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Que' tal ?

まいにち*まいにち*まいにち*まいにち*のこと****

May I come in?

2017年02月15日 | 昔の話

初めて覚えた英語。5~6歳の時 may be
「May I come in ?」

「ギブ ミー チョコレート!」じゃないよ~だ。

英語教師のYおばちゃんがウチに居候してた時、「私の部屋に入る時はノックしてこう言ってね」

「メイ アイ カムイン?」

恥ずかしいヨ。言いたくな~い。と思ったけど強制だった。
もちろん「ひらがな」でしゃべっていた。



おばちゃんの部屋はいい匂いがして、レコードと本がいっぱいあった。

流れてる曲をちょっと覚えたりして、誰にも聞かれないように
「ティチャーズ ペッ♪ アーイ ワナビー♪」と囁くように歌ったもんだった。(ハズカシーw

あとで「めい あい かむいん」のスペルも
「teacher's pets ティーチャーズ ペッ!」と発音してた歌のタイトルも意味も知るようになり
「先生のお気に入りになりたいわ・・」という歌詞の内容からすると、
年齢的には「ませガキ」でしょう。。(幼稚園だし。。)

あなたのココロに「May I come in?」 
(入ってるよ~。靴脱げ!靴!。。)←友の声



(2012年8月14日の記事より)

 

 

 

そんな叔母が高3の時、うちの高校に赴任してきた。。。

他クラスの担任だったけどなんかやりにくい~って思ってた。

でも今になってみればいい思い出。

そういう訳で先日の高校の同期会では一緒でした。

 

 

 

 

 

 


たばこの話

2015年09月04日 | 昔の話

本土復帰の1972年までは煙草の製造販売は島内の民営会社が行っていたので、沖縄独自の銘柄が販売されていた。

実家は港の近くで母と祖母が旅館、雑貨店を経営。 父は転勤族で殆ど留守だった。

土地は道路に面した角地で北側は旅館入り口、西側は雑貨店と住宅の玄関という間取りだ。

うち全体が出入り口のようなものなので、そ~っと遊びに行くには好都合だった。

どこから出ようかと島ゾーリもって抜き足差し足してたら、オバーに見つかって店番をさせられたり。 

でも、ちゃんと店番ができた昔の子供はえらい。

幼稚園くらいの子供が、おつりを間違えずに計算できてたって事はどういうことだろうと今になって不思議に思う。

(今、計算できないのに・・・)

煙草を買いにくるお客さんが多いので、タバコの銘柄、値段は殆ど覚えていた。

一人店番をしている小さいカワイイお嬢ちゃんが

「うるまっ!」っていう強面のおじさんに 「はいっ!」って売るんだよ。すごくない?

そんなカワイイお嬢ちゃんがしばらくするとスっパ~ッと煙草を吸うようになるとはっ! 笑

 

 

現在でも売られている沖縄の煙草。

うるま、ハイトーン。バイオレット。

バイオレットは甘い香りがするらしく、スミレの香りだとか。。(そうかな~、、)

 

デザイン変更前の「うるま」  「サンゴ礁の島」という意味らしい。

 

 

 

 

先日のお盆(沖縄は旧盆なので8/26~8/28)では、いつものように昔話で盛り上がった。

その中で長男兄が高校時代に仲間同士喫煙しているところを見つかり停学になった時の話が出た。

停学中、部屋でボーっとしているときにふと思いついた詩を、

ちょうど新聞で「煙草にまつわる詩」を募集していた沖縄の煙草会社に

当時まだ独身で同居していた叔母と一緒に投稿したらしい。


二人の投稿した詩は揃って入賞。(兄の方が成績が良かったらしい)

後日、賞品を持って煙草会社の人がうちを訪ねてきた。

受賞した二人の住所と名字が同じだったことから「父娘」だと思い込んで来た係の人は

60代のお父さんを想像していたので、高校生だと知ってとても驚いていたそうだ。

何も知らされてなかった母は、突然の来客に「た、煙草っ?!」と血相を変えて兄の部屋に飛んできて

「母ちゃんが対応するから部屋からで出るな!!」と慌てふためいていたと兄が大笑いしていた。

 

投稿者の年齢も確認せずに入賞させてしまうという50年ほど前の平和ぶり。

でも、この詩を高校生が書いたと誰が思うだろう。

「学校に知られたら、また停学だったよね」って言ってみんなで笑った。

 

