南区で水田を見せてもらった後、せっかく簾舞まで来たのだから、旧簾舞番屋=旧黒岩家住宅に寄ってみる事に。
明治の初め、札幌と有珠(伊達市)を結ぶ「本願寺道路」の開通に伴い、宿泊者と休憩場所として建てられ、そこを預っていたのが黒岩家。
新たな国道(230号線)が完成して役目を終え、それに伴う黒岩家の移築とともに、残されたこの場を解体・復元し、市の有形文化財とした建物です。
入口右手に定山渓鉄道に関するグッツが多くあり、館長さん(?)に「どうぞ触ってみて下さい」とおっしゃっていただき、ご指示に従い?ベルを鳴らしてみたり、タブレットという円盤状の金属を入れる所を開けたりと、初体験をさせてもらいました。
鉄道グッツに興味は無いのですが(すみません)、定山渓鉄道の最盛期の話とか、鉄路は簾舞から札幌駅まで通じていたが、「私らは豊平駅で市電に乗り換え、豊平橋を渡る時のガタンという音で、ああ、札幌に入った」と思ったそうです。
当時の豊平橋は三連アーチ型だったそうで、そんな情景が目に浮かぶすてきな思い出の話、羨ましく伺いましたが、ほかの来館者が無かったので、鉄道の幕引きまでの興味深い話など、たくさんの話を独り占め出来、この日に来て良かった。ありがとうございました。
住居部分は奥の部屋まで「ご自由にどうぞ」との事で、まず台所など水回りを拝見しました。
明治時代の炊事場は湿気や煙を避けるため、土間の片隅にあったそうですが、こちらは居間に近い「座り流し」となっていて、当時は珍しかったようです。その隣に置かれた洗濯板は懐かしいですね、子供の頃に母も使っていた記憶が。アメリカのジャグ・バンドで使っているから、元は欧米の物なのでしょうけれど、日本ではいつ頃から使われているのでしょうね?
居間の様子に客間の様子。
客間に置かれていたヒグマの剥製はまだ子供かな? 奥の間に敷かれていたのは立派な成獣の毛皮。これを見て思い出したのは、落語「熊の皮」
女房の尻に敷かれていると陰口を言われる男、女房にいただき物の礼に伺うよう口上を教わり、必ず「女房も宜しく申してましたと言うんだよ」と、念を押されたが忘れていて、熊の毛皮を見て「何に使うのですか?」「尻に敷くのだ」「あっ、そう言えば女房も宜しくと申してました」とは普段聞くオチですが、本来は艶笑噺で、熊の毛皮を撫でていた男、鉄砲で撃たれた跡なのか穴があり、たまたまそこに指が入って突然「あっ、女房も宜しくと…」
テレビでは演らないし、生で聞いた事も無いのですが。定本■艶笑落語(立風書房)より
水田を見て、昔の通行屋を見せてもらい、思い付きで尋ねたこの日の"小さな旅"は完了で、最後は大人のオチになりましたが、庶民の笑いには時に必要ですよね?
【関連の過去ブログ】 観楓会 定山渓鉄道が走っていた頃