20代初めの頃、街のレコード屋さんから流れてきた清楚な、しかも無伴奏の歌声。
この美しい曲に思わず足を止め、店に飛び込んでジュディ・コリンズの「至上の愛」という曲だと教えてもらいました。後から知ったのですが、これは「アメイジング・グレイス」が我が国で紹介された最初のレコードでもあるようです。
歌っていたジュディ・コリンズは、既に「青春の光と影」のヒットなどで知ってはいましたが、彼女の歌声ときちんと向き合ったのは、たしかこの時だったと思います。
彼女が離婚などのトラブルで心を病み、アルコールを止められなかった時期に、同じような境遇の人達と知り合い話をしていたところ諍いになり、立ち上がった彼女がこの歌を歌い出し、場が一つになったというエピソードがあります。
その場の心を一つにした歌を、マネージャーがアルバムに取り入れる事を勧めた…そんな経緯があって、1970年にコロンビア大学のチャペルで録音されたそうですが、その美しく自然なエコーに納得。
今は誰もが知るこの曲、白人に広まる前から黒人にはワッツ・ヒム※として、200年近く歌われていたそうでそれにはこんな話があり、作詞のジョン・ニュートンは、奴隷貿易に関わっていた時に暴風雨に遭い、必死に神に祈って難を逃れた事で感じるものがあり、劣悪な船の環境を改善し、彼の船からは死亡者が減り、その事に感謝した黒人たちがこの歌を歌い次いだのだ…と。※Watts Hymn:ワッツ博士編纂の讃美歌。広くは黒人霊歌に準じる白人由来の歌として使われる。
それが白人層にも広く知られるようになったきっかけは、ジュディ・コリンズのヒットが大きかったのでは?と思わせる動画を見つけました。
1976年のライヴ映像でジュディが歌うのですが、一緒に歌いましょと声をかけられ参加者は、一様に歌詞カードを見ながら口ずさんでいて、まだこの曲にそんなに馴染んでいないようにも見えます。
今はこんなに有名な曲なのに、70年代はそんな状況だったみたいです。それが彼女が歌った事で他の歌手も取り上げ、ゆっくり広まったのではないか?と。私見ですが。
この曲と出会った時は、そのシングルを買えなかった(?)のですが、ずっと気になっていて後追いでこの曲が入ったアルバムを求めました。「ホエールス&ナイチンゲールス」です。A面最初のライバル(?)ジョーン・バエズの作った「デビットの歌」も良いし、B面ラストの「至上の愛」まで満足のいくアルバム。やっぱり彼女の歌声はいいな。
他にもA面6曲目の終わりからザトウクジラの鳴き声が入り、そのままの流れでクジラの歌をバックに無伴奏で歌われる7曲目の「さらばタルワティー」という曲も感動的でした。スコットランドの古謡で、タルワティーの街と別れ捕鯨に出かける男の哀感、それに重なるクジラの鳴き声も、なんとも哀感を帯びて聞こえてきます。
そして真冬のこれからは、慶良間の海ではクジラが姿を見せ、ホエール・ウォッチングで賑わう時期を迎えるのだろうなと、寒い札幌から南の海に思いを馳せています。
以上は旧ブログ聞きたい365日より、第130話に加筆し再掲載しました。