桜の花が美しいのに、目に見えないウイルスに僕らは困り果てている。
かなしい。
ちょっと前の、「オイリュトミー」のレッスン日のことを思い出した。
参加者が流れる音楽や声に身をまかせてゆこうとする姿に、あらためて感慨をいだいた。
状況のなかで、固く萎縮してしまいそうなものに、
音楽や言葉が、もういちど息吹を与えているように感じたのだ。
(オイリュトミーというのは、僕のダンスに強い影響を与えたメソッドの一つであり、ダンスクラスの一つとして長く教室を続けている。僕にとっては、土方巽の「舞踏」とマーサ・グラハムの「グラハムテクニック」に並ぶもの。独自のダンスを探すうえで、技術的にも思想的にも、最も力強い道しるべの一つになった。)
レッスンの様子をここに書いたことがある(下記LINK)が、オイリュトミーは言葉や音楽を呼吸するように踊る。
たとえば基本練習のなかに、こんなのがある。
身体からいちど力を抜いて、あらためて床を踏み、じっくりと背筋を垂直に立ててゆく。
ただそれだけのことなのだが、レッスンでは、生の声の響きをききながら、これを行なう。
人は、空気を体内に吸い込み、呼気に思いをのせて言葉を発声する。
それに気持ちを合わせて、身体を動かしてゆくのがオイリュトミーだ。
上記の練習は、その最も初歩のひとつ。原点。
ずっと続けていると、聴くことから、体内に独特の感覚が生まれてくるのがわかってくる。
レッスンを始めるとき、僕は毎回これを行なってきた。
この練習をしているうちに、身体のこわばりが少しずつやわらいで、再びまた引き締まってゆく。
そのたび、ちょっとづつ、その日の雑念が身から離れ、同時に何か新しい気分が湧きあがってくるように感じる。
僕は初めてオイリュトミーを観たとき、踊り手の足が地面から遊離していてジョットォの絵に似ていると思った。空から降りてきて、まだ少し浮いているような感じで、繊細に足を動かして、あちこちに舞い移ってゆく。
身体が空中に抽象絵画を描いてゆくようなその手法は、ダンスというより一種のドローングのようにも見えたし、地水火風のような元素の姿をイメージしようとしているようにも感じた。
しっかりと地に足をつけエネルギーを放つ身体に僕は魅力を感じてきたが、それとはまた別の、より空間のひろがりへ向かおうとするような身体の魅力を、僕はオイリュトミーから教わった。
三島由紀夫が「イカロス」という詩を書いたが、そこに歌われている一節をオイリュトミーに思い重ねることが、いまもある。
人が地に足をつけるのは宿命だが、飛ぶ夢を見てしまうのも、もうひとつの宿命かもしれない、とも思う。
地に足をつければつけるほど、空や宇宙や光の世界に対する憧れもまた強くなってゆく。
僕のダンスは好き勝手に創作しているし衝動のままに踊ることを旨としているが、身体や感覚を磨いてくれるオイリュトミーの稽古が楽しく、ダンストレーニングの重要なループのひとつになっている。
音楽に身を任せるとき、僕らは音に溶け込んだエネルギーを吸い込んでゆくのではないか。誰かの言葉に身を委ねるとき、僕らは人生に耳を澄まそうとしはじめるのではないか。
そのようなことを、僕はオイリュトミーのメソッドから教えられているように感じてならない。
そして、なぜかしら、こういう不安で困難な時代にこそ、オイリュトミーは有効になってくるのではないかという、直感が、してならない。
オイリュトミーは人間の結びつきをめぐる踊りなのだが、僕らはいま、どんどん結びつきを失いそうになっている。コロナウイルスはその象徴のようにさえ思えてしまう。
オイリュトミーは、ふんわりとした優雅さや柔かさが特徴的な踊りなのだが、思えば、危機の時代を予感するようにして生み出された。1912年ごろのことだが、大恐慌やナチズムや戦争に向かってゆこうとする世界を、創案者たちは予感していたのだろうか。
この優雅さや柔らかさは、危機の予感のなかで生まれた、ある種の「希望の形」なのではないかとも思える。それは、人間の根本にある何かを信じてゆこうとする態度に、どこか通じるのではないか。と、いま、僕には思えてならない。
稽古を始めて37年になるが、いまほどそう思えることは、かつてなかった。
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