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Dandelion~美容師の生活~

ヒトのために地球のために自分ができること

タバコと香り。

2019-04-09 02:13:12 | ひとりごと

わたしの父は、とてもヘビースモーカー。
わたしが幼いときは、母も吸っていたし、2人のタバコを買いにおつかいをしていました。
英語は読めないから、殻のケースを持って、色と雰囲気で覚えてた気がします。

とても厳しい父だったけど、父のひざの上に乗ってることが好きで
父が運転する車のトナリに座っているのが好きで
ただ、一度シートベルトをしてなかったときがあって、それからはずっと後ろの席。

わたしが高校生のとき、周りの人たちが香水をつけはじめました。
けど、わたしは好きになれなかった。

けど、好きな人が香水をつける人でした。
タバコも吸っている人でした。

だからかもしれない。
ヤニ部屋と呼ばれる、喫煙室は嫌いだけど
その人についている香水もタバコの香りも好きなんです。
なんかとても落ち着く感じがするんです。

しかし、父が心筋梗塞で倒れたことがきっかけに、タバコに対する気持ちが変わりました。
その前に一度だけ、現実逃避をするために吸ったこともあったから。

香水は、時代とともにつける人が少なくなって、たまに香るとある人を思い出す。

香りに興味がないけれど、香りをつける人
香りを生活に取り入れる人にはとても興味があって
いろいろ、いろいろ調べていくと、とても興味深いものになって
いまは、ちょこっとふつーにどうやって取り入れるべきものなのかわかってきました。

よかったことは、もともと興味がなかったということもあり
好きからではなく、知識から香りの世界に入ったから
とてもたいせつに使うもの、印象付けに持ってつけ、ということも
ひた隠しにして、しかし、なぜ使うのかをすごく考えて使います。

いま、すごくすごく大きなストレスを抱えて、すこし貴重な香りを味方にしました。
しかし、今のわたしには負担が大きかったみたいなので、悪いものをあえて取り入れて
20年ぶりにタバコを買ってしまいました。


タバコも香りも常用はしないけど、本当の香りはみんな常用的にあるから、同じように常用的にしすぎには注意しないとな。

 


小さなうれしいこと。

2019-04-08 21:30:16 | ひとりごと

3月末で仕事がなくなりました。
そのことを見越して、少し前に就職活動をしていました。

いまの状況の話をするのがすごく心苦しかったり
そして、職を探すにあたってすごく不利になるということもわかって
だけど、ていねいに聞いてくださることがうれしかったんです。

同情ではなく、「今のご時世大変ですよね」というような感覚で。

わたしは「精神科」や「心療内科」のあり方について
とても不信感を持っている人間です。

なぜ、本人は何でもないといっているのに、医者はもちろん、友人や会社の人
そんな人たちが「あなたは〇〇という病気です。」と判断されないといけないのでしょうか。

ふつーに過去にいろいろなことがあったり、ふつーに人と話すのが苦手な人
大切な人を失ったり、友人と疎遠になるようなことがあったら・・・失恋したりね。

落ち込んで、毎日泣いて、食事ものど通らなくなって、眠れなくなって
これ、病気なんですか?

人によってはそれによって、幻聴があったり、妄想や悪夢に追われたりして
現実とその夢と、幻聴の区別がつかなくなって、どこもに行けなくなった人が
安全と安心を求め、精神科の閉鎖病棟があります。

このような状況になると、自殺してしまいそうな人や反対に人を殺してしまう人がいるから
警察が保護をすると、そのまま入院するようなことがあります。

もし、そのような実態を客観的に見れる人がいたら
もう一度その病院へ行きたいと思うかな?

