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Que' tal ?

まいにち*まいにち*まいにち*まいにち*のこと****

父の事

2014年07月14日 | 父と散文

久しぶりに父の事を書こうかなと。

 

定年を待たず55歳で税務署を早期退職してからは

一人旅をしたり新聞にエッセイを投稿したり庭作りに汗を流したりと

今思えば、人生の楽しみを凝縮した時間だったかもしれない。

父のエッセイを読んで初めて転勤族の苦労や家族への想いが悲しい程分かる。

仕事から解放され心穏やかな日がずっと続くのかと思ったのだけど、それも束の間、

早期定年の原因となった「うつ」が再発。

起き上がる気力もなくベッドの上で「生まれてこなければよかった」と繰り返していた。

 

もうおじいさんなのに、そんな事言われてもねぇ。

お父さん、でもそれは違うよ。

お父さんが生まれなければワタシというカワイイ娘も生まれなかったんだから

それだけでもいいんじゃない?

 

 

 

 

 

お父さんと違ってワタシは生まれてきて良かったと心から思うし

生きてる事に感謝だし毎日が楽しいよ。

 

 

 

 

 

 


18年前の笑い声

2014年03月20日 | 父と散文

去った3月17日は父の1年忌だった。

 

実はこの日は私なりに計画している事があって

18年前の祖母の7年忌の時のビデオをぜひ見せたいと思い準備していたのだ。

ウチの8mmカメラはとっくの昔に壊れてしまって再生出来ずにいたのだが

最近、知り合いからビデオカメラを借りてきてやっとレコーダーで編集、デジタル化した。

業者に頼むのをケチった為、カビで少し画質が悪くなっているけど。。

 

母や兄弟の気持ちやその時の流れをみて実行するつもりだった。

夕方になり一段落して叔父、兄達はお酒が入り和やかな雰囲気になってきたので

「ねえ、観て欲しいのがあるんだけど」と言って

予めセットしておいたビデオにスイッチを入れて、前置きもなくいきなり

父のホロ酔いの笑顔と大きな笑い声と座卓を囲んだ叔父達の笑顔を映し出した。

昔と殆ど変わらないこの部屋に18年前の笑い声が響き渡る。

 

それを観て皆が身を乗り出して口ぐちに叫んだ。

「おおっ!! これっていつ? 何年前? みんな若いっ!」

その中には父よりも先に若くして他界した叔父二人の元気な姿もあって

もう二度と集まる事の出来ない全員集合の貴重なシーンだ。

その日はカメラをさりげなく棚の上に置いて殆ど隠し撮り状態で撮影したので

本物の表情や動き、雰囲気、その時間そのものを切り取る事が出来たと密かに満足していた。

 

母は

「父ちゃんっていつも大声でしゃべってたね~。

あんな笑い声だったよね。そうそう飲むとズボンを膝までまくり上げる癖があった 笑」と

元気な頃の父の表情や動作を一つも見逃さないように画面から目を離さないでいた。

亡くなるまでの7年間程、父は声を出して笑わなかったので

本当に懐かしい底抜けに明るい青空のような笑い声に聞こえた。

 

みんなで食い入るように観た後で父の末弟にあたる叔父が

「もう今日はこれで満足っ!優子に拍手~っ!」と言ったので

ワタシは皆から想定外の拍手をもらってしまい、なんだか恥ずかしかったのだけどw

 

さっきまでカメラを向けると「いいよ、いいよ」と恥ずかしがっていたその叔父が

「ゆうこ、僕の写真も撮ってくれ。10歳くらい若くねw  遺影にするから」と言って

私のカメラに向かって精一杯の笑顔を向けた。

 

込み上げてくる寂しい気持ちを打消しながら

「3.2.1 イェ~イッ!」と笑って私はシャッターを押した。

 


父のいない父の日

2013年06月16日 | 父と散文

父のいない父の日を迎えるのは初めてだ。
それに今日が「父の日」だという事もすっかり忘れてて、
もう私の暦の中の「父の日」は父と一緒に消えてしまっていたようだ。



ところが今日、素敵なサプライズが!

私達 父娘を心に留めて今日のために
コツコツと父娘の思い出を集めて創ってくれている方がいた。

うみねこさんの別館
「デイゴの小部屋Room101」
父の日のオマージュ

私の過去ログから100枚もの素材を選び振り分け
つくったそうです。
一枚一枚の写真やイラストをどのような気持ちで選んだのか、
その作業姿を思い浮かべると胸が熱くなります。
仕上がりは私の気持ちとピッタリでした。
もう何回も観ましたw
何回も何回も観て幸せな気持ちになった。
素晴らしい父の日をありがとうございました。
遠い北海道からあたたかいプレゼントに感激です。







書斎の周辺 (父のエッセイより)

2013年04月25日 | 父と散文




「書斎の周辺」 


限りなく広がるキビ波の彼方の空と海の接点。
小島を望む遠近の色の鮮明さ。

晩秋の涼風の吹き込む六畳間のこの小窓。

人間の小さな頭脳が無限の思考を可能にするために、幻想的な照明、寝台、椅子、
形而下学あるいは形而上学な知的装置をセットし、
市販の書棚は奥行きが深く二列に並べると手前の一列だけが見えて面白くないから
奥行き十二センチ程の棚を自作し並べてみる。

