Dandelion~美容師の生活~

ヒトのために地球のために自分ができること

衝撃的でした・・・。

2019-09-28 13:04:30 | ひとりごと

先日のことじゃった。

地元の街へ、気分転換にお買い物。
最近、廃れてきたとネットでは話題になるけど、改めて都会じゃないトコにでかけると「本当か!?」と疑問に思ってしまった。

何でもそろっている百貨店。

小学生の時は、そこへ出かけられるとワクワクしたところ。
中学に上がると1Fのフロアは「クサい」と「ア〇レやパ〇コの方がオシャレだし」なんて思ったときもあるけど、都会では感じられない活気があるように思いました。

平日に行っても、休日に行っても、街のおばさまたちが娘さんと一緒にいたり、「やっぱり百貨店様はすごいっ!」て、なんかよくわからないけど、そう感じました。

その日は、いろんな都道府県の物産展みたいのが上の階の方で行われていました。
見るだけ・・・と思っていたのですが、プラプラしていると(ほんの少しの一角なんだけど)威勢のいいオッサンが大きな声で呼び込みをしてたんです。

商品をみてみると、クリーム色に詰まったパンと、袋分けしてあるパン。
とにかくオッサンの呼び込みがすごかった。
しかし、内容を読み解くことはできんかった・・・。

少しそのオッサンがいるところで、佇んでいると、トレイを手渡されてしまって、断ることもできなかった。
さっき、百貨店に来る前にパンを買ってきたんだけど「とりあえず、ひとつだけ」と思ってたら、さらにオッサンは呼び込みを押し気味でしてきたんです。

「ここでしか味わえないもの!人気商品から並んでます!今日売れるのはもうこれだけ!卵と小麦粉だけ!バターは◎△$〇&%#!」

もう、そのオッサンに押されてしまって、ひとつだけのつもりが、もう一つと・・・食パンもと思ったけど、家にあることを思い出して、そこで止めることができました。
でも、すごく気になった。

いくつかの物産展に出掛けたことがあるけど、あのオッサンのパワーはすごいわ。
人の流れも、オッサンからスタートするようになってて、キレイにランキングで陳列もしているし、最後は最近、高級食パンの流行があるから、ついつい手を伸ばしたくなる。
最後のレジは、百貨店のおばちゃん2人と正統派のおじさん。
きちんと絵と商品名と、半分単価と1個単価が順番通り書いてある紙があって、用意周到な感じ。

オッサンパワーが、ある意味恐ろしくなりました。
こんな衝撃は、初めてかもしれない。

関西人の友人は入るけど、ほんまもんの商人はやばいわ。
降り立つときは、財布の紐をしっかりせなあかんことを、知った気がします。


人気ランキング2番目のロールケーキ。どっしりして、甘んいだけど、さっぱり感もありながら、ぺろりと食べることがいます。おいしかったです。


映画*メアリと魔女の花

2019-09-23 17:17:21 | かたりごと

米林宏昌監督の3作目の長編映画、2017年に公開されたもの。
原作はイギリスの女性作家メアリー・スチュアート(1916年 - 2014年)が1971年に発表した『The Little Broomstick』。
日本では1975年に『小さな魔法のほうき』としてあかね書房により翻訳出版されて、映画に合わせて『新訳 メアリと魔女の花』がKADOKAWAから刊行されました。(Wikipediaより)

ふらっとレンタル屋さんによって、ほんとは別のモノを・・・と思って手に取ってたのに、観てなかったものなので、ちょっとラッキーなんて思いながら観ました。

米林監督作品は、どこか不思議な世界が漂っていて、子ども向きというより大人が観て、たのしめるそんなアニメだと思ってたのですが、このメアリは、夢や冒険、魔法という世界とかがあって、古巣の影響がたくさんつまったストーリーになってるなと感じました。

たぶん、似たり寄ったりするものもあるから、評論したがる人はそこをあーだこーだと言いたくなるんだろうけど、なんか、大人に向かって「キミたち!・・・」とじぶんたちの考え方や仕事、子育てについて考えてしまうんじゃないのかなって。

