Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第28回

2024-01-03 23:27:40 | 旅行

2023年の記録

約7年間過ごしたワラビスタンを離れることが決まり、上野・御徒町を散策したときの記録。

 

 

都内の近代洋風建築で、宗教施設を除き、最も好きな建物の1つ。

 

 

JR上野駅で下車し、キャリーバックを物色しつつ、アメ横をプラプラ歩き、旧岩崎邸に行った。旧岩崎邸近くにあるインドカレー屋・サルガムでランチ。再びアメ横に戻り、取り置きしてもらっていたキャリーバックを受け取り、JR御徒町駅から京浜東北線に乗車して帰路についた。

 

 

「上中」は、。「上野中通商店街」の略称なのだが、画面左上の「貴州茅台酒」の看板を見つけてしまうと「上野中国街」じゃないかと思ってしまう。今のアメ横は、中国資本が入り、中国人向けの店舗も少なくないのだ。「悪いこと」とは思っていないが、それがグローバル化ってことなのだろうか?

 

 

旧岩崎邸庭園の入り口に凛と建つ伝統的な日本の木造住宅。背筋の伸びた上品なおばあさんが住んでいそうな家である。一般的な私邸なので、勝手に撮影してアップすることに少しばかり後ろめたさがあるが、だからといって、撮影許可を申し入れれば、却って警戒されそうだし。住人様、もし、お気に召さないようであれば、お申しつけください、即刻削除いたします。

 

 

旧岩崎邸庭園は、三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもので、園内の歴史的建造物は、国の重要文化財に指定されている。

洋館は、木造2階建、煉瓦造で、1896年(明治29年)竣工。撞球(ビリヤード)室は、木造ゴシック様式の1階建、スレート葺。1896年(明治29年)頃の竣工である。また、和館もあるが、僕の興味の対象外なことに、ほぼ撮影不可能な配置となっている。

 

 

旧岩崎邸庭園をあとにして、御徒町駅方面へと向かう途中、おしゃれなインド料理(カレー)屋があるな、と足をとめたところ、日本語の達者な店員から声を掛けられたので、吸い込まれるように入店した。

ランチカレーセット900円、ナン食べ放題。カレーは、期待通りの専門店の味、焼き立てのナンは美味しいが、ボリュームがあるので、お代わりはできなかった。

 

 

【メモ】

ワラビスタンに来たのが2017年3月、離れるのが2024年1月下旬、7年近く住んだことになる。正直なところ、7年も住んでいると、発見やワクワク、ドキドキが、極端に減ってくる。それは、それで、加齢とともに心地よくなるのだが、生来の“新しもの好き”の根なし草体質のためか、新しい任地にドキドキしている。あえて新任地は明かさず、今後のブログでお伝えしたいと思う。

いつ死んでも後悔しない生き方を心がけているし、死を宣告されたときは、「我が人生に一片の悔いなし」と言えるつもりでいる。ただし、ワラビスタンに住んでの唯一の後悔は、クルド人の友人を作れなかったことだ。蛇足ながら、中国人の友人は、送別会を開催してくれることになっている。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第15回

2023-12-31 22:38:16 | 旅行

2023年の記録

何だか、とても忙しく、あれよ、あれよという間に1ヶ月以上経過してしまった。

宇都宮市~栃木市~下野市と近隣の“庭”を散策したときの記録。

 

 

松ヶ峰教会の地元産品である大谷石の外壁、レンガとも白壁とも違う美しさがある。

 

 

下野市から宇都宮市、壬生町、栃木市と反時計回りした。足もとの美しい街を再発見する散策となった。

 

 

1932年(昭和7年)献堂のカトリック松が峰教会聖堂は、大谷石建築としては現存最大級のロマネスク・リヴァイヴァル建築であり、1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録された。

 

 

宇都宮市から栃木市に向かう途中、壬生町おもちゃのまちに獨協大学病院前に銀杏並木がある。

イチョウは中国原産の渡来植物で、日本国内のイチョウは、基本的に植樹されたものだ。イチョウは、他の木に比べて、幹も葉も水分が多い。そのため木全体が燃えにくく、火事に強いので、街路樹として多くのイチョウが植えられている。

 

 

1924年(大正13年)竣工の洋風レトロな「とちえん ダイニングカフェ酒場」の建物は、以前のブログでも掲載しているが、当時は休業の多いカフェだったが、今年から経営者も店名も替わって、昼はカフェ、夜は居酒屋の毎日営業になっていた。ちょうどお腹も空いてきたし、待ち時間なしで入店できたので、お昼にした。

