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散るぞ悲しき

2016年07月09日 | 
散るぞ悲しき

硫黄島総指揮官、栗林忠道の人生

「硫黄島からの手紙」という映画はご存知の方が多いと思います。渡辺謙さん演じる栗林忠道中将のノンフィクション物語。

出征

1944年栗林中将は硫黄島に出征することになった。栗林を硫黄島の総指揮官に任命したのは当時の首相東条英機である。彼は栗林に「どうかアッツ島のようにやってくれ」といったという。アッツ島は1943年アメリが軍の上陸を阻止するため死闘を演じ、玉砕という名の全滅を遂げたアリューシャン諸島の小島である。
 大本営は硫黄島を死守せよと命じたが、太平洋の狐島を守り赴くという事はもはや勝って敵を撃退するのではなかった。というよりも、日本にそのような力は残っていなかった。
ミッドウェー海戦での敗戦以来日本の配色は日に日に濃くなり戦力の差は開く一方だった。問題は、島をいつまで持ちこたえられるかその一点だ。しかし、当時の軍令は敗戦が決定的になっても撤退を許さない。「アッツ島」のように粘れるだけ粘って全員が死ぬまで戦わなければならなかったのだ。
 勝利がありえないとすれば、どんな目的のためのためならば部下たちは甲斐のある死を敢行出来るだろうか。アメリカ国力を知る栗林中将ゆえにアメリか開戦に最後まで反対していた彼の苦悩は続いていたはずだ。

硫黄島
硫黄島とは小笠原諸島にある。これらの島々は活火山が多く飛行場には適さない。戦前から要塞化計画のため父島には飛行場があったが、隆起している箇所が多い地形のため拡張や新たな建設が難しかったが、硫黄島には飛行場が2つあった。また新たに建設中の飛行場もある。硫黄島を不沈空母にするための計画であり、航空戦が勝敗を決める太平洋戦争にあっては日米双方にとって重要な拠点であった。とは言え、この島は水が乏しく雨水をためて使用している保と水源がない。活火山もあり耕作も不可能な灼熱の島である。
 しかし栗林はアメリカ軍が必ずこの島を奪いに来ると確信していた。そして「指揮官は常に最前線に立つべし」という信念に基づき司令部を硫黄島に置き玉砕までの九か月間兵士たちと共に過ごし島を出なかった。


アメリカ軍が硫黄島を狙う理由
東京から1250キロメートル。サイパン島から1400キロメートル。東京・サイパンを直線で結んだらちょうど真ん中に硫黄島があった。サイパン・グアム・テニアンといったマリアナ諸島を攻略し北上しているアメリカ軍の次の戦略に硫黄島が当てはまるのは明確だった。アメリカ軍は「超空の要塞」B29重爆撃機をサイパンに配備。しかしこのB29で日本本土を空襲する場合、いくつかの問題点をクリアしなければならなかった。 
 問題点1、サイパン島を飛び立ったB29は東京までの2600キロメートルを護衛の戦闘機なして飛ばなくてはならなかった。
 問題点2、長距離飛行するたえには燃料を多く積まなくてはならず、搭載する爆薬の量を減らさなければならなかった。
問題点3、故障や被弾の際に不時着する場所がない。
問題点4、硫黄島のレーダーがアメリカ軍機を感知した場合、日本本土に向かうB29が硫黄島から発進した日本軍機に攻撃を受ける可能性がある。

しかし、この問題は硫黄島を手に入れれば解決する。一方、日本側から見れば硫黄島を失うと本土防衛の拠点を失う事になる。
 もっと重要な事として硫黄島は東京の一部である。つまりこの硫黄島を失うという事は日本の歴史上初の国土の一部を外国に侵される事になる。

この事を承知しながら栗林中将はこの硫黄島で戦った。

・国の為、重きつとめを果たし得て、矢弾尽き果て散るぞ悲しき

栗林中将の辞世の句である。



この背景などを知ったうえでもう一度「硫黄島からの手紙」を見て欲しい。