DANAS HAIR ダナ★スキャン

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◆思い悩む→気付くセンスへ◆

2012-12-03 12:52:56 | *ダナコラム*
最近気づいたことがあったので書いてみます。
 
わたしは10代の頃から色々と思い悩んだり考えこむクセがあり、それをコンプレックスに感じていました。
ちょっとした変化にいちいち敏感に動じ、どうしようどうしようと物事を実にネガティブに持って行ってしまっていました。
 
そしてこれを、自分の”悪いところ”としていました。
 
しかし心のどこかではこの事を、別の角度で見たら”良いところ”なのかもしれない・・・とも感じていました。
色々な事に気づけるセンスでもあるのではないかという可能性を観たからです。
 
 
相当のネガティブ資質であったためか、なかなか心を開ける友達をつくることが出来ず、長期にわたって仲間はずれになってしまった事があり、かなり深刻に悩んだ経験があります。
 
生きる希望さえ失いかけたこともあります。
 
そんな自分が、決死の覚悟をもって、誰かに壊れてしまいそうな思いを打ち明けた時にもし、
 
 
「気にし過ぎだよ」

 
と言われたとしら・・・?
 
 
人に打ち明けることでさえ、悩みに悩み、もうダメだ誰かに聴いて欲しい。
そう意を決してやっと伝えた時に、
 
「考え過ぎだよ。」「もっと前向きに。」「そんなことは忘れて楽しいことを考えようよ。」「しっかりしなきゃダメじゃないか、がんばろうよ。」
 
と言われたら?
 
わたしはこのように返された時に、ちっとも前向きになんかなれませんでしたし、余計に落ち込んだりしました。
なぜでしょう?
 
一見、相手を思っての言葉なのだと思います。わたし自身もそんな風に人を励ました事もあります。
でも、よく考えてみると、これらの言葉には別のメッセージが存在していることに気づきました。

 
「悩むことは良くないことだ。」「深く考えることはNGだ。」


悩みに悩んで打ち明けたことを受け取ってもらえていないどころか、それらを全て否定されてしまっていたのです。

悩むことは悪いこと。。。。
考えることはイケないこと。。。
 
自分が意識しない所でいつしかそういう価値観が根付き、悩むことをコンプレックスにしてしまった様なのです。
 
人生の中でなにかにつまづき、悩む度に、あぁ、また悩んでしまっていると、自分を責めるクセがつきました。
悩み事にはもう一つの悩みがもれなくついてくるのです。
 
そして、悩むことは良くないことだし、相談すれば自己否定されてしまう恐怖心から、誰にも悩みを話せなくなってしまいました。
  
きっと誰しも人生の中で深く考えこんだり思い悩むタイミングが幾度と無く訪れるのだと思います。
そしてそれがまさに生きることなのだと。
 
決して悩みたくて悩むわけじゃなく、その時その時で悩む必要があるから悩んだり深く考えたりするわけで、それに対応するためには1人の力では難しいこともあり、誰かに相談してみたりすることで驚くほどスムーズに物事が進むことだってあります。
 
そんな相手に本当の意味で耳を傾けること、相手がいま何を感じてこの言葉を発しているのかを汲み取る許容を持てたらどんなに素敵だろうと思います。
 
「考え過ぎだよ」「楽しいことを考えようよ」はおそらく悩んでふさぎこんでいるわたしを見て何とかしようして下さったのでしょう。心から感謝です。
同時にそれは相手の落ち込んだ姿を見たくないとか、悩んで辛い思いを経験した事があるとか、受け手側の主観で選ばれた言葉なのだと思います。
 
まずは相手の思いをただまっすぐに受け取ること、それだけで今よりももっとコミュニケーションがスムーズにいくんじゃないかなぁと思います。
 
悩むことに良いも悪いもありません。
勝手に湧いて出てくるものなのですから。
 
本当の意味で互いか打ち明けたり、受け取れたりする関係ができたら素敵ですよね。

ちなみに、今はちゃぁんと自分の悩みをその時に最適な然るべき相手に打ち明けたり相談したりすることが出来ていますので、ご心配はいりません☆
 
深く考えたりする事を悪いこととせずに、”気付くセンス”として伸ばしていけたら・・・とシフトしています。
 
ちょっとしたキッカケがありまして、自分の経験から感じたことを事をここに書いてみたくなりました♪
(^^)