goo blog サービス終了のお知らせ 

Que' tal ?

まいにち*まいにち*まいにち*まいにち*のこと****

Memorial Day

2013年03月24日 | 父と散文
父との思い出を少し集めてみました。



実家の古いアルバムから拾って携帯で撮っているうちに
うちのお父さんってこんなにハンサムだったかなと思った。
気づかなかった。惜しいっ(T ^ T)

先週の土曜日、病院で父の腫れた手を
1時間ほどマッサージして手の温もりを
しばらく感じていた。
それが父との最期の別れになってしまったけど。。
懸命に 生きて私達に思い出をいっぱい遺してくれた。
ぐっすり寝ているような父の顔。
「今日までホントにありがとうございます」



フト立ち止まって(父のエッセイより)

2013年01月16日 | 父と散文
なに一つ不足のない人を孤島につれてゆき、
生身を切り、骨を削って片端に仕立てて満足する醜悪な片端がいた。
江戸川乱歩の小説"孤島の鬼"は多分そういう筋書きであった。

私は小学校の頃から目が悪く、一番前の席を自分でえらんだ。
中学では背順で席をきめたから後方の二列目にすわった。
それで黒板の字が読みとれず、英語のY先生に
ミソクソしかられた記憶は今に濃く残っている。
それでも「先生、目が悪いんです」の一言が言えず
苦悶していた矢先、家庭の事情で学校を退いた。
そのとき少年の心は喜んだ。

台鉄就職の際の検眼もヒヤヒヤ、惨めな思いで受けた。
眼鏡をかけたのはその頃であるが、それでも雨の日など
ガラスがくもり、汽車のタブレットがうまく取れず
辞めたいくらい辛い思いをした。

兵隊検査の時も同様 暗室に残され疑われもした。
それから細々ながら事無く過ごしてきたが
去年の二月突如、いや突如ではない。
どうもおかしいと思っていた矢先である。
私は鹿児島のK眼科で両眼緑内障の手術をうけ
失明寸前で不幸中の幸いを得た。

それから読書もテレビも敬遠することしているが
目に自信のないことはさみしく不安なものである。

いつか、今日出海先生の随筆で
「私は網膜剥離で五回手術をうけ眼が悪くなった」
と読んだことがある。
六大学の選手達は殆どが近視で
コンタクトレンズをつけているとも聞いた。

そんな時、私は救われたようにホッとする。
瞬間理性が目覚めさみしくなる。
目が悪いからさみしくなるのではなく、
そのホッとする心が憎いからである。
醜い心ー鬼心だ。

時折り生活の中で、それに似たいやしい心に気づき
自分を憎み哀れむことがある。

ところで老化現象は俗に目、舌、歯というが、
それは私には逆のようである。
細字はメガネを外して読む。
針の糸は百発百中。
おかげで正視の妻に内助の功をつくすことができる。
心配していた子供達の目もまずまず大丈夫。
などとヤレヤレ思う心境は、秋の夜に
妻のさす菊のシズクにも似て、知る人ぞ知る。
これを人生の味と云うのだろう。

秋の心と書いて愁と読む。

秋、フト立ち止まって、振り返ってみる心の季節である。
旅のサシバが、しばし島に休息を求める季節でもある。

秋の夕陽に、釣れるともない釣糸をたれ
遠く水平線をみつめる私の心は
鬼心を断ち目をいたわる、祈りの心でもある。
昭和48年

**************************************************
神奈川に住む主人の姉から
父の記事をゆっくり読みたいので
ぜひスクラップブックを送ってくれと
いう電話があった。
実の父でもないのに、その気持ちがとても嬉しい。
今日は久しぶりに父の心を読んでみた。

「窓の月と秋の風」 父のエッセイより

2012年10月06日 | 父と散文



「窓の月と秋の空」

唯物か唯心か、これも人間の幸福追求の思考だと思うが、論現は判っているようで判らない問題である。
ただ人間は環境の産物だと言うから、これも環境の産物と言えよう。
むかし小学六年生の読本に
「金銭は人の欲するところなり、
しかれども正しき道にかなわずば我これを欲せず」
とかいう、道徳論を読んだ記憶がある。
元禄二年八月のある夜、空巣に狙われた芭蕉は、何一つない空家に立って

盗人も取り残したる窓の月

と詠んで、独り月を眺めて悦に入っていた。
この人、天地山川草木の中に融けこんだ日本人らしい日本人である。
貧と病苦に悩み

わが抱く思想はすべて、金なきに因するごとし、秋の風吹く

と数千の生活短歌を悲しい玩具に託し、啄木は二十七歳を期に走り去った。
が、歌は今日そして未来へと、庶民の心に根づよく残った。
ある商人は儲けすぎてか税金のがれか、タンス貯金に日々悩み、悪銭身につかずと悟ってか、平成元年四月某日、二億余千万の大金を竹ヤブに捨てたとか、置いたとか。
「遂に天網は恢恢疎にして漏らさず」
大問題となって世の人々を唖然とさせた。
さて、どこまでも続くリクルートも去る二十九日、捜査終結を告げたが、この金権体質はこの際トカゲのシッポ切りでなく、根こそぎ跡形もなく始末しなければならないと思う。
財産や地位、名声をひたすら求めることが悪いことだとは言わないが、金の求心力だけで渦巻いている姿は、なんとも見苦しく、やるせない気さえするのである。
~平成二年


父のいる風景

2012年09月01日 | 父と散文
今、午後7時前
そろそろ日没かな
しばらく隣に座っていると「ゆうこ 帰ろう!」と言った
いつ帰る?って聞くと
「今帰る」と言って、あーと大きな溜息をついて中々寝付かれない様子

しばらくすると又
ゆうこ 帰ろう!とハッキリ言った。

こんなにハッキリと意思表示をするのを最近みた事がない。

ホントに帰れないかなー。

今のところ食事も順調で口も大きく
開けて飲み込みも楽そうだ。
やはり胃瘻は避けたい。







父のイラスト

2012年08月31日 | 父と散文

何故か、寝る気になれないので父のエッセイの切り抜きを読んでいた。
1990年頃の投稿から挿入のイラストが
「イラスト・ 筆者」になっている。

よく見たら父のイニシャルのNが何気に入っている。 笑

イラストは新聞社が用意した物と思ってたのであまり気にも止めなかったし、
父が絵を描いてるのも見た事がなかった。

初めてマジマジと見る。
ヘタウマ絵っていうのかな。面白いw
プロには描けない絵には間違いない。

遊び心のある不思議な絵だ。