そして、こどもには・・・やっぱり単純に「希望を持ちなさい」「約束は守ること」「役目をわかろうとしなさい」みたいな、たぶん、大人でもだれでも一度は思ったことのあること、「この世に生まれた意味」みたいなことを考えては、ちかくの大人の世界をみては「アニメと現実はちがう」とか思って、冷めた子どもにならないようにと願いがやっぱりこもってるような気がします。

アニメは子どもが観るもの、オタクの世界のもの・・・なんていうのは幻想で、いまは世界中の人が日本のアニメに感動しては、すごく注目している。

きっとさ、子どもについて行って、「仕方ないな・・・」と思いながら映画館に足を運んでも、密かに「ふむ、いい映画だった(泣」と思ってしまうひとつな気がしました。


どうしても人というのは、おろかなもので、「前代未聞のチカラ」というものに目がくらんで、本来忘れちゃいけないものを忘れてしまって、そのチカラに溺れて、盲目的な考え方を持ってしまう。

もともと、人が生きれるのは、草木や海や川、動植物があってのもの。
人のチカラだけは、どうすることもできないことがたくさんあることを知ろうとしない。
化学やエネルギーの源も、その自然から恵みからなのに、どうも人というのはそのことを忘れてしまう。

理性と本能のように、両方をバランスよく、影があるから光がキレイに見えるということ、キレイを見過ぎると、たぶんそのバランスが必要ということの意味が深くなること、そんなことを考えさせられ、思いました。


この主題歌の「RAIN」の世界観もすっごく、イイ感じ。



映画*ツナグ

2019-09-21 02:59:01 | かたりごと

2012年10月6日に公開された映画で、原作は、辻村深月の短編小説。
監督は『ROOKIES -卒業-』の平川雄一朗。

なんとなあく、気になって観てしまいました。
たぶん、TV放送された時にも観たときがあったと思うけど、やっぱり忘れちゃうもんですね。


あなたがもう一度、会いたい人は誰ですか?

使者(ツナグ)とは―
それはたった一度だけ―、死んだ人と会わせてくれる案内人。
生きている人が会いたいと望む、
すでに死んでしまった人との再会を仲介する“使者”を表す言葉。
((C)2012 「ツナグ」製作委員会より)



主人公は幼い頃、不慮の事故で両親を亡くし、ちょっと変わったツナグという役目のある家系に生まれたことによって、その「死」というものと向かい合いながら、その世界のことを考えて、考えて・・・そんなお話。

身近な人の死を体験すると、誰もが一度は向かい合うようなこと。
引き継がれている役目というプレッシャーやその家族独特のこと。
亡き人と、生きている人をつなぐ、その仲介にいる立ち位置のむずかしさ、若さゆえの熱いココロとちょっと冷めているようなところ。

観ながら、その「ツナグ」ということだけでなく、いろんな気持ちや想い、考えがめくるめくる、ころころと湧き上がってきました。

そして思ったこと。

やっぱり、ひとつのことを何回も何回も、考えてはぶつかって、人に伝えてはまた考えて、じぶんのその役割やできること、そのことに向き合っている人は、どんなに若い人でもすごいということ。

どんなに同じことを考えたことがあったとしても、その深さだけでなく、悩んでいる時間、いい加減でなく、そのときのじぶんの等身大で向かっている人は、人から見て軽蔑されるような事柄でも、その生きざまは気持ちいいほど、美しくみえるような気がしました。

さまざまな人と会えるからこそ、わかること。
理解できること。

起きてしまったことへの後悔をしても、もうどうすることもできない。
けど、しとけばよかったの後悔は、これから未来へ向かって、何かすることで後悔は後悔じゃなくなる。

最後、エンドロールがはじまったときの希林さんの言葉。
覚えておきたいような、書きとめておきたいような、そんな言葉たち。

またすこし経って観たら、また違うことを感じる映画なのかなって思いました。


「たいせつなことは目に見るものでなく、ココロで見るもの」そんなセリフが印象に残りました。



意味を考えること。

2019-09-20 21:38:23 | はたらくこと

世の中に出回っている、ビジネス書や啓発本。
古くからずっと居座っている分厚い本から、いま現在活躍している第一線のビジネスマンや有名人、さまざまな業界からいろんなアプローチで書かれています。