デミグラスハンバーグランチ850円は、正直なところ可もなく、不可もなくの味。ライス大盛無料だが、もう一品何かが欲しいところ。

 

 

お腹も満たされたところで、栃木蔵の街をぶらぶらと散策しながらカトリック栃木教会を目指す。

 

 

洋風建築と昭和レトロな店舗建築、そして蔵が混在するのが、栃木蔵の街。

 

 

装飾が綺麗に撤去された洋風建築、きっとおしゃれにリノベーションされるのだろう。1年後が楽しみだ。

 

 

蔵の街を流れる巴波川(うずまがわ)を行く蔵の街遊覧船。

 

 

カトリック栃木教会は、1952年(昭和27年)献堂のシンプルな建築の聖堂がある。

 

 

再び蔵の街の商店街を抜けて、ひとまずクルマを停めた栃木市役所へ。

 

 

旧栃木市役所(旧栃木町役場)庁舎は、1921年(大正10年)に竣工している。栃木町役場の前進は、県庁が宇都宮市に移転後に設けられた近隣12町村の戸長役場である。

木造総2階建の洋風建築で、外壁は1階が横板張ペンキ塗、2階は漆喰壁で木造の骨組を化粧で表し、屋根の上には小さな塔を乗せていた。(現在は小塔に時計が取り付けられている) 1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録されたあとも2014年(平成26年)本庁舎移転まで市庁舎別館として使用されていた。

 

 

栃木高校記念図書館、同講堂と馴染みの近代建築を眺める。

 

 

旧足利銀行栃木支店は、1934年(昭和9年)竣工の木造平屋建てのギリシャ神殿風の洋風建築。2005年(平成17年)に建物の半分ほどを移築し、カフェとして利用されている。2008年(平成20年)に国登録有形文化財指定。

 

 

自宅周辺を散策し、最後に定点観測の風景をパチリ。

 

 

【メモ】

東京都小池都知事が、都内在住子弟の高校授業料完全無償化を打ち出している。どうしようもない愚策だと思う、バカな愚連隊高校生が増えるだけだ。(元・愚連隊高校生だった僕が言っているのだから、間違いない。) 高校でも、大学でも、カネさえ払えば、入学できる学校があるが、カネどころか、名前を書けば入学できる高校ができるのだからどうしようもない。

 

義務教育である小中学校教育に財源を投じるべきだと僕は思う。一定数の児童、生徒が、授業から落ちこぼれ、不登校になり、学ぶことの価値や楽しみ、多様な友人との交流を知ることなく、形式的に中学を卒業していく。児童・生徒数が減少していても、教職員の数も質も追いついていない。そのような財源投入は、地味で効果も図りにくい。少なくとも選挙対策のバラマキとは、最も遠いいところにある。

 

それでも、何らかの無償化したいなら、(偏差値がすべてではないが) 少なくとも偏差値50以上の高校に限定して欲しい。名前を書けば入学できる高校を卒業したところで、反社の人脈に取り込まれるのが関の山だ。

 

後進国の政治屋の専売特許のバラマキが、コロナ禍以降の日本にも浸透している。日本は、すでに先進国から離脱しかかっているけどね。

 

 

旅は続く


人民中国の残像/鄭州

2023-12-10 10:21:33 | 旅行

2006年の記録

泰安(済南空港)から空路で鄭州へ。周辺の取引先開拓のため鄭州市内に3泊したときの記録。

 

鄭州市の中心部の朝市。早朝から人、人、人、人口の多い河南省を絵に描いたような光景だ。

 

 

早朝、泰安をクルマで出発し、済南空港に行き、飛行機で鄭州へ。済南から鄭州までは、1時間未満。ところが、機体トラブルで、フライトの目途立たず、空港ホテルへ誘導され、朝食バイキングのあとは、見知らぬおじさんと同室で、半日ほど待機。(超短距離の航路なので、利用者の大半は富裕層。同室のおじさんも医師で、僕より英語が流暢だった。)

夕方、鄭州空港で、瀋陽から呼んだ元・部下のショークンと合流。

 

 

河南省と言っても日本人には馴染みがないが、中華文化(黄河文明)の発祥地である中原の中心地と説明した方がわかりやすいかもしれない。かつては中華の中心であったものの、今は貧しく人口の多い地域で、農民工を多く送り出している。

 

 

