携帯電話が床に落ち、「ゴッ」という嫌な音が響いた。
「あー、やっちゃったー」
という酔っ払いの声が聞こえ、そんなことは落とした僕自身が一番分かっているわけで、こういう酔っ払いの物言いには、ムカつくことこの上ないのだが、そんなことよりも携帯の健康状態が心配。拾い上げてみると、液晶とデータが無事なので安堵する。
「そんな小っちゃな機械に振り回されるってのも、考えてみりゃ情けない話だよな」
あぁ、もういい加減に帰りたいが、そうもいかない。出張先の地方都市で、まだ仕事が終わらない相手方を待つためにふらっと入ったカウンターバー。さっきからうるさく絡んでくるのは、席が隣り合った地元のオッサン(自営業)である。
「娘なんか、携帯だけあれば、他に何もいらないっていうんだよ」
オッサンが続ける。
「俺もさぁ。 カミさんから『仕事用に』って持たされたんだけど。 頼んでもいないのにメールがついててさ」
「あー」
「メールが来ると、返さなきゃいけないだろ」
「そりゃ、そうですよね」
「面倒だよなぁ」
「まぁ、確かに」
一見の客が困っている時に、従業員がどういう対応をとるかで、その店の良し悪しは分かる。この店のマスターは、僕が酔っ払いのオッサン相手をしている間、カウンターの奥で、椅子に座って『週刊スピリッツ』を読んでいた。この街に来ることがあっても、この店にはもう二度と来ない。
「カメラもまで付いてるんだぜ」
オッサンは更に続ける。
「ということはだよ。 いま、日本中の人間がカメラを持って歩いているってことだろ。 ゾッとするよな」
あ。 それは僕も考えたことがある。
「街頭の監視カメラにはあーだ、こーだ言うくせによ。 携帯のカメラはいいのかよ。 立派な監視社会じゃないの」
「あー、そうですね」
「よく知らんけど、あれだよな。 ド○モもさ、警察から言われれば、情報くらいは出すだろ」
「それは知らないけど」
「いや、まぁ、仮によ。 そうだとしたらさ。 お国は何の労力も使わずに個人情報を手に入れられるわけだよ」
「なるほどね」
「まぁ、何でもかんでも携帯ってのは、ちょっと嫌だよな」
「エロ画像までありますからね」
「お前なぁ。 女を口説くのと同じ機械でマスをかくなんて、ちょっと笑えないだろ」
本日のBGM : 「現代人」 ピチカートファイブ