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コツコツと60代を突き進んでおります

移動教室のレクで「薔薇の鎖」だッ!

2018-05-27 22:45:09 | あの日、あの時、あの場所で

ヒデキとのお別れはホントに悲しいものでした。

昨晩も葬儀の様子を映した動画を何本も見て、
アルバイトのあとグスグスしながら見ていました。


さて、ワタシのヒデキ関連エピソードも、
いよいよ最後になります。
今日は中学校の卒業アルバムの写真を転載です。

今から44年前、
昭和49年(1974年)の初夏のことです。
中学二年生のワタシは、
学校行事で河口湖移動教室という、
いわゆる林間学校に出かけていました。



同じ施設が存在しているかは判りませんが
世田谷区立の中学校は
今でも富士五湖あたりに出かけているのでしょうか。

バスで中央高速を真っ直ぐ行けば
さほど時間をかけずに河口湖方面に行けますからね。

ま、登山というほどではないにしても
山道をハイキングしたりして楽しかったでしょうけれど
自分のアルバムを見直してもまったく覚えていません。

そして自分が大勢の前で歌ったことも
実はあまり覚えていないのでした。


マイクスタンドアクションをしながら西城秀樹の「薔薇の鎖」。
なんと、中学校の卒業アルバムに掲載までされちゃってます。

実は中一の最後、あるテレビ番組の
歌ものオーディション(スター誕生じゃないよ)を
受けることになり、土曜日に学校を休んだことがあるのです。
先生にはきちんと理由を言って申請したはずですが、
きっと自分でも吹聴したのでしょうね、クラスのみんなも
担任以外の先生方も知っていたように思います。

で、若い先生も調子に乗って
「じゃあ、度胸づけにみんなの前で歌ってみろ」と
クラスのみんなの前で歌わされたこともありました。

で、移動教室のレクリエーションで
なにゆえに歌うハメになったかは全く覚えていません。
悪友に囃し立てられたか、先生が「よし、〇〇歌え」だったのか
今となっては歌っている写真だけが真実を語っているわけで
経緯や自分の気持ちなど、ホントに記憶の彼方なのです。

でも、“笑いもの”ではあったかもしれないけど、
写真に写っているみんなが笑顔なので、
「ああ、みんな楽しそうだからよかったな」
と思えるわけです。オッサンになった今ではネ。


ね、誰も彼も楽しそうに笑ってくれてるじゃないですか。

いいんです、
「アイツなにやってんだよー」でも
「恥ずかしいー」でも
「よくやるよ」でも
「似てねえー」でも。
もちろん、お笑いのネタをやったわけではないので、
複雑な気持ちにはなりますけどね(^^;)

今回の西城秀樹さんの逝去で
このときワタシを見ていた側の友達で
ワタシが笑われながら歌った「薔薇の鎖」を
一人くらい思い出してくれたでしょうか。


で、ここまで西城秀樹がらみ。

中学校の卒業アルバムを開いたので
ついでにアルバムの写真を撮ってみました。

バレーボール班(「部」と呼んでいなかったんですよ)


よく覚えていないけど、部活には“必修”と“課外”があって
これは“必修”のほうの班だったと思います。
“課外”は帰宅部でしたから。
バレーボールもグラウンドで活動している時代でした。
後ろの体育館も年季が入っていますわ。

そして卒業時のクラス集合写真のワタクシ。
ニヤけないよう心がけていました。



こちらは上の写真よりもほぼ2年半ほど前。
入学式前にクラスごとに並んだ際に偶然写ってたワタシ。



ヒデキネタだったはずが、
普通にマイメモリーになっちゃいまして(^^;)

そう、つまり、この頃にヒデキが好きだったんですよ。
43~45年前のワタクシでございました。


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