でもその翌年からコロナ禍に巻き込まれ、人が集まることが厳しく制限された。特に音楽に関しては最初にクラスターが発生したのがライブハウスであったこともあり、より厳しい状況下に置かれていた。
定期的なライブを行っていた人を中心に、開催の計画を立て、会場の予約もして細かいことを相談している矢先、またまん防でそれも難しくなった。結局3月の開催は諦め、とうとう5月まで巡演することにした。
会場は夙川のギャラリーNU_VU

参加者も人数を絞って、ようやく実現した土曜日の朝。三々五々、参加者が集まってきた。

発起人代表、ナオコさんがご挨拶

この日の注意事項はDてさんから

お花と写真の横にはビール。タッキーさんにはワインの方が良かったかな。

献杯の音頭はリョウさん

思い出話を挟みながら演奏が始まる。ラッシーのお二人は、岡田山のお店ができた当初から定期的なライブを行って来られた。

が、声をかけたのはタッキーさんだったそう。まだレパートリーも少なくて、躊躇されていたなんて今となっては信じられない。
和歌山からのお客さま、N村さんは、タッキーさんのマンドリンを譲り受けられたそうだ。学生時代、マンドリンクラブにおられたそうで、クリアでしっかりしたトレモロが印象的だった。

ヒデとナオコ、私より8ヶ月早くソロライブを始めたナオコ姉さん、その背中を見ながら私もがんばってきた気がする。ヒデことH井さんも思い出を語られた。

最後の1曲、タッキーさんが良く歌っておられたCarolina On My Mindでは私もコーラスで参加した。

Dてさんのソロ、サポートはいつも対バンライブをされていた、阪神パークがないでしょ、のお二人

S島さんのドブロ、Tしこさんのベースに乗っかるDてさん

ドブロをギターに持ち替えて、阪神パークがないでしょのステージが始まる。このお二人も、タッキーさんから勧められて、ライブを始められた時には数曲しかレパがなかった、と言われていた。

この日はガッツリブルーグラス系が多かったので、ほっこり系をリクエストさせてもらった。

休憩時間には、ご自宅から持ってきていただいたアルバムと、ラッシーさんからの懐かしい写真も皆で見せていただく。


後半の最初は、ユキ&ヒデヨ。岡田山のお店に夜吞みに行っていたというヒデヨちゃんが、ライブをするようになった経緯を説明する。

そして、これまでのメンバーと同様、彼女たちもタッキーさんの強い後押しでライブを始めるまでは、人前でやることなどあまり考えず、自分たちで合わせるのが楽しい、という音楽活動だったそうだ。

圧倒的なユキちゃんのヴォーカルの後、恥ずかしながら私。壱服庵ではデイジーヒルより私の方が完全に出番が多かったので、本当ならタッキーさんプロデュースのトリオで演奏するはずだったのだが、この日はメンバーの都合がつかず、2曲だけひとりで歌った。

デイジーヒルでは、相方が歌うタッキーさんの思い出の曲、私が選んだ彼のお誕生日に歌った歌など。

次はTogether、岡田山時代は練習場所としてお店を利用していたそう。二階のあの部屋だな、懐かしいな。

学生時代の部活を思い出していた、というA倉さん、門戸厄神のビルのお店に移ったら、楽屋入口に『部室』と書いてあった、と喜んでおられた。

最後はこちらも毎月ライブを行っていたリョウ&トシキ、この日はベースも入ったので&イサオ

ちょっとゆるくて、くすっと笑える掛け合いも楽しいけど、音はそれを遥かに上回るすばらしさだった。あれこれ打ち合わせと違うところもあった、のかな?それは気にならなかった。

長時間にわたる集いも終了。タッキー夫人のY子さんと、お姉さんからご挨拶があり、


全員で記念撮影をした。

偲ぶ会は何回やってくれてもいいよ、というのがタッキーさんの遺言だったそうなので、早速第二回の企画を検討している。
この日に至るまでの準備を、ほとんどやってくださったDてさんと、ここのマスター、スタッフの彼女も記念撮影。

この日、皆さんの話を聞いて、やはりタッキーさんはすばらしいプロデューサーだったのだ、と再認識したのだった。