わたしは、本屋にぶらっとすることが幼いときから多くあるのですが、この分野の本を眺めること、手に取ることが多くあります。

そして、ある人のこと。
美容専門の同期に言われたんです。

「あんなの、書いてあることなんで全部一緒。読むことなんて無意味」

みたいなことを。

愛読していることもあるし、すこしカチンとも来たのですが、一理ある気もしたんです。

読み解いていくと、すごく当たり前のことを、その人のやり方として紹介してるだけだし、さまざまな方向でおなじことを言っている。
それに、いま活躍している人が書いている本は、古くからずっと居座っている本と同じようなことを説いている。

そして、もっとヘンなことをいうと、それはむかしの争いごとの戦略やお坊さんのような人が説いていることにも、つながってたりする。

たぶん、その同期が言いたかったこと。
それは「本を読むことより、実践、現実にできてなかったら無意味なこと」とも言いたかったのかもしれない。

どうしてもたくさんの本を読んで、知識を増やしてしまうこと、それでじぶんと同じようなことを思っているをたくさん見つけてしまうと、実践できてなくても、勘違いしてしまうような人がいてしまう。

よーくよく考えないといけないこと。

たとえば、会社のお金を動かす仕事をしている人がいます。
その人は毎日のように「100万、1,000万、1億・・・」という金額を「数字」としてみています。
しかし、じぶんの生活は<月30~40万くらいの金額>での生活が現実です。

職場が、ホテルやVIPが利用するラウンジではたらいてるとします。
しかし自宅に帰れば、地元密着のスーパーやちょっとおしゃれなカフェでのんびりするのが、じぶんの憩いの場になってる人もいます。

ただね、仕事をしている時間というのが、その人の大半を占める時間になるため、じぶんの生活と、職場の環境とのギャップがあるのに、何かの慣れが生まれてしまうときがある。

そこを埋めるために、人は勉強をしたり、ココロを育てたりするんだと思います。

人はもともと不器用なモノ。
カラダはひとつしかないし、できることもそう多くはない。
じぶんではどうすることもできない感情や、コントロールがむずかしいものもある。
頭とココロが自分のモノであっても、じぶんのモノでないような、みたいにね。

はたらくということは、ロジックや計算だけでは解決できない何かがある。
人なんて、何かに割り切りながらも、夢や希望みたなことも言い続けるんだから。


飲んでる席で夢を語るおやじほど、現実をしっかり歩いてきている人。夢を語れない大人は・・・どうなんやろな笑。

 


4000日目!

2019-09-20 19:33:33 | ひとりごと

本日からラグビーW杯が開幕!

どうしてもW杯というと・・・バレーの方に結びついちゃうけど、世界的にみるとラグビーの方がメジャーなスポーツで世界三大スポーツイベントのひとつにされているとか。
ネットで記事を追いかけているだけだと、わけわからんのよね。
スポーツ好きの人は、大変な季節なのね笑。

アメフトとの違いもよくわからないけど、がんばれ!日本っ!!!です。


そろそろ、会社勤めをしなくなって1年。
さまざまなことがありすぎて、よくわからないことも多すぎて、目をそむきたいこともあるけれど、想像しなかったことやあり得ないと思うようなことが起きるのも、世の中ふつーのこと、ということがよーくよくわかった1年になっています。

平坦であることがしあわせだというと、しあわせでない1年だったなのかもしれない。
人から見たら、不幸にみえることかもしれない。
「かわいそうに」とか、「それが今までの行いよ」とか、言う人もいると思う。

ただ、そんなの無責任に他人がいう、たわごと。

うんざりした。

わたしは正直に、じぶんに背くような生き方だけはしたくない。
他人を否定したり、他人の不幸を話のタネにしたり、後悔ばかりを口にして、じぶんは悪くないと大人ぶったことをいうことは、社会で生きる逃げ道のような気もする。

正しいだけが正しいとも言えないことくらい、誰だってわかる。

じぶんの生き方くらい、じぶんで責任持てる生き方で示していきたい!

