読んだメモ。
週末は再び風邪でダウン。熱が引かないついでに風邪ネタを考える。土曜は10時間睡眠、日曜
は反省し、朝起きて本を本でDVD鑑賞。長い一日だった。以下、読んだメモ。
ちなみにDVDは電脳コイル1巻。メガばぁ怖いよメガばぁ。
ドミノ/恩田 陸 単行本
平成13年7月25日初版発行
株式会社 角川書店
舞台は東京駅。生命保険会社の社員、大学ミステリサークルのメンバー、オーディション帰りの
小学生、俳句のオフ会で集まったリタイア組、etc。アップテンポに滑り出し、軽快に織り成される人
間模様。幾人もの手に渡る和菓子屋の紙袋の中身は一つは過激派の作った爆弾、一つは老人
の背広。ばらばらだったピースは東京駅に集結する。
ウォーリーを探せ(懐かしい!)さながらの表紙、ポップなタイトルロゴ、おなじみの東京駅構内案
内図。デザイン上からも思わず手に取りたくなる一冊だ。実に爽快。このまま忠実に2時間ドラマ
にでも仕立てられそう。映画でもいいかもしれないが、ここは一ついい脚本でばさっと潔く、スペシ
ャルドラマにどうだろう。今時キャストでも楽しめそうだ。
天国を出ていく 本の小べや2/ファージョン作 石井桃子 訳 文庫版
2001年6月18日 第1刷発行
岩波少年文庫083
株式会社 岩波書店
エリナー・ファジョンの児童文学作品。「ムギと王さま」に収録されている。この本と並べて置かれ
ていた「ムギと王さま」は、実は我が家にあるのだが(姉が嫁ぎ先に持って行っていなければの話
である)懐かしくて借りた。ちなみに今回の読んだメモの3冊はまたも図書館の本である。
懐かしくて、とは書いたものの、実は私はファージョンの作品を読んだことが無い。子供の頃、母
や姉や弟が好んで読んでいたのだが、私には手に取った記憶が無い。確かに親や姉弟の読むも
のを共有したい、或いはその選択が正しいものだという考えが価値判断基準だった時期があった
のだが、ある時を境にそれと隔絶してしまったのだ。
何故かはわからない。それが私の反抗期だったのかもしれない。理由は定かではないし、それ
ならその時期に私が何を好んで読んでいたのか、もう覚えていない。昔話や落語の焼き直しのよ
うなものを読み漁っていたのは覚えているが、その外はタイトルのみを知識として有しているだけ
で、内容といえばさっぱりだ。
その頃のことが懐かしく思えるのはきっと私も年を取ったということなのだろう。小野不由美の
「屍鬼」上下巻を手に取った行きかけの駄賃に借りた1冊である。恐ろしい親子に出くわした日の
ことだ。
気に入ったのは「サン・フェアリー・アン」、泣いたのは「しんせつな地主さん」。よく判らないが泣
けて仕方なかった。小さい頃読んでいたらどう思ったのだろう。13編のうち、意図の汲み取れない
話もあった(寓意をついつい求めてしまうのもいらぬ知恵をつけた大人になった証拠か、それでも
純粋に愉しむだけが読書ではないと小さい頃も知っていたのではなかったか?)し、これは内容そ
のものが子供に理解できただろうかと思うものもあった。
でも、子供は大人に子ども扱いされる事を一番嫌うものだ。事実私がそうだった。早く大人になり
たいと思った。大人ってなんだろう、と今でも思うのだが。
ユージニア/恩田 陸
平成17年2月5日 初版発行 単行本
株式会社 角川書店
カバー表紙 松本コウシ
ブックデザイン 祖父江慎+cozfish
フォントディレクター 紺野慎一(凸版印刷株式会社)
美しい本だ、というのが第一印象。以前、一度手に取ったことがあって、早く読みたいと思ったこ
とがある。全体のデザイン、フォント、遊び紙、内容そのものの構成、文字の配置。この単行本の
為にとても細やかに心が尽くされている、そう思った。
ある事件について書かれた取材メモの形式で本文は構成されている。総てが誰かに語られた関
係者の回想録の形を取っている。十年前に起きた凄惨な殺人事件についての詳細な取材とフィク
ションで構成されたある一冊の本についての取材メモである。
旧家で知られた代々続く医院で事件は起きる。米寿の祝いに湧く屋敷に届けられた祝いの酒、
ジュースに混入されていた青酸化合物。同席した近所の子供、家人含めて十七人の犠牲者を出
した未曾有の毒殺事件は、意外な結末を迎える。事件当時小学五年生だった少女は、この事件
を図らずも十年の後に「忘れられた祝祭」と題して出版することになる。
事件後、ただひとり生き残った中学生の少女、彼女は十七人が阿鼻叫喚のうちに絶命して行く
座敷で全てに立ち会っい、家族を失った。生き証人であり目撃者であった筈の彼女は、幼くして視
力を失っていた。
本を読み進める時、頭の中で映像化することが多いのだが、この本は冒頭から押井守の演出風
に映像が動いた。読み進むにつれ、絡まりあった糸がほどけてゆくような、否、解きつつあった筈
なのに今まで手の中に会ったのは何だったのか、といったような不思議な感覚に囚われる。確か
にこうだ、というところへ導かれていた筈なのに、それがミスリードであったかのようにも思えるし、
やはりそうだったのかとも思える。それにしても古本屋のくだりは怖い。
でもちょっとばかりもやもや感が残っている。また少ししてから読み返したい。
