みのもんたは、いつも見ても立っています。
彼が座っている姿なんてミリオネアくらいしか思いつきません。金も名声も十分過ぎるほどに手に入れたであろう61歳の彼が、いまなお朝から晩まで立ち仕事を続けているのは一体なぜなんだろう、と。このごろ不思議に思うのです。
これはもう、自らの不遇時代を忘れないためにだとか、実はスタンダップ健康法なのだとか、そういうのとは全く異なる理由があるとしか考えられません。二十年来の痔だったとか言ってくれれば、なんとなく納得出来るかもしれませんけど、まぁ、違うでしょう。何にせよ、彼は今日も立っています。
みのもんたは“ケレン”や“アク”といった、ふつうの人が社会生活を営む上で必ずしも好まれない、そして、年齢とともに削ぎ落とされるべきものに満ちています。いまどきあれほど過剰な存在は、テレビのなかを見渡してもなかなか見つかりません。というか、素人好みの薄い笑いが好まれる現在のテレビ向きではないのです(タモリと久米宏と毒蝮三太夫を足して3で割っても、到底、みのにはならなそうですし。古くから、一部の愛好家の間でカルト的な人気を誇るタモリのような捉えられ方もされていませんし)。いや、だからこそ、みのがロックであるとか言いたいわけではなくて、ただ、一体なんなのだろうな、と思うわけです。みのもんたという存在。そして、朝飯から晩飯までブラウン管越しに、直立した彼に見つめられている私達って、一体なんなのだろうな、と。
今年の紅白で司会を務めた後、みのは脊椎管狭窄症の手術を受けるそうです。腰痛が原因ということですから長年に渡る立ち仕事が影響しているのは間違いないと思われます。彼が座ったときに何かが明らかになるでしょうか。
と、ブックオフで『みのもんたの逆襲』を購入(100円)したので、書いてみたり。この時期にみのもんたの存在をクローズアップした秋元康はやはり凄いなぁと思います。
みのは。
攻めてるように見えないから。
でも、朝と昼のトーンは明らかに違う。
人格が違うくらいに、喋りが変わっている。
変わっているというか、あれは確実に
変えているんだ。客層にあわせて。
朝の視聴者には朝のみの。
女子どもはめざましテレビを見る。
老人はズームインを見る。
TBSのターゲットはズームインほど長く見ていられてない、
忙しい出勤前のサラリーマン。
主な視聴者層は男だ。
だから、ニュースを見せて、
そのあとビシッと解決策を叫ぶ。
野郎たちは解決策を聞くと安心する。
スカッとする。
昼の視聴者には昼のみの。
昼はどう考えても主婦だ。おばさんたちだ。
若者はいいともを見る。
主な視聴者層は女だ。
だから、悩みを聞く。
聞いて聞いて、相づち打って、笑いを誘って、
別れちゃいなさいよとか適当な返事して終わる。
女たちは世間話と不幸話を聞くと楽しい。
解決策なんかよりもスカッとする。
* * *
これは一種の天才ではないかと思うわけです。
そして、それがロック感を醸し出さないわけは、
古いやり方だから。
ベタベタな手法だから。
でもそのベタベタを100%確実にやってのける。しかも毎日。
いつでも説明調の長台詞を多用する
橋田壽賀子のドラマを見て、
ロックを感じるか?
まったくアドリブを許さなかった
いかりや長介の手法を見て、
志村けんがロックだと感じたか?
それはロックではないにせよ、
ある種のリスペクトを得ておかしくない芸だと思います。
だからちょっとみのを研究したく思った。
今までの私の研究対象は
明石家さんまだったんですが、
そっちもその路線なのだと思います。
そして今、研究対象はみの。
* * *
「偉大なるマンネリ」という言葉がありまして、
例えば古くさいテレビ番組などに対し、良く言われる。
欽ちゃんのコントは偉大なるマンネリと言えますが、
しかし、今や欽ちゃん劇団クラスの
作り込んだコントを、
100%台本の通りに完璧にこなせる芸人さんは
いなくなっているんです。
「偉大なるマンネリ」を批判するのは簡単、
だが、マンネリになるほど長く続くものを
貴様が作れるのか、という問いかけを
伴う言葉でもあります。
みのにせよ、橋田壽賀子にせよ、
明石家さんまにせよ、
死んだ時に「あの人はこれが斬新だった」とは
誰も思わないでしょう。
「凄かった」、とは言うが、何が凄かったのかを具体的に指摘することができない。
でも、日本人の日常の一端を背負い続けた、
その技は何かあるはずで、
それが「偉大なるマンネリ」という類のもの
なのかもしれないと思うのです。
最近の個人的な興味は、みのがNHKに出演してもなお「みの」でいられるのか、です。細木数子にはちょっと近いものを感じたんですけど、それも違いますよね。なんすかね、みのって。
あまりにも盛り上がってしまい長かったので
弊ブログにも移動転載エントリーへ昇格と
させていただきとうございました。
で、
紅白に出演してもみのでいられるかという件については
私はとても楽しみにしています。
今年は日本でラジオ放送が開始されて80年ということで、
たぶんメイン司会の2人は
ラジオの時代を担うコンセプトがあるのではないかと考えています。
テレビはいくらでもウソがつけるメディアですが、
ラジオはそうではない。
テレビ登場以降のラジオは、基本、善意のメディアです。
儲からないし。
ラジオで育った制作陣と、
ラジオで「若者の時間」という時代を作ったみのが
悪意ある方向に進むとは考えにくいなあと
そんなことを考えながら、
私はこの大晦日は、正月開けて数十分後くらいから仕事です。
あと、細木数子について言うと、
あれは純然たる悪意だと思います。
芸とは違う位置にあるのではないか。
悪意をオシャレや感動に包んでエンタテインメントにする番組が幅をきかせていますね。
あいのりとか。
ただし、細木数子に関しては、
嫌悪感を逆手に取った中毒性という点において、
みのと共通点が考えられるのではないでしょうか。
渡る世間もそう。
別にあんな家族の不幸を見て、胸くそが悪くなる人が多いはずなんです。
でもそれがいつしか癖になる。常習性ってこわいわ。
あと俺はねぇ、細木はよく分からないんですよ。でも、安岡正篤について調べていくと、なんか知らないけど細木の名前が出てくるの。いや、晩年の妻なんですけど。何があったのかなぁ、って思うんですよね。
マインドが問われないからじゃないのかなあ?
ミュージックステーションのタモリは
別に彼であるべき必要性はなくて
タモリ倶楽部のほうがよっぽど本人が出ている。
HEYHEYHEYのようにトーク主体になったとしても、
かの業界はかの業界なので
自分の好きなことをどんどん突っ込んでいくみののスタイルは使わせてくれない可能性が高い。
で、なんで紅白なんだ?という疑問も残りますが。
神楽坂のぼりきったところに
細木数子事務所と書いてある建物がありました。
なんかゲテゲテしいんだよねー。
細木数子の凄さはさっぱりわかりませんが
そうした霊感とかいうのに頼りたくなるご時世なんだろうか。
景気が良いと霊感商法が売れるような気がする。