けど、そんなん虚勢をはって、人とぶつかっても何もならない。
ただし、何かをじぶんがガマンしているとなると、それはやっぱり、じぶんに背いていることになって、人にもガマンを求めてしまうような気もする。

大きなことをしたいと思ったところで、人がひとりでできることなんて、何一つない。

そうゆうことが、スポーツをみていると、わかったりもするなって。

団体競技は、じぶんだけ目立とうとする人がいるとチームとして乱れるだろうし、個人競技は、その人を支えるためのチームがあって、ヘンにじぶんを押し付けようとする人がいると、競技する人のプレッシャーにもなるだろうし、むかしはその競技する人に夢抱いていた人が、その周りでたくさんいたりする。

応援することで元気になったり、一体感を味わうことでじぶんの活力になったり、スポーツって「戦う!」「勝ち、負け」だけど、「平和」の象徴でもあったり、ふしぎなものだなって。

そうそう、ラグビーのニュージーランド代表チームは、試合前に「Haka(ハカ)」と呼ばれる伝統儀式を行うとか。
動画をちょっと見たけど、あれは興奮する。

マオリ族という民族舞踊らしいけど、もともとは戦争の前に行う「相手を威嚇する舞踊」なのに、いまは冠婚葬祭や国賓などで行われるもので、日本でいうと日本舞踊や歌舞伎なんかに匹敵するものなのかな。

あれだって、偏見をもってみてしまったら、「けしからん!」なんてなってしまうけど、その国の伝統的なモノで、ちゃんと知ると、ただの「すごいものなんだな」「すばらしい!」と変わります。


ちょっとね、無理やり感があるけれど笑、こうやってこじつけると、世の中よくわからないことや迷宮入りしている物事に対しても、なんとか広い心が持てるような、人に八つ当たりしないで済むような気がします。


blog開設から4000日目!毎日はなかなか続かないけど、細く長く、まだまだ続けます!


♪The Day Dream♪

2019-09-15 23:57:53 | ♪のこと

The beat'll come again my friend
There'll be no, be no way to lose
Coming down that road again no matter, matter what you choose
It's up to we to change this moment and then to let it be
Cuz we will see the day break once again just you and me

時として言葉にさえできないことだってあるんだ
この胸にはふっと込み上げてきてしまう熱い何かが
見知らぬ人がカタストロフィーをまた口にする
もうこれ以上はオーバーフローやりきれないよ この歯痒さと

Everything in life is sitting waiting for your love
Realize that it's all there to make your dreams come up
Let whatever being allowing the opportunity

何かしらの大きな価値観の変化の時であることに
違いなく それを考える日々

当然のように受け止めないで それらの想いを投げ捨てないで
責める自分を許してあげて be the world you're serching for
浮かぶ映像と響く残響 just can't handle the feel
Where going are you?
Let go of what has been でもどこへもいかずに

爽やかな風 穏やかな波 グレーの砂浜
今は一人この空をぼんやり眺めてる

Whatever we are, we are at peace with this thing called reality
Why are we the only animal with a problem we need to solve
Dissolve the illusion

移り変わりの激しい世界で君と僕は 揺らぎ合う
悲しみの扉は閉ざされ 深い眠りにつく

そこでただ突っ立てないで 「なにしてんの?」 顔を上げて
たった一人の君を愛せないで we just can't take anymore
受ける影響と輝く環境 just can't handle the vibe
Where going are you?
Let go of what has been でもどこへもいかずに

憎き故郷(こきょう) されど愛す故郷(ふるさと)
良き友 つるんでいた悪友
So we're living it in unity, unbreakable 絆
自問自答を繰りかえし進みながら そうだー!