週末は再び風邪でダウン。熱が引かないついでに風邪ネタを考える。土曜は10時間睡眠、日曜
は反省し、朝起きて本を本でDVD鑑賞。長い一日だった。以下、読んだメモ。
ちなみにDVDは電脳コイル1巻。メガばぁ怖いよメガばぁ。
ドミノ/恩田 陸 単行本
平成13年7月25日初版発行
株式会社 角川書店
舞台は東京駅。生命保険会社の社員、大学ミステリサークルのメンバー、オーディション帰りの
小学生、俳句のオフ会で集まったリタイア組、etc。アップテンポに滑り出し、軽快に織り成される人
間模様。幾人もの手に渡る和菓子屋の紙袋の中身は一つは過激派の作った爆弾、一つは老人
の背広。ばらばらだったピースは東京駅に集結する。
ウォーリーを探せ(懐かしい!)さながらの表紙、ポップなタイトルロゴ、おなじみの東京駅構内案
内図。デザイン上からも思わず手に取りたくなる一冊だ。実に爽快。このまま忠実に2時間ドラマ
にでも仕立てられそう。映画でもいいかもしれないが、ここは一ついい脚本でばさっと潔く、スペシ
ャルドラマにどうだろう。今時キャストでも楽しめそうだ。
天国を出ていく 本の小べや2/ファージョン作 石井桃子 訳 文庫版
2001年6月18日 第1刷発行
岩波少年文庫083
株式会社 岩波書店
エリナー・ファジョンの児童文学作品。「ムギと王さま」に収録されている。この本と並べて置かれ
ていた「ムギと王さま」は、実は我が家にあるのだが(姉が嫁ぎ先に持って行っていなければの話
である)懐かしくて借りた。ちなみに今回の読んだメモの3冊はまたも図書館の本である。
懐かしくて、とは書いたものの、実は私はファージョンの作品を読んだことが無い。子供の頃、母
や姉や弟が好んで読んでいたのだが、私には手に取った記憶が無い。確かに親や姉弟の読むも
のを共有したい、或いはその選択が正しいものだという考えが価値判断基準だった時期があった
のだが、ある時を境にそれと隔絶してしまったのだ。
何故かはわからない。それが私の反抗期だったのかもしれない。理由は定かではないし、それ
ならその時期に私が何を好んで読んでいたのか、もう覚えていない。昔話や落語の焼き直しのよ
うなものを読み漁っていたのは覚えているが、その外はタイトルのみを知識として有しているだけ
で、内容といえばさっぱりだ。
その頃のことが懐かしく思えるのはきっと私も年を取ったということなのだろう。小野不由美の
「屍鬼」上下巻を手に取った行きかけの駄賃に借りた1冊である。恐ろしい親子に出くわした日の
ことだ。
気に入ったのは「サン・フェアリー・アン」、泣いたのは「しんせつな地主さん」。よく判らないが泣
けて仕方なかった。小さい頃読んでいたらどう思ったのだろう。13編のうち、意図の汲み取れない
話もあった(寓意をついつい求めてしまうのもいらぬ知恵をつけた大人になった証拠か、それでも
純粋に愉しむだけが読書ではないと小さい頃も知っていたのではなかったか?)し、これは内容そ
のものが子供に理解できただろうかと思うものもあった。
でも、子供は大人に子ども扱いされる事を一番嫌うものだ。事実私がそうだった。早く大人になり
たいと思った。大人ってなんだろう、と今でも思うのだが。
ユージニア/恩田 陸
平成17年2月5日 初版発行 単行本
株式会社 角川書店
カバー表紙 松本コウシ
ブックデザイン 祖父江慎+cozfish
フォントディレクター 紺野慎一(凸版印刷株式会社)
美しい本だ、というのが第一印象。以前、一度手に取ったことがあって、早く読みたいと思ったこ
とがある。全体のデザイン、フォント、遊び紙、内容そのものの構成、文字の配置。この単行本の
為にとても細やかに心が尽くされている、そう思った。
ある事件について書かれた取材メモの形式で本文は構成されている。総てが誰かに語られた関
係者の回想録の形を取っている。十年前に起きた凄惨な殺人事件についての詳細な取材とフィク
ションで構成されたある一冊の本についての取材メモである。
旧家で知られた代々続く医院で事件は起きる。米寿の祝いに湧く屋敷に届けられた祝いの酒、
ジュースに混入されていた青酸化合物。同席した近所の子供、家人含めて十七人の犠牲者を出
した未曾有の毒殺事件は、意外な結末を迎える。事件当時小学五年生だった少女は、この事件
を図らずも十年の後に「忘れられた祝祭」と題して出版することになる。
事件後、ただひとり生き残った中学生の少女、彼女は十七人が阿鼻叫喚のうちに絶命して行く
座敷で全てに立ち会っい、家族を失った。生き証人であり目撃者であった筈の彼女は、幼くして視
力を失っていた。
本を読み進める時、頭の中で映像化することが多いのだが、この本は冒頭から押井守の演出風
に映像が動いた。読み進むにつれ、絡まりあった糸がほどけてゆくような、否、解きつつあった筈
なのに今まで手の中に会ったのは何だったのか、といったような不思議な感覚に囚われる。確か
にこうだ、というところへ導かれていた筈なのに、それがミスリードであったかのようにも思えるし、
やはりそうだったのかとも思える。それにしても古本屋のくだりは怖い。
でもちょっとばかりもやもや感が残っている。また少ししてから読み返したい。