月に三冊買って一冊読みむのだから殆ど目次を見ただけだが、
背表紙をみてその奥を想像することができる。

ある日街に散歩にでて、書店で立読みする気軽さで時折めくるのもよい。

他日、また天寿のあと、妻や子や孫達が読んで呉れればそれ以上の幸福は無い。
良書の手あかに、父の心をくみとってくれればよいのだ。

気まぐれに、子供たが積木遊びをするように本を並び替え、活字にしてみる。


春風夏雨
草光る
この歳月
この道を行く
止まる歩く
心の中の散歩道
忘れがたき日々に
自分をたずねて
遠い街
地図のない旅
思索の旅路
私の愛するさすらい人
山河漂泊
遠くのこだま
誰か故郷を想わざる
雑木林の中
小鳥の来る日
夢幻の中で
おりおりの心
美しかれ哀しかれ
秘すれば花
こころの窓で
一冊の本
人生ってなんだろう
日日是好日
私の幸福論、等々

下手クソと笑われるのは承知の上で、
大工の使い捨ての残材でパネルをつくり、

  白雲 ゆうゆう
   去り
    また来たる

と書いてかかげて自賛する。
やがてコツコツと時がは刻まれ、小鳩が小窓をのぞき、
六度ポッポとないて戸を忠実にパタッとしめる。
その頃、ばしょうの葉にアカネ色はもえてミレーの晩鐘が静かにひびき
南原に暮色が流れる。

突如、ピーと汽笛一声 今は鉄橋渡るぞと、白煙をふいて走るSL。
壁いっぱいのパネルは郷愁の山河をゴーゴーとかけめぐる。

いま植えた周辺の雑木が成長し結実し、やがて小鳥の来る春の朝、
センダンの大木にセミのゆさぶり鳴く夏の日、
私は、その遠い定年の彼方に夢を見る。










今日、4月25日は父の誕生日
Happy Birthday. お父さん。


五十六の人生坂で(父のエッセイより)

2013年04月08日 | 父と散文
「五十六の人生坂で」

これはある人の日本人の"許し"の構造としての言葉であるが
二十代の結婚生活を結ぶ紐は愛だが
三十代は努力であり、四十代は忍耐、
五十代は諦め、六十代になって初めて感謝になる。
五十代の坂にさしかかると我慢さえもできるゆとりがなくなってきて、
あとは諦める。
人生のやり直しも利かない。
しかも縁あってこうなったのだから、
別れたところでまた来世二人は一緒にならねばならないことになるとー。
この観方は現実、私にはピッタリこない。

二十五歳で結婚し三十年来、倦怠期の経験もない
常に感謝の気持ちで生きてきたからである。
嘘ではないホントだ。
したがってある人の
「酒にふけり、女性にいんすることのできない堅物は
おそらく人間を論じ、人生を語る資格をもたないはずだ」
の言葉からいくと私なんか人生を語れない落第生である。
折角生まれてきて落第生になっては困るので頑張りたいと思うが
所詮 性格だから致し方ない。

人間の生き方、幸福とは何かと考えてみたって
即座に正論が出る筈もないが私は私なりに
欲を捨て道を向う人があれば親切におしえてあげ、
自ら愛の旅を行く人生と、とりとめのないことを考えていると
不図サダマダシの関白宣言を思いだす。
あれも一つの生き方であるが実に愉快な表現で
謙虚なわがままとでもいおうか。

結論の・・・何もいらない俺の手を握り、
涙のしずく ふたつ以上こぼせ、
お前のお陰でいい人生だったと俺が言うから、
必ず言うから・・・
など実に立派だと思う。

私はケンランと咲くバラやランよりも
路傍や芝生の片隅に咲く小さな野花にひかれる。
だから庭の手入れのときもそれを引き抜く気にはなれない。
ひとでもかりず自力で根強く生きる凡人の姿をそこにみるからである。
ついでに言いたいことは、ホントの偉大なる人は誰でもない、
どこにもいる垣根越しの平凡な人達であると
最近つくづく思うようになった。

故あって五十五歳を機に思い切って公職を退き、
今は半農半漁半商の生活。
意外と空しさはなかった。かえって活がでた。
五時のNHKの早起き鳥に起こされてラジオを手に
近くの高台にある公園に散策、そこから私の一日は始動する。
悠々のなかに充実を求めて五十六の人生坂を今日も歩く、
また明日も誠実に歩くー。

去年の暮、妹の家の改築で廃物となった残材で木戸を作った。
その戸札に"道草園"と名付けた。
その裏柱に「趣味は道楽ではない」と書いて悦にいっている私であるが

さて今年は人間の親類のサル年。
人間がサルをみて笑うのは、サルの中に人間を見出すから笑うのだと言う。
今年こそサルの知恵もかりて最良の年であるよう祈りたい。

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今日、あるイラストの中に白雲を眺める父の懐かしい笑顔を見た。
ぶらり一人旅の途中で足を止め、山々の上を悠々と流れる雲を眺める父の姿である。

このエッセイを読んで下さる方々に感謝です。
ありがとうございます。