櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

観劇感想・やなぎみわ演劇プロジェクト

2012-08-07 | アート・音楽・その他
やなぎみわさんの演劇『人間機械』をみた。
何やら無性に愉快だった。

時は1924年、村山知義を主人公にした台本。
関東大震災のあとの復興に重なるように多様な芸術が生まれた。未来について人間についての思索や実践が行き交いながらも、やがて経済恐慌そして大戦争になった。村上知義は、その、僕らの時代の底ともいうべき時を生きた美術家であり演出家であり舞踏家であり思索者である。吉行あぐりの『山の手美容院』の設計者、それから、『朝から夜中まで』の舞台美術家と言えばおおむね通じるかと思う。
その活動を追いながら進んでゆく劇。
さすがの演出、一瞬一瞬、空間が決まる。シンプルかつ様式的なステージ。
台詞や身振りは、複雑に交差する。
変化や革新を求める気持ちが溢れる言葉その裏腹に強く漂う将来不安。
おのずと今この時節に重なる。

開演から最後まで、物語は「案内嬢たち」によって語られ、踊られ、構築され、破壊され、組み替えられてゆく。
デパートの受付やエレベーターガールの、「いらっしゃいませ、こちらが◯◯でございます」という、あの制服あの口調の案内嬢である。
この人たちは、やなぎさんの美術作品にも登場していたけれど、存在の仕方がやはり面白い。ウラ方のようなオモテ方のような・・・。ちょっと歌舞伎の黒子のようでもある、このような存在に、もしかしたら世界は操られているのかもしれない。

パフォーマンスは、そのひとりひとりのからだの動き、発話される声、ひとつひとつの要素が遊び心に満ちていてそれだけでも楽しいけれど、そこに、ときおり美麗と毒が微風のように通り過ぎる。
ユーモア、諧謔、空恐ろしさ。
いい芝居にめぐりあうのは迷宮への旅にでるような体感がある。
その迷宮に身をまかせていると、その場所にいることが、その時間の流れにあることが、なにやら虚実の間を行き来しているような感じがしてくる。

痛快、といえば語弊があるかもしれないが、そんな華やいだ感覚の後に、やなぎさん自身の思索の断片がそっと肌身に近づいてくるようでもあった。
演劇に求めていた欲求が、久しぶりに満たされた。

やなぎみわさんの演劇プロジェクト、これからどのように展開されてゆくのか、楽しみでならない。
(世田谷美術館講堂にて8/5)
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