リムジンバスの発着点となっている街の中心部のホテルに宿泊。翌朝、ホテルの傍の朝市を散策。街路に覆われた穏やかな感じのする通りには、買い物客が溢れていた。露店では、品数が少ないので、農民自身が野菜を売っているのだと思う。以前、住んでいた遼寧省蓋州の朝市と比較すると貧相だ。魚介類がないのは、海から遠いいためだろうが、肉や乾物、雑貨の露店もない。

 

 

鄭州は、河南省の省界(省都)、その中心部を馬車が、野菜の運搬のために行き来していた。日本の農家の軽トラに相当するのだろうか。

 

 

空港で元・ヤクザ者のショークンと合流したときに彼曰く、「河南省で注意することが2つあります。河南人は、中国で一番の嘘つきです。(彼らしい偏見だと思うが、新郷市までタクシーを使ったとき、まんまと領収キップの束を誤魔化された。=1、2枚目は、10元だったが、あとは1元。) そして、河南省はエイズが蔓延しています。 (統計であきらかになっている。) 」 河南省で、エイズが蔓延している理由は、貧しい農民の衛生状態の悪い売血の注射針による感染なのだ。

 

ホテルから離れたところに「ヤバイな、ココ。」と感じた通りがあった。出稼ぎ仕事の斡旋所、彼ら相手の露店の安食堂、そして売血小屋。さすがに売血小屋では、シャッターを切れなかった。

 

 

3日目の朝も朝市を散策。休日も平日も朝から、なかなかの人出。もしかすると、冷蔵庫を持たない都市住民は、毎朝、買い物をする。かつて、中国の国営企業の女性の定年年齢は45歳、そんな訳で、街には、元気なおばちゃんが、溢れていたのかもしれない。

 

 

イスラム帽を被っているので、回族(イスラム教徒)なのだろうか? 肉屋は、珍しい、電子秤があるので、高級店か?(笑)

 

 

鄭州にだって、乗用車はある。でも、街の中心部を馬が闊歩しているのだ。

 

 

鄭州では、珍しくもない、最も原始的な方に近い馬車、その背後を一般人が搭乗できる最も先進的な飛行機への搭乗客を乗せたリムジンバスのコントラスト。

 

 

瀋陽に帰るショークンを空港で見送り、上海行のフライトまで、空港で時間を潰す。鄭州は、鉄道の要所(東西南北のクロス点)だが、空港は“田舎の空港”。空港の周囲は、植林された美しい林が拡がっていた。美しい電動輪タクが停車していた。昼寝していたドライバーと、二言三言会話を交わし、自慢の輪タクを撮影させてもらった。

 

 

【追想録】

鄭州の取引先候補企業の事務室内のソファに座って、僕とショークンが、担当者を待っていたとき、「この会社、ダメです。話をする必要もない、帰りましょう。」とショークンが言いだした。僕には聞き取れなかったが、担当者の電話での会話 「・・・・・・・・“小日本”(日本人の蔑称)が、来てるんだよ、またね。・・・・・」をショークンは聞いてしまったのだ。ショークンの言う通りだと思うが、さすがに、その場で席を立つのは大人気ないので、話をしてきたが、取引することはなかった。

中国で生まれ育った朝鮮族のショークンは、数えきれないほどの差別を受けてきた。そんな訳で、裏街道を走ったこともあった。いずれにしても、差別発言には、敏感なのだろう。僕自身が、民族差別を受けた記憶は少ないが、中国内の民族差別、偏見は、凄まじいものがある。

 

 

【JUST NOW】

毎週、強盗事件が発生しているのではないだろうか? 計画的な犯行とは言え、力任せにバットを振りまわすような稚拙さで、カネ目あてのわかりやすい犯行だ。ちょっと前までは、「誰でも良いから人を殺してみたかった」といった類の考えられない犯罪に驚かされた。日本の貧困化、治安の悪化ということなのだろうか。

 

実際、ニュースにならない小さな犯罪も増えているらしい。スーパーマーケットなど商店の窃盗、いわゆる万引き。万引きの世界平均は、売上の1%に迫るらしいが、それに対して、日本は0.2%未満だったものが、0.3%を超えた。世界平均と比較すると、依然として優等生なのだが、ここ数年で、倍増の悪化である。セルフレジ化によって万引き(スキャンスルー)が容易になったことと、値上、レジ袋有料化・・・・など、顧客の負担増に対する潜在的な不満が原因とか。

 

不足する労働力、特に単純労働者の海外からの受入に対して、「治安が悪化する」といった危惧から否定的な日本社会だが、強盗も万引きも犯人の多くは、日本人。

 