 

 

 

 


無形財産

2015年03月10日 | 昔の話

父のスクラップブックは2000年(平成12年)12月13日(水)の記事で終わっている。

それ以上書かなかったのか、それともスクラップにするのを止めてしまったのかは分からない。

全部私が持っていると思っていたが、先日 最後になる6冊目「NO6」を実家で見つけて持ち帰ってきた。

 

最後のページの記事のタイトルは「老後も日々楽しく」。

とかく「人生重ねて来らず、時に及んで日々楽しく」生きようや。

明けて二十一世紀。 いい正月を。

でしめている。

区切りがいいのは計画的なのか偶然なのか。

そのページには立山のケーブルカーのチケットが挟まれていた。

 

 

いつも父を想っているわけではないが、ふと父の記事を読むことがある。

春には春の記事を、秋には秋の記事を読みたくなる。

1998年春の投稿「春は名のみの」の記事の中に

ある賢者の詩に

「老人よ、できる限り眉を開いて憂いを払え。

人生を楽しむには上手な操作がいる。

人生が残り少なくなればなるほど身を入れ、充実させよう」とある。

財産は土地などのように、目で見える有形財産と、思考力のように目に見えない無形財産がある。

前者は有限。後者は無限。人生にとって最高の財産は心の操作力。

つまり楽しく暮らす能力である。と深夜のNHKが教えてくれた。

なるほど。宜なる哉である。

 

 とあった。

流れる白い雲を心の目で追い、春風を頬で感じ小鳥のさえずりを楽しむ。

父の人生の最期はそんな感じだった。(私のイメージの中では)

父が遺したメッセージは私が引き継いだ無形財産かもしれない。

 

 

父がこの世を去ってからもうすぐ3年。

こんなものを見つけた。コラボしてたんだね。笑

 

 

 

 

 


同潤会のアパート

2012年04月26日 | 昔の話

最近のワタシはイラスト、文芸エッセイ関係のブログ近辺を
ストーカーのようにウロウロしている。
父のエッセイを載せるようになってから急に他の方の詩とかエッセイとか
興味が出てきた。


そして素晴らしい大先輩ブロガーさん達に刺激され毎日のようにラクガキのような絵を出来るだけ描いている。

でも、そろそろネタ切れ~。。。

という所にむか~しむかし住んでた「お代官山」の近辺の記事が。。

という事で代官山駅近くの同潤会のアパートの写真を載せる。

銭湯へ行く為、古い石垣沿いの階段を上がると「ツタ」の這うレトロなアパートがあった。

昭和初期に同潤会により建設された建物だという事を後で知った。

パソコンの中に確かダウンロードした写真があったはずと思って探したらあった!
(いいのかな?載せて。。。)





もう取り壊されているらしいのですが。
懐かしい。。

お風呂の帰りに公衆電話から家に電話してました。

10円がカシャン、カシャンと落ちていく。 早い。。。

それほど沖縄は遠かった。






「トゥーナーの缶詰」と「ワシミルク」

2012年04月24日 | 昔の話

子供の頃、オバアによく買い物を頼まれた。

オバアも小さな薬店兼雑貨店を営んでいたのだけど
タバコ、酒、飲物、日用品が主で食品は置いてなかった
ので私はオバアのパシリだった

「トゥーナーの缶詰買ってきて」
大人になるまで「トゥーナー」は方言だと思ってた
あんまり教科書にマグロって単語出てこないよね。

オバアはたまに英語らしき言葉を話してたなぁ
でも商売してる沖縄のオバアはそれが普通かな。

ツナじゃないトゥーナが英語的発音だった 笑
ちなみに鯖は英語で「マーグロ」に聞こえる 爆笑


それと沖縄の子供を育てた「ワシミルク」
ワシの絵があるコンデンスミルクをオキナワンはワシミルクと呼ぶ
日本語では、なんと「練乳」というらしい。
それも、最近までそんな名称、口にした事がない。

弟と「ワシミルク」の話をしてて
じゃあ、本土では何と言うわけ?と聞くと
「レンニュウ」
「ああー、そうか!(◎_◎;)

すごい発見だった。

で、その「ワシミルク」が美味しくてやめられなくて
台所でコッソリ、弟に見つからないように
チューチューと缶の小さな穴からワシミルクを
吸い続けるイヤーな姉なのでした。