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まいにち*まいにち*まいにち*まいにち*のこと****

ピッカピカの1年生!

2015年08月29日 | 父と散文

今日でブログ開設7年。

7年!!   一口で言うけどかなりの年数。

ウギャーと生まれた赤ちゃんが、もうピッカピカの1年生という年月だ。

果たして私のブログは小学校にめでたく入学できるほど成長しただろうか。。

いや、、してなくてもいいけど。

いろいろな出会いがあり教えがあり刺激があり、今日がある。

 

また今日からも

雲が流れるようにフワフワと自分の気持ちを表現わせたらと思います。

ここに訪れてくれる皆さんへ、これからもよろしくお願いします。

 

 

2013年に作った動画ですが、その気持ちを忘れないためにここに載せておきます。 

 

 

 

 

 

 


終戦

2015年08月15日 | 父と散文

1945年8月15日 終戦

この戦争は「日本最後の戦い」だと誰もが信じて疑わなかっただろう。 

 

1945年 8月6日 広島に原爆投下

      8月9日 長崎に原爆投下

      8月15日 日本無条件降伏 

「日本最後の戦い」 1977年9月15日発行

 
父の遺した書物の中の写真集。

直視し難い無惨な屍の写真も多く収められている。しかしそれが70年前の現実だ。


戦争体験者は年々少なくなる。 

 

 

1945年 9月7日 降伏調印

これにより南西諸島は米軍の統治下に入った。

 

 

写真集の最後のページ。

 

 

 

 

 

 

 


雪のような。

2015年03月17日 | 父と散文

今、庭に満開のツツジ。

この白さを何に例えよう。

 





 

 

 

 

ここも随分変わったなぁ。。と蚊に刺されながら一人実家の庭で写真を撮るw

夏はまだなのに、もう2mほどに伸びた気の早いヒマワリが突っ立っている。

こちらは夏が近い。

 

 

 

 


「旅に出る心」ー 父のエッセイより

2014年09月15日 | 父と散文

  

「旅に出る心」    

 

”年とれば故郷こいし

 つくつくぼうし”

       「山頭火」

終戦直後、僧、仲原勝助は飄然と島に帰って来た。

話によると若いころ、家も妻子も捨てるようにして旅に出て行ったという。

漂泊の人生に心ひかれる人が今も跡をたたないという。

人はなぜ漂泊放浪の思いにとらわれるだろうか。

日本人は大昔、万里の波涛を越えて北から、南から、

この島国にやって来たという歴史が原点かもしれない。

そこには多分、永遠なるものへの憧れのようなものが疼いているような気がする。

 先日、NHKの朝の「人生読本」で作家の早坂暁さんが

「私の家なし哲学」を話していた。

彼は六十歳の今日まで、家を持たずホテルでの転々生活だという。

彼の哲学は家を作っても何時かは腐って無くなるから

何時までも残るであろう「表現」を作るのに徹したいと云うのである。

つまり「心の財」である。

 彼は十五歳のとき兵学校で終戦をむかえ、復員列車の窓から荒廃の中に

てんてんと立つ人霊のゆれる夜中の広島の戦跡をみて、そう考えて後に

「夢千代日記」を書いたという。

 彼は話を続けた。

家を捨て妻子を捨て、旅と酒と俳句に生きつつ漂泊流転の末、

私の古里の松山で生涯を閉じた山頭火が好きだと。

そして山頭火の句を引用して哲学を説いていた。

彼は今、放映中の「びいどろで候」の作者でもあるが故なく彼が好きになった。

 

”飄然と家を出でては飄然と帰りし癖よ

 友はわらえど”

 

啄木も飄々転々の詩人だが、生活の断片を平明自在に三桁で表現し

永遠不滅のものに仕上げた。

芭蕉も西行も放哉も、放浪の心にひかれて「永遠」を求めて旅に出た。

 さて、僕も旅する心が疼いている。

無論、家も妻子も大事にしてのことである。

 

           ー平成2年 9月11日(火)

 

 

 

父のイラスト。

いつの頃からか始めたスケッチをエッセイに添えて

新聞投稿するのを楽しみにしてた。。らしい。

 
 
 
 
 
 
 
今日は敬老の日。
 
様々な人生を背負って長い道のりを歩んで来た人生の先輩に
敬意を表してー。



我が家は1日早く昨日、敬老のお祝いをしました。

朝から忙しくて帰って来たらバタン。。。

 

 

 





「末路」  父のエッセイより

2014年08月15日 | 父と散文

幼少のころ、小学国語読本で読んだ次の名文が、今なお記憶にある。

「我が辞書に不可能の字はないと豪語し、ヨーロッパの天地を震駭し、

帝皇と謳われし身をもって、絶海の孤島に憤死するその末路、

なんとも哀れなる」

 目的が何であれ、戦争に論理はない。

国土が狭小で資源に乏しい日本は、昭和七年、満州事変を景気に

清朝を長春に移し、溥儀氏を皇帝にかつぎだして大陸進出にでた。

そして日中戦争と戦乱は広がっていった。

 大岡昇平さんは作品「野火」で、

起伏する荒野に点々と燃えたつ野火、

そこにさまよう飢えた敗残兵たちの群がる「人肉嗜食」の地獄をみて

「たとへわれ死のかげの谷を歩むとも・・」と宗教的反省を描いている。

 昭和十六年十二月八日、日本は経済封鎖にたえかねてついに真珠湾を奇襲攻撃。

四年後の昭和二十年八月、米軍はパールハーバーの仕返しに広島、長崎に原爆を投下。

そのひどい仕打ちに地上は死体累々の生き地獄ー。

 さて、八月は「人類総反省の月」である。

この無謀な事実を人々が忘れるとき、人類の存続は保証できない。

と思う今日このごろである。

 寒月や幾世照らして今ここに 英機 

房中孤独の人となった東条英機の、決別の句である。

      

          ー平成3年8月19日