日本社会は、荒んでいくのだろうか? 家族が犯罪の被害者にならないこと、そして、犯罪者にならないことを願うばかりだ。

 

 

旅は続く


人民中国の残像/はじめての泰安

2023-11-29 22:11:32 | 旅行

2006年の記録

はじめて泰安に出張、土曜日の夕方に泰安に入り、翌日の日曜日に散策した時の記録。

 

 

当時、泰安のそこら中を馬車が走り回っていた訳ではないが、建材の運搬は、専ら馬車が使われていた。

 

 

今と違って、薄暗い上海虹橋空港から済南空港へ。空港には、Iさんが迎えに来てくれて、クルマで高速道路を走ること1時間強、道中の車窓は、カラカラに乾燥した岩山が続いていた。「泰安って、とんでもないところにあるんだな」というのが、正直な感想。

 

中国の五名山の1つ・泰山の麓にある観光都市なので、中国国内では有名な泰安市だが、日本での知名度は、限りなくゼロ。高鐵(中国版新幹線)のなかった当時は、国内線に北京、上海でトランジットして済南経由で行くか、日本でも知名度の高い青島から400キロほど走るか、といったところだった。

 

中国のことを知っている人に、「泰安に工場がある」と話すと、10人中10人から「何で、また(そんな田舎に)」と。中国では、自動車関連企業の独資は認められなかったので、パートナー企業が、泰安にあった、というだけの理由なんだけどね。結果的に20年経った今も、比較的物価が安く、助けられている。

 

 

泰安駅前(現・泰山駅)には、信号機はなく、ロータリーだけがあった。交通量が増えたロータリーは、終日、渋滞が続き、クラクションが鳴りやむことはなかった。

 

 

駅の周辺は、人、人、人・・・・。自転車で牽いてきた屋台の露天商、安楽椅子でタバコをくゆらせる店主、バイクタクシーのドライバー(中国では、今でもポピュラー。ダンデムで、客を乗せる。)、干し葡萄を売るウイグル青年、靴の修理屋(貧しかった中国は、靴をはじめ衣類、家電・・・・と様々な修理屋があった。ちょっとした投資で、一国一城の主になれるのも多くなる理由だ。)。

 

 

駅やバスターミナルの周辺には、必ずドヤ街がある。そこは、猥雑で怪しい空気がながれている。

 

 

子供をあやす男、実は彼、成人保健屋(いわゆる大人のオモチャ屋)。中国では、極めて普通に店を構えている。

 

 

ドヤ街と駅をはさんで反対側、土埃があがるものの、ほんの少しだけ落ちついた街。ガキンチョにも大人にも笑顔がある。

 

 

当時の泰安最大の繁華街・四海広場前。パラソルの露店、焼き芋、干し葡萄・・・・。音が割れるほどの大音量で音楽が、鳴り響く。

 

 

翌年、僕は泰安に赴任することになる。空港に迎えに来てくれたIさんが上司。まさか上司と部下になるとは、Iさんも僕も想像すらしていなかった。

2008年の北京オリンピックに向けて、中国がエネルギーにあふれ、爆速で変化していた。

 

 

【JUST NOW】

次から次へと事件が発生し、ニュースになる。ハマスがイスラエルへ攻撃を開始したのが、10月7日。ロシア・ウクライナ戦争は、その終結の目途も立たない最中にパレスチナの硝煙に霞んでしまった。11月6日から2週間、COP(国連気候変動枠組条約の締約国会議)が、開催されたが、2つの戦争は、何の価値も生まない二酸化炭素をバカスカ発生させている。 「二酸化炭素発生を抑制するための議論より、戦争を停める行動を!」 と叫びたくなる。

 

“平和ボケ”した日本では、隣国・北朝鮮のミサイルだか、人口衛星だかの打ち上げより、ホス狂いのバカ娘の救済がニュースになっている。そりゃぁ、当事者にとっては、“1分の1”の問題だけど、日本の1億人が、どうかなっちまう由々しき隣国の狂気の方が、優先課題じゃないのか。

 

いや、いや、隣国の狂気への杞憂以前にウクライナやパレスチナでは、リアルに人命が失われているのだ。ロシア・ウクライナ戦争終結への日本の積極的関与は、正直なところ、ムリがあると思う。しかし、ハマス・イスラエル戦争終結へ積極的に関与できるポジションに日本はいると思う。両者と利害関係や歴史的な怨恨がなく、国際的な発言権(経済力)があるのは、日本と中国ぐらいだろう。中国は、行動力もあるが、何しろ“下心”が見え見えなので、頂けない。増税メガネと揶揄される岸田政権だが、外交での評価は、悪くないらしい。日本の国際的プレゼンスを上げる絶好のチャンスだと思うんだけどね。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/アラカルト 第2回

