櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

9月11日という日

2024-09-12 | ダンスノート(からだ、くらし)

あの日、赤ん坊を抱きながら震えた。気付けば、あのころ生まれた人が世界をつくる時代が始まっているが、まだ同じ思いが続いている。どこまで、、、。

そう書いたことがある。似たようなことを何度も思い何度も書く。なぜかという問いの答えが出るほど何かが変わった気もしない。20年以上、年月は何も和らげていない。忘却は簡単ではないのだろう。いわゆる「9-11」のことだ。この出来事は、現在のこの世界について考える上で深く重要な日の一つと思うが、この日は僕自身の舞踊活動にも大きな転換点をもたらすきっかけにもなった。生きている以上、社会的な出来事や変化に関わらないわけにいかないことを、強く思い知らされた日でもあり、この日に感じた胸騒ぎが、以後何度も現れて今の今に至る。2001年のちょうど今ごろ、結果的に僕のダンスの方向を変えることになった心の動きが激しくあったことを、いまも覚えている。この日についての過去記事の一つを再掲載し、他の関連記事リンクを添える。

 

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【過去記事】

 

「あのビルが崩れていったように、

僕の中でそびえていた何かが、

どっと崩れたのでした。」

 

この一言は2007年に書いた文章の一部、下の写真は、2001年の暮れに打った公演のチラシとそれに添えた文章。思えば、ここから僕のダンス活動は「独舞」と呼ぶしかない方向に集中してゆくことになった気がする。

あの日、ダンスなるものの根にあるはずの「ともにあること」という実感を揺るがされながら、まずひとりひとりのひとりとして「たしかにあること」を確かにし直すような衝動が出たのかもしれない。

個の肉体は今まさに流され続けている血の一滴一滴と決して無関係ではいられないこと、、、

という、この部分は、長年を経て未だ変わらないまま思い巡り続けている。

2001年の9.11、そして10.07。それにつづく数ヶ月に起きたことについて、その当時に「思い」「考え」「動いた」ことすべてが、いまだ毎年ふくらみ続けていることを感じずにいられない。

あの出来事から、さらに、震災を経て放射能禍を経て、またさらにいま、コロナ禍を経て、あの2001年以来どうにも収まらないままの激しい振動と轟きが、身体の底のほうにどよめき続けているのを、えらく感じて、これをどうすればよいのだろうか。

そして、ここから、、、。

 

 

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