わたしはその実態を知っているから、その閉鎖病棟へ入院している人や
そこにすがってしまう環境にいる人のことがすごくわかります。

しかし、そのことを知らずに、そのような人に向かって否定的なるのでなく
ちゃんと目の前のわたしの話を聞いて、寄り添ってくれるような世の中になってるんだなと感じることがあって
それが「小さなうれしい」になって、支えてくれます。

いま、ひとりなのは仕方ないことだけど
ちゃんとわかってくれる人はいる。

きっと伝わる日が来る。


まだちょっと不安な日が多いけど、そうやってじぶんをはげましています。

 


突然の知らせ。

2019-04-05 22:25:17 | ひとりごと

ここ数年、身近な人の訃報を聞くことが多くなりました。
そのときなんて言葉をかけたらいいのか、すごく迷います。。。

美容師やサービス業は、とても華やかな仕事でその中で
はたらくこともできなくないけど、どう向き合えばいいのかについて
すごく、すごく考えます。

もともと、「死」について考える機会が多い環境下にありました。
「戦争」のイベントに毎年演奏する習い事をしていたり
小学生の時は、知的障碍者の生徒と一緒にいたり
「福祉」が盛んな街にいたり、ユニセフ募金なんかもやらされていました。

なので、幼い頃はそのことをイヤイヤ、仕方なく参加していたけど
あまりにも当たり前にその環境にいたので、イヤな印象は抱かなかったんだと思います。

そうゆう人たちが当たり前に地球のウラ側にいること
じぶんは五体満足でいることが「ありがとう」で
五体すこし不足している人は
きっと五体満足にないトクベツがあったりするのかな。

「死」というのは、いまこの瞬間になくなるかもしれない
それは、他人ではなくてじぶんに起こるかもしれないこと。

安全なんてどこにもない。
空から飛行機が落ちてくるかもしれないし
交通事故にあうかもしれない。
急に向かいの人が襲ってくるかもしれない。

それが、ふつーの世の中にある。
ニュースはネットのニュースがそれを物語っている。

ただ、本当にじぶんの身近なたいせつな人がそのようになってしまったら。

親がいつそうなるかわからない持病を抱えています。
何回も入院の知らせを聞いてるし、「またか・・」みたいな感覚もすこしある。
けど、心のどこかで「無事でありますように」と祈ってしまいます。

あまり直々会う間柄ではないんだけど、血がつながっているってふしぎだなって。

身近な人が命がかかわる何かがあったときは、すぐ飛び出すことができるじぶんでありたい。


友人じゃないけど、友人みたいなすごく大人な人の身近な人な訃報を聞いて、また思い出しちゃいました。

 


ややこしい。

2019-04-03 17:21:46 | ひとりごと

わたしは、カラダが丈夫だけど、ココロが弱い。
なのに、気力だけ図太い笑。

そのため、いまなんとかがんばれば、仕事復帰をしようと思えばできちゃう。
ちょっとムリして、我慢すれば、会えなくなってしまってる人たちにも「ごめんなさい!」なんて
言えるじぶんへテンションも持っていこうと思えば、できちゃう。

しかし、それは「思い立ったが吉日」行動をしてしまう。

また、失敗しちゃったかな。。。

でもそうでもしないと、じぶんがストレスでつぶれそうになって、なにか行動をしないと落ち着かない。
もう本当に会えなくなるんじゃないかと、焦ってしまっている。

けど、やっぱり、落ち込みました。
じぶんでも「いい加減学びなさい」と言い聞かせているのですが、これでもかなり抑えて抑えて行動しているんです。

ただ、やっぱり方法を知らないみたいです。

そして少しカラダが復活してきている感と、クスリなしで寝れるようになったから安心してしまって
けど、いろいろ人を疑って、たいせつな人も信じられなくなってしまっている心理はふつーじゃない。

ちゃんと正さないといけないと、それはふつーのことじゃないと。
そこんところが安心できないから、まだ社会不適合者なのかもしれない。


そうゆうことを客観的にちゃんと理解できているから平気だけど、40歳手前オンナ、ムリできないカラダです。

 


ある人が言ってました。

2019-04-02 13:15:26 | ひとりごと

TVのない生活をだいぶ前からしています。
一時実家で生活していたときは、もちろんふつーに見るんですけど、
ひとり暮らしをしている間はもうずっとありません。
ちょうど地デジの切り替えで、TVを買い換えないといけないときで、購入をやめました。