2023-11-18 20:01:35 | 旅行

2023年の記録

茨城県を中心に東関東(茨城、千葉、埼玉、東京) 散策の記録をAIでイラスト化してみた。

 

 

茨城県の散策ときっかけとなった北浦三育キリスト教会。歴史的な建造物ではないが、ネット掲載写真の“映え”に魅かれた。

 

 

茨城県の教会と香取市の旧川崎銀行佐原支店は、下野市の自宅からクルマで、連続して周った。埼玉県の和戸教会は、出張の帰り道に寄り道。赤羽教会は、地元の教会。

 

 

土浦聖バルナバ教会は、鉄筋コンクリート造、竣工は1928年(昭和3年)、1930年(昭和5年)、1936年(昭和11年)と諸説ある。土浦市中心部の亀城公園の裏側、土浦小学校の前に建つ日本聖公会の教会である。

 

 

単立バプテスト荒川教会は、荒川沖の畑の中にある比較い新しい教会。

バプテスト派とは、プロテスタント・キリスト教の教派であるが、単立とは、いずれの教派に属していないことを意味する。

 

 

旧川崎銀行佐原支店(現佐原三菱館)は、佐原の重要伝統的建造物群保存地区の一角にある。訪問当日も、それなりの人出、目的の旧川崎銀行だけを見て、早々に退散した。

1914年(大正3年)に煉瓦造2階建、煉瓦タイル貼り。煉瓦と花崗岩で構成する辰野式(ルネサンス様式)の僕の好きなデザインである。

 

 

 

旧川崎銀行佐原支店を出て、利根川を渡り再び茨城県に入る。15時を廻り、平坦な道を北浦三育キリスト教会へひた走る。

 

 

北浦三育キリスト教会は、セブンスデー・アドベンチスト教会の運営する三育中学校の礼拝堂。

セブンスデー・アドベンチスト教会は、自らをプロテスタントと位置づけているアメリカ発祥の宗派である。(異端=キリスト教系新宗教との見解もある) 安息日(セブンスデー)を厳守する教義の通り、土曜日(=安息日)に訪問したため、人っ子一人いなかった。

 

 

北浦三育キリスト教会から高速道路のインターチェンジへ向かう途中、日本ホーリネス教団の鉾田キリスト教会を見つけた。日本ホーリネス教団は、プロテスタント系のキリスト教団でホーリネス運動の流れを汲む。

 

 

茨城県五霞町に出張した帰り道に寄ったのが、日本基督教団和戸教会である。和戸教会は、1878年(明治11年 )埼玉県内で、初めて誕生したキリスト教会である。

現在の教会堂は、2000年(平成12年)竣工、設計監理は、一粒社ヴォーリズ建築事務所。アーチ形の木製集成材を列柱として左右に側廊をつくり、バシリカ(basilica)式の会堂となっている。

 

 

カトリック赤羽教会は、1951年(昭和26年)献堂の地元の教会。

僕は神も亡くなった両親も自分の心の中にあると、都合の良い不敬虔な信者なので、教会に毎週通う訳ではないが、教会に行くと、穏やかな気持ちになれる。

 

 

【メモ】

Chat-GPTがリリースされたとき、偉い時代になったものだと思ったが、今のところ、仕事も生活も、良くも悪くも何も変わった気がしない。しかし、昨今のAIフェイク動画を見ると、底知れない気味悪さを感じる。僕の感じる気味悪さとは、悪意のある者が、僕を貶めるためにフェイク画像や動画を作成して流すこと以上に、悪意のない者が、ほんのおふざけで作ったフェイクが、作成者の想定を超えた広がりとなり、とんでもない損害を僕が被ることだ。

 

今回、僕が画像処理で使ったイラスト化ソフトは、フリーソフト(無料)だ。操作も簡単なもので、習熟を必要としない。誰もが、気軽にフェイクを作ることができる、それが恐ろしい。

ローレックス・イミテーションコレクタの僕の友人は、本物のローレックスを2本所有している。限りなく本物に近いイミテーションを見分けるために本物を所有しているのである。マニアとは、恐ろしいものだと思ったが、精巧なイミテーション、フェイクの世界は、マニアックで、習熟が必要な世界だったのだが・・・・・・。

 

 

旅は続く