
実家の古いアルバムから拾って携帯で撮っているうちに
うちのお父さんってこんなにハンサムだったかなと思った。
気づかなかった。惜しいっ(T ^ T)
先週の土曜日、病院で父の腫れた手を
1時間ほどマッサージして手の温もりを
しばらく感じていた。
それが父との最期の別れになってしまったけど。。
懸命に 生きて私達に思い出をいっぱい遺してくれた。
ぐっすり寝ているような父の顔。
「今日までホントにありがとうございます」
「窓の月と秋の空」
唯物か唯心か、これも人間の幸福追求の思考だと思うが、論現は判っているようで判らない問題である。
ただ人間は環境の産物だと言うから、これも環境の産物と言えよう。
むかし小学六年生の読本に
「金銭は人の欲するところなり、
しかれども正しき道にかなわずば我これを欲せず」
とかいう、道徳論を読んだ記憶がある。
元禄二年八月のある夜、空巣に狙われた芭蕉は、何一つない空家に立って
盗人も取り残したる窓の月
と詠んで、独り月を眺めて悦に入っていた。
この人、天地山川草木の中に融けこんだ日本人らしい日本人である。
貧と病苦に悩み
わが抱く思想はすべて、金なきに因するごとし、秋の風吹く
と数千の生活短歌を悲しい玩具に託し、啄木は二十七歳を期に走り去った。
が、歌は今日そして未来へと、庶民の心に根づよく残った。
ある商人は儲けすぎてか税金のがれか、タンス貯金に日々悩み、悪銭身につかずと悟ってか、平成元年四月某日、二億余千万の大金を竹ヤブに捨てたとか、置いたとか。
「遂に天網は恢恢疎にして漏らさず」
大問題となって世の人々を唖然とさせた。
さて、どこまでも続くリクルートも去る二十九日、捜査終結を告げたが、この金権体質はこの際トカゲのシッポ切りでなく、根こそぎ跡形もなく始末しなければならないと思う。
財産や地位、名声をひたすら求めることが悪いことだとは言わないが、金の求心力だけで渦巻いている姿は、なんとも見苦しく、やるせない気さえするのである。
~平成二年
何故か、寝る気になれないので父のエッセイの切り抜きを読んでいた。
1990年頃の投稿から挿入のイラストが
「イラスト・ 筆者」になっている。
よく見たら父のイニシャルのNが何気に入っている。 笑
イラストは新聞社が用意した物と思ってたのであまり気にも止めなかったし、
父が絵を描いてるのも見た事がなかった。
初めてマジマジと見る。
ヘタウマ絵っていうのかな。面白いw
プロには描けない絵には間違いない。
遊び心のある不思議な絵だ。