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コツコツと60代を突き進んでおります

高3の時の“赤っ恥”と“栄光” 前編

2011-10-27 22:32:07 | あの日、あの時、あの場所で

1978年5月と6月。


高校3年の時のことです。


5月に、これ以上ないという恥をかき、
6月に、これ以上ないという栄誉を抱き、
忘れようにも忘れられない、春から夏。


まずは、前編。

その5月のこと。
少々長くなりますが、
おつきあいください




16日から19日まで、
広島、出雲、鳥取、姫路という
山陽と山陰を周る行程で
修学旅行がありました。


出発当日。
たしか朝7時15分だか、7時半だかに
東京駅に集合し、新幹線に乗って、
楽しい修学旅行が始まるのでした。




結論から言いましょう!




集合に遅刻したのだ。
いや、遅刻なんてものではないです。



いいですか?大切なところですよ。









集合場所からの
先生からの電話

母も私も目を覚ましたのです。


どんな親子だよッ!。
あー、恥ずかしッ!!(>_<)



先生にしてみたら、
集合時刻がやってきて、
点呼をとった、と。
そこで、一人来てないヤツがいる、と。


ま、普段ちゃんと学校に来ているヤツだし、
何かで遅れているのだろうが、
“一応”電話して、ちゃんと家を出たか、
親に確認しよう、ってなモンですな。



そしたら、
家を出たどころか、
親が、
 「まだ家にいます(-_-;)
って、

いったい、どういうことですか?
状態だったと思います。
前代未聞でしょう。



担任の先生は、
無情にも(当然じゃ!)、
 「もう新幹線に乗りますので、また後ほど連絡します」
と言って電話を切ったようです。


寝ぼけた親子はどうしたでしょう…。


ドタバタだったでしょうね。
まったく記憶にありませんが。

とにかく母は、ワタシに、
 「行きたいか?」
を聞き、
ワタシも“行けるのかどうか”、
わからないまま、
 「行きたい」
と答えていたと思います。


母も、出来る限りのことをしてくれました。
新幹線車中に電話し(列車電話)、
先生と交渉です。

こんなやりとりだったと思います。
 母  「一人で追いかけて行かせます」
 先生 「保護者が一緒じゃないとダメです」
 母  「兄ではダメですか」
 先生 「親御さんじゃないと困ります」
 母  「また電話します」

母も逡巡したことでしょう。

今でも感謝しているのは、
ここで母が決断したことです。
“起きない息子が悪いのではなく、
 起こしてあげなかった私が悪い”のだから、
『私が一緒に行こう』、と。



いやいや、自分で起きろよ、俺ってば!



新幹線の先生に、
再度、電話します。
 母  「私がついていきます!」


そこからの行動や母との会話も
ほとんど憶えていません。

とにかく、
大急ぎで支度をし、
二人で東京駅に向かい、
二人で新幹線に乗って広島に着きました。

同級生たちは予定通りに宮島を回り、
夕方に宿舎に入りますので、
その宿舎のホテル(広島東急イン)で
待ち受けて合流するのです。


ホントに、その間、
母と二人、何を会話したかさえ、
忘れてしまっています。

憶えているのは、
広島駅の北口(新幹線口?)の
みやげ物屋さんが並ぶコンコースで、
母が、
 「もみじ饅頭買って帰ろう(*^_^*)」
と言ってたことくらいです。
ホントにどうしてたんだろ?
喫茶店でも入ったのかしらん?


あと、
ホテルのエントランスで、
バスから降りてくる同級生の視線にさらされながら、
(でも、みんな『何やってんだよぉ』と笑ってた)
先生に挨拶していた母の姿くらいです。


私は、そこで、そのまま同級生に合流。


ごくフツーにワタシの修学旅行は、
ここから始まりました。

宮島での集合写真には
トーゼン写っていませんが(^_^;))

クラスメイトたちも、
私が遅刻したからといって、
何ら変ることもなく、
ホントにフツーに修学旅行を終えられました。
感謝、感謝です。


さて、
私が修学旅行に合流したあと、
母はどうしたか…。

『一人で旅行することなどないから』と、
同じホテルに一人で泊まり、
何だかおいしい外食などもしてたようです。

先生方が集まる部屋に
誘われたりしたらしいですが、
それは、気まずいからかお断りし、
翌日のお昼頃には、
一人で新幹線で帰ったのでしょう。



母にとっても、
私にとっても、
一世一代の珍道中でした。



息子を連れて行ってやろうという決断。
新幹線の列車電話で先生を呼び出したり、
一人でホテルに泊まったり。

その何年か後、
母が亡くなる前に、
この時の話をしましたが、
 「思いがけない旅行をさせてもらっちゃったわ(*^_^*)」
と言ってました。

そう、こう思ってくれていたおかげで、
私が心に負担を負うことは
最後までありませんでした。
もちろん、今でも。


私と母にとっては、
実は、
“笑っちゃうけど、いい想い出”
だったのですから。

もちろん、
“事件”としては、赤っ恥ですよ(^_^;)




これが5月のことでした。




後編へつづく。
…いつになることやら(^_^;)





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