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コツコツと60代を突き進んでおります

亡き母の誕生日に、家族の文化?を思う

2017-06-11 10:23:28 | あの日、あの時、あの場所で

今日、6月11日は、
今は亡き母の誕生日です。

生きていれば、88歳の米寿!
あの母が88歳になった姿、
まったく思い描くことはできませんが。


ワタシが小学生の頃、
そう、お小遣いを少しずつ貯めるように
なってきた頃の話です。

5月の母の日と6月の母の誕生日。
いつ頃までかは忘れましたが、
小学生の頃は必ず何かをしていました。
「ふたつ(母の日と誕生日)一緒にね」
と合わせていましたが。
もちろん、何かを買ってあげる、
というのが主だったとは思います。

あ、決して
「自分が子供の頃、母親思いだったんだぜー」
なんて、ひけらかすつもりではありませんので(^^;)


父母が別居していたので、
ほぼ母子家庭だった我が家。

母は母なりにできる限りのことを
兄と私の兄弟にしてくれたと思います。
そう、まだ「ママ」と呼んでいた頃です(^^;)

どこでどう知ったのかも判りませんが、
母の日にはカーネーションを贈ると聞いて、
お小遣いでカーネーションを1本買ったのは
1年生か、2年生の頃だったでしょう。
通学路の途中の花屋さんで、
「カーネーション、1本ください」
と言ったとき、
1本なのに、母の日用にしてくれた記憶もあります。
(あの頃はラッピングなんて言わなかったンだよね)

そして、4、5年生になると、
その頃、近所にできたスーパー・忠実屋の
家庭用品売り場を散策し、
台所で役に立つグッズやら、
母が欲しがっていたショッピングカート
(ガラガラと持ち手で引くカート)などを
プレゼントしていました。

母も上手いもので、
「ダイキの買ってくれるものは役に立つものばかりだわー」
と誉めてくれたものです。


中学生くらいになると、
母の日やら誕生日やら、
取り立てて何かをした記憶はパタッとなくなるのですが、
我が家の文化”というか習慣として、
何かしらのことは
していたとは思います(しなくなっちゃったかナァ)。


こんなのは各家庭ごとに異なると思うものの
結婚して、妻が自分の親に対してさえも
何もしないのが不思議でした。
ま、それもひとつの文化でしょうけれど、
親が自分の親に対して何かしていると
子供にも習慣づいていくのでしょうから、
あちらの家では、そんな習慣はなかったのでしょう。
いえいえ、それを悪く言うつもりもございません。
それぞれの家族で文化の違いはあるんだ、ということです。


もちろん、
何か物をあげればいいというわけではなく、
気持ちの問題だとは思います。
ワタシは、母の日や誕生日に何を買うか考える、
その時間がとても好きでした。
一生懸命、母の役に立つものを小遣いと相談しながら考え、
それがホントに役に立ったとき。

とっても得意な気持ちになったものです。
これは、“誰かが喜んでくれる”のがうれしいという、
今の仕事のスタンスにも通ずるものがあると思います。


このブログでも、いつか書いたかもしれませんが
プレゼントに限らず、手紙を書くことなども含め、
その人のことを想う時間、それが大切だと思うのです。


あなたのことを気にかけているよ、という意思表示。


気持ちはうまく伝わらないかもしれないけど、
その気持ちだけは子供の頃のままでいたいものです。


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