当然のように受け止めないで それらの想いを投げ捨てないで
責める自分を許してあげて be the world you're serching for
浮かぶ映像と響く残響 just can't handle the feel
Where going are you?
Let go of what has been でもどこへもいかずに

当然のように受け止めないで それらの想いを投げ捨てないで
たった一人の意を愛せないで 受け入れてあげて
浮かぶ映像と行く残響 just can't handle the feel どこへゆく?
Let go of what has been どこにでもゆこう

苦しみだけにとらわれないで それらの想いを手放さないで
たった一人の君を愛してあげて もう許してあげて
受ける影響と響く環境 just can't handle the vibe
Where going are you?
Let go of what has been 受け止めてあげて

抱きしめてあげて


~作詞:Def Tech、作曲:Def Tech・Makana・Hamuro・Nagacho、歌:Def Tech


いろいろ、いろいろあるけど、音楽はやさしく寄り添ってくれる。英語なんて意味わかんないとこもあるけど笑。


はたらくこと。

2019-09-10 16:59:04 | はたらくこと

夢やなりたい職業なんていうのは、正直、偶然のたまもの。
ふと、何かの拍子に興味を持ったり、好きになったり、気になったり、もしくは、珍しいと思って、ふしぎに思って、違和感を感じたりして、そのまま追求していったら、そのまま仕事になっていた。

年に1回、ポストに入ってくる分厚い電話帳に書いてあるほど、職業なんてあるんだから、それを眺めて夢やなりたい職業なんていうのは見つからない。

漠然とした気持ちで、就職フェアなんていうのに出掛けたって、やりたい仕事なんて探せるわけがない。

けど、当たり前のように、高校や専門、大学を卒業したら親元を離れないといけなくて、生活をするために仕事をしなければならない。
ふつーのことでしょ?

じゃ、どこにテンションやフォーカスを当てるかが、その人のはたらき人の質みたいのになってくるような気がします。


ある人が言っていました。

なりたい職業があった。
それは、人をおもしろがらせたいという気持ち。
アイディアや人がワクワクするという原点があったといいます。
そして、面白いことを人にプレゼントしたいという気持ちで今もなお、仕事をしている。

この人はいま、なりたかった職業の仕事をしているわけではありません。
けど、そのなりたい職業への想いや気持ちをそのまま持ちつづけて、ちがう仕事をしながら、たくさんの若い人たちへそのことを伝えている人です。

すごく有名な人だけど、どこか身近にも感じられる。


わたしはいま、資格だけ保持者の美容師だけど、美容師という名の仕事は、人の、その人の人生の舞台で輝けるウラの仕事。
そう思っているから、どんな職の仕事をしていても「サポートする」ということをプライドを持ってはたらいています。

そして、美容師だからこそ、その人の「キレイ」や「カッコいい」のモチベーションをちょっとでも高く持ってもらえるようにということも、密かな気持ちを抱いてね。


だからね、ちょっとだけ参考にしてもらえるといいなって思います。

もちろん、こんな甘っちょろい想いや希望やプライドだけではお金を稼ぐことはできません。
しかし、お金だけにフォーカスを当ててしまうと、本来のじぶんの想いやココロがズタズタになってバランスを崩してしまうことにもなります。
だからといって、想いやプライドだけではただ単の「夢見る夢子ちゃん」になってしまうからこそ、お金のことをちゃんと考える時間を持つこともたいせつにです。

バランスと、別々に考えながら、たまにつながっているという感覚もイメージできると、「お金を稼ぐこと」=「夢を現実にする」が「一つひとつ積み重ねる」ということの意味が深くわかってくるかもです。


はたらくという字は「人が動く」という漢字を書く。人が動くのは、そのはたらき人の想いがないと動かない。だからこそ、真剣にはたらくと人のココロに響く仕事ができる、はたらき人になります。



♪感謝の根♪

2019-09-09 17:21:07 | ♪のこと
言葉になる前に溢れ出したから
ただ泣くことしかできなかった
こんな時こそ ちゃんと胸を張って
届けたい想いがここにある

