今回は、付近を通ったついでに国の重要文化財(建造物)に指定されている「旧郡築新地甲号樋門 附・潮受堤防」に寄ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/84/fe9611b2cfd1d6760ac7266307ffbbe2.jpg)
国の重要文化財に指定されるほど貴重な門なのだろうが、解説板がなければ普通に通り過ぎるような地味な建造物である。
(現地解説板)
旧郡築新地甲号樋門(きゅうぐんちくしんちこうごうひもん)と潮受堤防
国指定重要文化財(建造物)
平成16年7月6日指定
総面積が1063haにも及ぶ郡築新地の干拓工事に際して「甲」「乙」「丙」の3基の切石造りアーチ式10連樋門が建設され、
そのうち「甲号樋門」のみが現存しています。設計は熊本県技師の川口虎雄で、樋門は長さ31.5m、高さ5.5mあり、
現存する石造樋門としては国内最大規模のもので、たいへん貴重な土木遺産です。また、アーチ部分にレンガが用いられ、
その上部には五角形の切石を組み合わせて並べるなど、明治期の洋風建造物の特徴が見られます。
この干拓事業は、明治32年(1899)に着工したものの明治35年(1902)8月の台風により築堤の大半が破壊され、工事は頓挫しました。
八代郡議会でも中止すべしという意見が多く、郡議会が解散する事態にまで発展しましたが、当時の群長古城弥二郎は愛知から技師の
服部長七を招き、入念な工事を実行した結果、明治37年(1904)に潮留め工事が完了しました。
服部長七は当時最新の漆喰技術「長七たたき」の考案者で、石垣の堤防をより強固にするための技術が用いられており、
建造から100年以上が経過した今も約1kmにわたって、当時のものが残っています。
この樋門とそれに連なる潮受堤防は元々八代海に面していましたが、八代港干拓により昭和38年(1963)に大島樋門が建設されたため、
一旦はその役割を終えています。しかし、平成7年(1995)にスチール製の扉が新設され、現在は補助的機能を果たしています。
平成28年3月31日 八代市教育委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/b0/22e62fecc3391995dd5f6ab3a0fa15cb.jpg)
正面から見るには大きく回り込んで田んぼを歩いていかなければならない。
【文化財データ】
名称:国指定重要文化財「旧郡築新地甲号樋門 附・潮受堤防」
所在地:熊本県八代市郡築三番町
時代区分:1900年(明治33年)
形態:樋門
見学時間:常時見学可
駐車場:無(少し離れたところに大硴多目的運動場の無料駐車場あり)
旧郡築新地甲号樋門の近くにある、国の有形文化財(建造物)に登録されている郡築二番町樋門にも行ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/e4/781257be190ee671fa40bb44f38f691a.jpg)
郡築二番町樋門は、 1938年(昭和13年)に築造された、長さ14.2m、幅8.2mの石造3連アーチ式の農業用樋門である。
国の重要文化財に指定、国の有形文化財に登録されるほど貴重な門ではあるが、
地元の人でも知っている人はなかなかおらず、気付かずに通り過ぎるような地味な建造物である。
※令和4年3月15日に「大鞘樋門群」「旧郡築新地甲号樋門 附・潮受堤防」「郡築二番町樋門」の3つの干拓遺跡は、
「八代海干拓遺跡」として国の史跡に登録された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/f1/e3eed9478d7e31cb96f23d4b7ed108c0.jpg)
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国の重要文化財に指定されるほど貴重な門なのだろうが、解説板がなければ普通に通り過ぎるような地味な建造物である。
(現地解説板)
旧郡築新地甲号樋門(きゅうぐんちくしんちこうごうひもん)と潮受堤防
国指定重要文化財(建造物)
平成16年7月6日指定
総面積が1063haにも及ぶ郡築新地の干拓工事に際して「甲」「乙」「丙」の3基の切石造りアーチ式10連樋門が建設され、
そのうち「甲号樋門」のみが現存しています。設計は熊本県技師の川口虎雄で、樋門は長さ31.5m、高さ5.5mあり、
現存する石造樋門としては国内最大規模のもので、たいへん貴重な土木遺産です。また、アーチ部分にレンガが用いられ、
その上部には五角形の切石を組み合わせて並べるなど、明治期の洋風建造物の特徴が見られます。
この干拓事業は、明治32年(1899)に着工したものの明治35年(1902)8月の台風により築堤の大半が破壊され、工事は頓挫しました。
八代郡議会でも中止すべしという意見が多く、郡議会が解散する事態にまで発展しましたが、当時の群長古城弥二郎は愛知から技師の
服部長七を招き、入念な工事を実行した結果、明治37年(1904)に潮留め工事が完了しました。
服部長七は当時最新の漆喰技術「長七たたき」の考案者で、石垣の堤防をより強固にするための技術が用いられており、
建造から100年以上が経過した今も約1kmにわたって、当時のものが残っています。
この樋門とそれに連なる潮受堤防は元々八代海に面していましたが、八代港干拓により昭和38年(1963)に大島樋門が建設されたため、
一旦はその役割を終えています。しかし、平成7年(1995)にスチール製の扉が新設され、現在は補助的機能を果たしています。
平成28年3月31日 八代市教育委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1c/f7db0b4d2162a5fe3cdc1394193f89a6.jpg)
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正面から見るには大きく回り込んで田んぼを歩いていかなければならない。
【文化財データ】
名称:国指定重要文化財「旧郡築新地甲号樋門 附・潮受堤防」
所在地:熊本県八代市郡築三番町
時代区分:1900年(明治33年)
形態:樋門
見学時間:常時見学可
駐車場:無(少し離れたところに大硴多目的運動場の無料駐車場あり)
旧郡築新地甲号樋門の近くにある、国の有形文化財(建造物)に登録されている郡築二番町樋門にも行ってみた。
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郡築二番町樋門は、 1938年(昭和13年)に築造された、長さ14.2m、幅8.2mの石造3連アーチ式の農業用樋門である。
国の重要文化財に指定、国の有形文化財に登録されるほど貴重な門ではあるが、
地元の人でも知っている人はなかなかおらず、気付かずに通り過ぎるような地味な建造物である。
※令和4年3月15日に「大鞘樋門群」「旧郡築新地甲号樋門 附・潮受堤防」「郡築二番町樋門」の3つの干拓遺跡は、
「八代海干拓遺跡」として国の史跡に登録された。