それからというものの、朝はラジオ、夜は音楽がメイン。
ただ、元々TVっ子の私なんで、好きな動画を永遠に見続けてしまうときもあります笑。

そんな動画サイトのひとつに、こんなことを言っているタレントさんがいました。

「ここの島には、警察署も病院もない。せやから、島のみんなを親せき同様と考えて、車の運転なんかを気を付ける。」

交通事故が起きないそうです。
親せきだから、たぶん、殺し合いなんかもない。
ケンカはあっても、年長者の人とかが「まあ、まあ」なんていっておさめちゃうのかな。

けど、人が多すぎる都会。
そんな風に考えるのは、その感覚になるのはきっとむずかしいんだろうな。

もちろん、頭では理解できる思うんです。

けど、実際に友人となった人でも、何かあればある一線を置いて
じぶんの目の前の人を大切にすることに専念する。

それが、都会の寂しさのように感じます。

だから、傷つかいないように、当たり障りない付き合いになって
たくさんの人に囲まれていてもどこか孤独を感じる。


ひとりで生きれる強さを身につけないと、生きて行けない。けど、強さだけでなく、やさしさを忘れちゃうとじぶんがじぶんでなくなってしまう。

 


新しい年号。

2019-04-02 10:37:51 | ひとりごと

昨日、定刻通り発表されたのかな。
リアルタイムで確認しようと思ったけど、寝ちゃってました。

【令和】

3つめの年号。

祖母が「大正」生まれで、年号をまたがって生きてるってすごいなって、「昭和」を生きている人は「明治」からの人もいる。
なんか時代をまたにかけて、いちばん急激にかわっている時代を過ごしてるんだろうなって、子供ゴコロに感じてました。

そして「平成」になったときは、まだ政治のこととかはよくわからなくて
お正月明けてから、バタバタと「今日から「平成」になります!」とおじさんがTVにバンっと見せてたのを思い出します。
実は弟がその切替の年にうまれた学年。
「昭和63年」「昭和64年」「平成元年」という3つの年号がある年。

そして、今回が初めてだったんですよね。

天皇が生きているときに世代交代をしたのは。
ちょっと考え深いなって、たくさんの儀式をたくさんして
日本の天皇は何をしているのかは表向きわからないことだらけだけど
総理大臣と天皇をわけて、日本を守ってる感じは、世界を見ても独特なのかな。
日本らしいとでもいうのかな。

ただ、ずっと昔の儀式を守ってるのは、日本人であって良かったなと
ちょっと誇りなんかを持ってしまします。


たくさんのことが変わる世の中、わたしはその日本人のほんとうに大切にしているモノをなるべく守りたい。そう思います。

 


【<延長>休業宣言】

2019-04-02 01:12:54 | ひとりごと

2018年11月5日に宣言した【休業宣言】

本当は2018年内で済ますつもりでした。
ただ、【開業宣言】を何をするかは正直何も考えてません。
ただ単に「やすみ」がほしかった。

はたらくことのストレスから、人とのストレスから、プレッシャーから、解放させて
じぶんを休ませてあげないと、もう壊れてしまう寸前だったから。

そして、その3週間前から無理をしてました。
うれしいこと、つらいこと、複雑なことがたくさんあって、
けど、うれしいことがすごくすごく大きくて・・・2018年11月4日は少し調子に乗りました。

そのあとのココロの動きは、ここに書いてあるとおりです。

わたしは、どんな人に対しても思っていることを、感じていることをストレートに伝えてきて失敗をしてきました。
30代の課題は、それをすることを辞めて、ぐっとこらえることをしてきました。
そしたら、ストレートに伝えてきたときより、うんとじぶんの思ってることがちゃんと伝わるようになったんです。
そうゆう気持ちを持つようになりました。

しかし、ぐっとこらえすぎてたみたいです。

本当に大切にしたい人には、その「たいせつ」をちゃんと言葉にして、アマノジャクになっちゃいけないかったのかな。
もうちょっとそこのところは、かわいくいれる女の子でいれれば、もしかしたら、今日まで【休業宣言】は続かなかったのかもしれません。