ありがとう そっと守ってくれて
ありがとう ずっと支えてくれて
ありがとう やっと見つけてくれて
ありがとう 今日もつないでくれて

いつかの種は静かに息づいて
雨も風も全部受け入れた
どんな時でも しっかり根を張って
伝えたい想いが歌になる

ありがとう 無理に笑ってくれて
ありがとう 一緒に泣いてくれて
ありがとう ちゃんとわかっていると
ありがとう やっと出会ってくれて
 
何もかもなくしてしまったような
気持ちになった時こそ
少しずつ そう少しずつ
感謝の根が深くなる

ありがとう そっと守ってくれて
ありがとう ずっと支えてくれて
ありがとう やっと見つけてくれて
ありがとう いつもそばにいてくれて

花は枯れ落ち土に還るように
いずれ同じ場所に戻る
最後に残った感謝だけがそっと
根を張り続けて生きていく


~作詞作曲、歌も半崎美子~


過ごしやすくなる季節、愛する人を想うように、自然にも感謝を。


台風シーズン。

2019-09-09 04:51:31 | 季節のこと

台風直撃、関東各地では警戒体制がとられて、電車がはやい時間に運休をお知らせしたり、避難準備の緊急速報メールがあったり、ちょっとソワソワしてしまい、遠く離れた土地で被害にあっている人たちはこんな気持ちで夜を明かしたりしてたのかと思ってしまいます。

さて、9月は季節だけでなく、古くからこの地に住んでいた先人たちにとっては、生死に関わる時期でもあって、たくさんの目印や儀式、お祭りなどをする日を設けて、注意を払ってたみたいです。

たとえば・・・


・9月1日頃 雑節:二百十日(にひゃくとおか)
 立春から数えて210日目
 台風シーズン到来、農家にとってはやっと実った稲穂の収穫前、漁師にとっては出漁できるかどうか、両者にとっての厄日

・9月8日 二十四節季:白露(はくろ)
 大気が冷えてきて、露ができはじめるころで、その露が白濁したようにみえたことからこの名に。
 秋の目印、台風が多くなる時期のこと

・9月9日 五節句:重陽(ちょうよう)、菊の節句
 奇数は、中国の陰陽思想の「陽」の数字としてめでたい日でもあるけど、重なる日ともあって「陰」にも転じやすい。ただ、奇数のうち最も大きい数が「九」なので、この日は古くから大変めでたい日とされている。菊花を飾り、菊の花びらを浮かべたお酒を酌み交わして祝った。

・9月11日頃 雑節:二百二十日(にひゃくはつか)
 意味は、二百十日とおなじ


なんか、あわただしいような感じもするけど、どこか「おちつけ!」みたいなことも季節が言っているみたいで、ただ祈るだけでなく、風鎮めのおまつりが各地でこの時期に行われてるそうです。

よく「風が季節を運んでくる」ともいうように、その風の通り道で、環境も変化するとも言います。

昨今、春夏秋冬がきれいな日本でも、その移り変わりがわかりにくくなったり、感じにくくなったりするのは、この風の変化も影響があるのかもしれません。

わたしたち人間様が、勝手に生きている中、自然が勝手に季節を変化させているけど、その恵みをいただけているのは、やっぱりその季節の変化があるからこそだということを、こうゆう夜こそ、考えないといけないのかなって思います。


「食欲の秋」をたのしむなら、やっぱり旬のものだし、それは春夏秋冬があるからだし、お祭りごとは行事じゃなくて、儀式であってほしいものです。


♪バタフライ♪

2019-09-07 16:53:40 | ♪のこと

いま目の前で吹いた風が
地球の裏で嵐になる
大袈裟だねと笑う君の
笑顔だって誰かの光になる

名もない日々に種を蒔いて
明日へ想いを繋いでいく
旅を続ける僕の歌が
その涙を乾かしますように

噂話でくしゃみをひとつ
きっとこれもそうだね

遠回りしたって近づいているんだ
君のために羽ばたく 僕はバタフライ
遠くまで届け 溢れる願いが
大きな花を咲かす いつかバタフライ

君の伸ばしたその両手が
どこかで僕の背中を押す
心が温かくなる度に
見えないものを信じてみたくなる

眠れぬ夜にふと思い出す
きっとこれもそうだね

何度転んだって歩き出せるんだ
悩める僕を起こす 君はバタフライ
遠くまで響け 優しい祈りが
いくつも時を超える いつかバタフライ

遠回りしたって 近づいているんだ
今 幸せを運ぶ 君はバタフライ
遠くまで届け 溢れる願いが
大きな花を咲かす
遠回りしたって 近づいていくんだ
世界に愛を灯す 君はバタフライ


~作詞と作曲:秋野温、歌:鶴~


埼玉県鶴ヶ島というとこで、来月フェスをするそうです。詳しくは⇒ここ