

 

日が落ちるまでの間、早めの夕食に門司港名物の焼カレーを食べて、時間を潰すことにした。人気店の「王様のたまご門司港本店」は、日没以降も営業、ちょっと寒いがデッキ席もあり、コロナ禍のため空いていた。

 

門司港レトロ地区を好きで何度も訪問しているが、ライトアップされる夜が美しい。もちろん、建物そのものの美しさは、昼の明るい時間帯に限られる。僕的には剥製化してしまっている建築群は、イメージ先行で眺めた方が良いのだと思う。

 

 

【メモ】

今回の教会巡礼には、常備のニコンCOOLPIX P5100を持参しなかった。また、持参した24-120mmのズームレンズもほとんど使わなかった。使った機材は、ニコンD610+12-24mmとiPhone8。これで、十分というのが、正直な感想。撮影を楽しむ点では、ファインダー付カメラを外すことはできない。また、パースペクティブ(遠近感)を誇張した作画は、超広角レンズ(12-24mm)が必須だ。特質すべきは、iPhoneの実力の高さに今さらながら気がついたこと。

プロフォトグラファの友人2人は、「これからの映像表現は、確実に動画にシフトするだろう」と口を揃えて言う。(友人2人に接点はない) それに触発された訳ではないが、iPhoneの動画も使ってみた。

写真も機材も、本質は“引き算”なのかもしれない。意識して余計なものを削らないと、機材は増え続ける。一方、気力、体力は加齢とともに低下する。単焦点レンズ1本への原点回帰は、いつの日か?

 

 

旅は続く