ただ、わたしは、40歳手前まで「女子を手前」に出す同性のことを、好きになれませんでした。
どうしても、そうゆう女子にはなりたくないと「やっぱりカッコいい女性でありたい」と
そして、どうせ「女子」をだすなら「やっぱりローマの休日の王妃」のような、かわらしく出せるようになりたいなって。

ま、そこはちょっとひた隠ししちゃうところもあるんですけど。

かなりつらい【休業宣言】になってしまいました。
こんなことになるなら、宣言しない方がよかったのかな。


いろんなことを後悔しています。けど、前を向かないといけない。

 


ひさびさに笑。

2019-03-31 08:47:34 | ひとりごと



ちょっと贅沢にタクシー乗ってきちゃいました。

電車乗るのも、人混みも、明るい光も、大きな音も、すべてが怖くなって、近所のコンビニへ出掛けるのがやっとだったんです。

大切な人も友人も仲間も、これから会いたいって思う人たちに対しても、みんなを疑うココロしか持てなくて、そんなじぶんも悲しくなってしまって。

けど、4月入る前にそんなじぶんと卒業したかったんです。

大きな出費になったけど「大丈夫だ!」って思いたかったから、あとは体調、体力、気力の回復と向き合って、ちゃんとした生活送れるように、はたらけるように、歌えるように、がんばります!


朝の表参道の散歩は気持ちよかったです。


大昔のことじゃった。

2019-03-30 12:30:09 | ひとりごと

ま、そんなことを言っても20年ちょっと前なんだけどね。

小学2年のおわりから高校2年生までやっていた習い事。
まだそのころは週休2日でなくて、日曜日だけがおやすみのときと
隔週で土曜日がおやすみになったりのときでした。
土曜日は3時間だけ授業を受けて、お弁当持参してなにかスポーツをしてた人
クラブ活動をした人もいたんですよ。
だからちょっとトクベツ感があるのが土曜日でした。

その週1日のおやすみのときに、電車に乗っての習い事。

少し恥ずかしいような感じするんだけど
いまではすっかり有名になったらマーチングバンドみたいなのをやってたんです。

ただ<みたいな>なんです。<もどき>とも言ってました。

下は幼稚園生から、上はいちよ、高校3年生まで。
規制がゆるかったから、他のグループをみては
「あの人もう社会人なのに!」なんてこともありました。

年に一度、トクベツなステージに立つことができて
おなじ県にいるおなじことをしているグループが集まるお祭りごとがあって、発表会です。

毎年あるから、他のグループの人とも仲よくなったり、カッコイイ人みつけたり
もちろん!すごく楽器を上手に演奏する人をみつけては憧れたりしてました。

毎年おなじグループをみて、みんなで「がんばれ!」「〇〇ちゃん!ファイト!」と声援を送っては
そんなに上手じゃなくても「がんばれ!」だし
毎年上手なところは「さすが〇〇だね。」「××は安定、変わらない。」と言ってたりね。

ただね、やっぱりドラマがあるんです。
むかしは「バトンもトランペットもすごい!」と言われてたところも
世代交代があるからある年から「どうしたんだろう・・・」と思うけど
「大丈夫?」「もうあそこも終わったね」とはならない。

やっぱり毎年変わらず「がんばれ!」と声援を送るんです。

それがすごく当たり前にそのお祭りごとの空気感の中にありので
ミーハー世代でも「それはしないこと」とふつーに受け止めてた気がします。

そして、ある年、ステージ開始、幕が下りたままでスポットライトがひとつ
トランペットのソロがはじまりました。

・・・・一瞬にして会場は「あの時代がもどってきた!?」って感じるんです。

そうとう1年、ちゃんと練習に取り組んできたんだなって
たぶんみんながみんなが思って「すごい!」と声援をまた送ります

わたしが所属していたグループは
んーーーー、そんな上手なとことは言われていないところだったと思います。

ただ「ゲネプロと本番のステージがかわるところ」と言われてた気がします。

わたしは、たくさんの楽器やバトン・カラーガードもやったことがあるけど
「グロッケン」と呼ばれる鉄琴を担当していることが多かったです。
エレクトリカルパレードや小さな世界をグロッケンだけで
メロディラインをやったことをすごく覚えています。

いちよ、ちゃんとしたマーチングの先生がついていたけど
わたしたちに合わせて、ちょっとお子様風で
しかしちゃんとしたテーマの世界観を音楽とフォーメンションで伝わるようにつくってくれてたので
いま思い出しても、またやりたいなって思っちゃいます。

ま、夏にお祭りごとがあって、夏休みは練習や合宿でつぶれて
真夏の日差しの下で重い楽器持って、蒸し風呂の体育館の中で汗だらだらになって
ずっと立ちっぱなしだから、イヤなしんどいことも山ほどあったんだけど
ステージに立つ喜びやカッコいい制服が着れること
ふだん履かない白ブーツにストッキングに足を通せることがうれしかったりしたからな。

年一の友人やあこがれのアイドルにも会えたりね。

あまり大きな声では言えないステージなんだけど、ほんとにすごいステージだったから
「毎年ふつーに立ててすごいだろ!」てとこだから
朝すごく早く出発してバス乗っていけることが遠足とはちがう緊張感を毎年感じて
なんかヘンな自慢ゴコロをみたいなものを密かに思っていました。


ひますぎて、ひまつぶしにむかし懐かしいことをちょっと書いてみました。

 


後悔を閉まってます。

2019-03-29 20:21:24 | ひとりごと

昨年11月、合気道の昇段審査がありました。
やっとあこがれていた「黒帯」に、「袴」を履くことができるようになる。
けど、その審査が受けれませんでした。

ひとつは、もちろん今、静養中の原因である不眠症によります。
当時で3週間の不眠症で、その審査に必要な体力さえも、その準備の稽古さえもむずかしいくらいでした。
しかし、支えてくれた人がいたから、少ない稽古で、そのときまでにたくさんの方にアドバイスや稽古をしてもらえたから。
もちろんじぶんの道場の師範の存在もあったから。
その少ない体力でも、必ず審査を受けようと、一緒に昇給してきた友人もいたから。

もうひとつは、そのたくさんの方からのアドバイスが、一瞬にしてひとつになったんです。

それまでは、なんとなく技ができている感覚があって、人からは大丈夫だと言われても、不安でしかありませんでした。
もちろん、何が足りなくて、何がわからなくて、何ができていないのかも判断できなかったからです。

いくつかの技のワンポイントと、たぶんわたしに足りないイチバンのことを教えてもらえたから
その瞬間にいろんな細部までが見えるようになって、できなかった「ひとり稽古」ができるようになりました。

もちろん、初段といっても、すべての技が完ぺきということはない。
不完全なまま、それこそなんとなくでも、その資格が得られるようになったら
「黒帯を締める」という自覚をしっかり持てるように、審査に臨もうって昨年は稽古や合宿、その他の研修会に参加してたから。

ただ、一瞬にひとつになった瞬間、じぶんの師範の前で、その他高段者の前で、審査することができないって思ってしまいました。

それは、あまりにもその方々とかけ離れた技ができるようになってしまったと思ったからです。
師範や高段者の技の欠点や稽古に向かう姿勢を指摘してしまう技になってしまったと思ったからです。

あまりにもそれまでのじぶんの技のキレと変わってしまって、それをひた隠しにして審査をすることもできない。
そう感じました。

そして、支えてくれた人にでさえ、それまでの取り組みさえも否定してしまうような技になってしまったと。

ただ、それはまだ人と組んでしていない。
わたし一人の「ひとり稽古」だから。

いまはまた、この不眠症によって、ちょっと不思議な感覚もあるから、どんどんカラダが変っている感覚もあるから
あとは古傷が痛んで、足やひざ、腰さえも故障している感覚もあるから、また技の捉え方がどんどん変わっている。

いま、稽古はおやすみ中。


正直なところ、こんな気持ちでいるからいつ復帰できるのかわかりません。